第14話 運命の選択
ユーリィは確かに怯えていた。逃れられない運命に、背負っている重荷に、もがいて苦しんで喘いでいる。ジョルバンニに苛ついているのも、珍しく自分から“抱け”と言ったのもそのせいだ。後ろ手に回された指がわずかに震えていたから、あれが彼の本当の気持ち。それを知りつつも、何もしてやれない自分が情けないとヴォルフは思っていた。
葡萄色の扉の前で、憲兵が立ち止まる。エントランスの左階段を登って、三階の一番奥だ。大理石の廊下には、階段から赤い絨毯が続いている。左手には同じ色の扉が並び、右手に連なるは真鍮を鈍く光らせた装飾窓。城内にしては人の気配がなさ過ぎるが、舞台背景だとしたら完璧だろう。
憲兵の横でジョルバンニが半身動かし振り返った。
二人の両眼があとから来た少年を注視する。それはまるで、舞台を上がる俳優を待つ観客のように__。
次の瞬間、ヴォルフは少年の体が輝いたように見えた。背筋を伸ばし、頭を上げ、プライドという衣装を身にまとう。それは若き侯爵へと変貌する合図でもあった。こうなれば彼はもう孤高の王者だ。護る必要はどこにもない。そんな様子を目にするたびに、ヴォルフは一抹の寂しさを覚えた。まだ心の中に失う恐怖が残っているからだろう。
ユーリィに目配せをしたジョルバンニが扉をノックすると、中からくぐもった返事があった。それを了承と受け取って、ノブをつかんだのもジョルバンニだ。彼はゆっくりと扉を押し開き、体をずらして少年のために道を開けた。
ユーリィは束の間のためらいを見せたのち、前を向いたまま足を踏み出した。通り過ぎていく彼を、頭一つ高いジョルバンニが視線で見送る。眼鏡の奥にある鋭い目は珍しく、柔らかな光を帯びていた。
その表情が、ヴォルフの中にある何かをにわかに呼び起こす。扉を開けた者でなかったことへの嫉妬かもしれない。気がつけば、刺すような痛みに自分の胸を押さえていた。
開け放たれた部屋からは異臭がした。その中へとユーリィは足を踏み入れていく。視線は窓際で背を向けて立つ父親にあった。
薄茶色の髪をしたイワノフ公爵は、ヴォルフが以前会った時よりもずいぶんは小さく見える。白髪もずっと増えているようだ。
ユーリィに続きジョルバンニが中へと入る。最後に入ったヴォルフが憲兵を残して扉を閉めた。
振り向くと、少年はまだ父親の背中を見つめていた。気配を察しているだろう父親も窓の外を眺めている。親子にある計り知れない感情がその場を埋めた。
茶色を基調とした室内。そのせいなのか、大きな窓から光が差し込んでいるにもかかわらず、どことなく薄暗い。片隅にはイーゼルがあって、画布が立てかけられていた。先ほど感じた匂いはどうやらテレピン油のようだ。傍らのサイドテーブルには、顔料が入った小瓶、汚れた筆、油壺、そして木製のパレットが雑多に乗っていた。
沈黙はいつまでも続く。このままでは夜になるかもしれないとヴォルフが思い始めた頃、コホッとひとつ、ジョルバンニがわざとらしい咳払いをした。
諦めたようにイワノフ公爵がゆるゆると振り返る。顔色は冴えないが、やつれてはいない。ただし以前に感じた精力のようなものは抜け落ちていた。
ユーリィを直視した父親は目を見開いて、驚きを露わにした。無理もない。彼が最後に会った息子は、まだ儚さが漂う少年だったのだから。
しかし今は違う。毅然とした立ち姿に弱さの欠片も残ってはいなかった。
「久しぶりだな、ユリアーナ」
以前と同じ野太い声に、取り繕うような気配がなくもない。
「ええ、お久しぶりです」
父親と違って、ユーリィは淡泊すぎるほど淡泊だった。
「元気そうで何より」
「父上、兄さんは亡くなりましたよ」
少年の声には、兄への憎しみなど一握りも込められていない。そればかりかわずかな悲しみすらにじんでいた。
彼にとってエディク・イワノフは生まれた時からこの世界のすべてだった。その支配から逃げ出したのちも、精神的な呪縛は解けずにいた。そしてどんな仕打ちを受けようと、ユーリィが優しい兄を求め続けていたこともヴォルフには分かっていた。
「エディクにとっては、満足できる死に方だったろうな」
「そうでしょうか?」
ユーリィを恨んでいたエディク・イワノフは、自らの命を使い、ソフィニアを救うきっかけを作った。生まれながら病弱だった彼が、英雄としての最期を選んだのか、異母弟に力を貸したかったのかは分からない。ヴォルフ同様、父親も前者だとは思っているらしいが、ユーリィは兄が自分に歩み寄ってくれたのだと信じている様子だ。
「死期が近かったのは確かだ」
「でも兄さんはずっと生き続けたいと思っていたはずです」
「だからと言って、私が悪いわけでもない」
驚くほどの小物感。こんな人物だったのかと、ヴォルフはその小さい器を眺めた。
病弱だった長男の死を、厄介者が消えた程度にしか思っていないらしい。むしろ息子たちを愛していたのかでさえ疑問である。
ユーリィも同じことを感じたのだろう。顎を上げ、数秒父親を眺めると、大きな身振りで踵を返す。右肩のマントが激しく揺れた。
部屋に点在している椅子の中のひとつを選び、少年は腰を下ろし腕と足を組む。ジョルバンニにも座れと視線で命令し、それからふたたび父親を見た。
「なるほど。では葬儀は僕が責任を持って執り行うことにします」
その威風堂々たる言動には惚れ惚れする。内に苦しみや悲しみを抱えていることなど微塵も見せない様子に、ヴォルフは改めて感心した。
しかしジョルバンニは、この親子に任せていては埒が明かないと思ったらしい。腰かけると同時に本題を切り出した。
「一昨日、イワノフ公爵宛に書状をお送りしたのですが、お受け取りになりましたか?」
「ああ、受け取った」
「では書類のご準備は?」
それに応えて、公爵は机の引き出しから筒状に丸めた三つの書類を取り出した。どれも赤い革紐が結ばれている。ソフィニアにおいて、それが公式な書類だとヴォルフが知ったのは最近のことだ。
「三つ?」
数に関してはジョルバンニも想定外だったようで、驚きの声を漏らした。
「一つは爵位を含めて侯爵への全権譲渡、一つは公爵家廃絶――つまり領地領民すべてギルドに明け渡すと書いたものだ」
「では、残りの一つは?」
「残り一つは、領地領民については侯爵に管理を任せ、公爵位については侯爵の子に譲り、子ができぬ場合は廃絶と書いてある」
「子……」
演技を忘れ、ユーリィが呆然と呟く。ヴォルフ自身もかなり驚いた。
イワノフ公爵は我々ふたりの関係を知っているはずだ。だから最後の条件は何かの策略か、もしくは縁切りをもくろんだ嫌がらせにしか思えなかった。
「三つもお作りになった理由はなんでしょうか、公爵」
「ユリアーナ……ライネスク侯爵がこの中のどれを望んでいるか私は知っている。しかしあの書状からではギルドと貴殿が欲しい結論がどれなのか分からなかった。だから三つ作成した、ということだ」
「なるほど、理解いたしました」
「ただし、この場で議論をさせるつもりはない。すべて持ち帰り、好きなように選ぶがいい。私の署名はすべてにしてある」
「父上は、本当にそれでよろしいのですか!?」
内にある怒りを見せて、ユーリィが口早に問い詰める。最後の書簡内容が気に入らなくて、きっと怒っているのだろうとヴォルフは思っていた。
しかし__
「あれほど大勢が死に、傷つき、苦しみ、涙したというのに、ご自分の責任をあっさり放棄できることが、僕には理解しかねます、父上」
すると、父親は息子に再会してから初めて表情を崩し、口元に笑みを浮かべた。
「ククリどもに騙された、と言っても信じぬのであろうな?」
「ええ、信じませんね」
「私としては、自分の責任は全うしたと思っているのだが?」
「は?」
ユーリィでなくてもそう言いたくなる。ジョルバンニも何かを思ったのか、指の関節で眼鏡を押し上げた。
公爵自身も言われることは分かっていたようで、自虐気味に鼻で笑うと、片隅のイーゼルへとのっそり移動した。
テーブルにある汚れた筆をつかみ取る。それをためつすがめつ眺めながら、彼は妙な告白を開始した。
「若い頃、私は画家になりたかったのだよ」
息子は片眉を少し上げ、父親の言葉を受け取った。
「だから一周して、元に戻ったという感じではあるな」
「元に戻った?」
「お前が心の底で私を軽蔑していたことは知っていたよ。その通り、私は七人の姉に甘やかされてね、画家などという夢を抱いて育った子供だった。しかしイワノフを継ぐことには別に抵抗はなかったよ」
「それは、拒絶している僕より立派だとおっしゃりたいわけですか?」
「そうではない」
父親はようやく顔を上げて、息子の顔を正面から凝視した。
「実はお前が生まれる少し前、私は神マルハンヌスの夢を見たのだ」
ユーリィが荒荒しく立ち上がる。抑えられない怒りが、その表情に浮かんでいた。
そんな彼を素早く止めたのはジョルバンニだ。
「侯爵、お待ち下さい。最後までお伺いしましょう。領民たちの運命を変えるかもしれないことですゆえ」
「時間の無駄じゃないのか?」
「たとえ結論が同じであったとしても。何が重要なのか、見えてくることもあるやもしれません」
納得がいかないという表情のまま、ユーリィの視線はジョルバンニから父親、そしてヴォルフへと移動した。
青い瞳に浮かんだのは嘆きの光。刹那に消えたそれは、今では自分だけに見せてくれるものだとヴォルフは感じていた。
だから気づかれないように小さくうなずく。そうすることで彼が落ち着いてくれると信じて。
「分かった、最後まで聞く」
父親に視線を戻した少年は、椅子に座り直した。
「今さらこんな話をしても、信じてはもらえないとは分かっている。しかし伝えるだけは伝えよう」
言葉を切った公爵は、宙を見るような表情になる。
「あの夢に現れたのはマルハンヌスだった。しかし確証があるわけではない。私はそれほど敬虔な信者ではないからな。ただ毎晩毎晩、夢の中でそれは囁いた。『もうすぐ生まれる金の髪をした子どもこそ、我に代わってこの世界に秩序をもたらす者になるであろう』と」
「まさか、父上はそれを信じたのですか?」
「信じたからこそ、引き取る気はなかったお前を、ジーマの手からさらってきたのだ。しかし時が経つにつれ、私自身も秩序を守れる者になれると思うようになっていった。あの言葉が真実なのか、もしくは私が神を越える存在になれるのか、どうしても知りたくなってな……」
「だからこの世界を壊そうと思ったのですか?」
「壊す? 先ほども言ったであろう、ククリに騙されたのだと。ギルドを制御し、ベレーネクを排除し、ククリを操って、私の秩序をソフィニアの地に創ろうとしただけだ。ここまで酷いことになったのは、想定外のことが続いたからだよ」
それまで虚ろだったイワノフ公の顔に、威厳のようなものが浮かぶ。ふたたび覇権を握ろうとしているのではないかと、勘ぐりを入れたくなるほどだ。反面、瞳が時折泳ぐので、内心では怖じ気づいている様子もうかがえた。
「しかもククリの連中はベレーネクともつながっていて、私とあの男を天秤に掛けようなどとつまらぬ策略を。ギルドの連中も全く役立たずだったのも残念な話だ。私が思い描いていたのは、あくまでもこの地の統一であり、それをククリどもがすべてを台なしにしてくれた」
吐き出す言葉はすべて、自らの弁明だけ。あれほどの民衆が死んだ事実がありながら、よくもまあ、平気で保身ができるものだと、ヴォルフは呆れかえった。
「しかし、結果的にお前が世に立つことにつながったのだから、満足はしている。お前は私の息子なのだからな、ユリアーナ」
「くだらない」
まさにそれだ。
ユーリィの口からこぼれ落ちた悪態を、ヴォルフも同時に心で言った。
ジョルバンニは果たしてどう感じたのだろうかと、横目を使って様子をうかがう。しかし頬が痩けたその顔には、感情というものはいっさい浮かんではいなかった。
「確かにくだらないだろう、私もそう思う。だがあの夢が本当だったのだと思うと実に愉快だ。もしかしたらあれは神ではなく、私自身の予見だったのかもしれない」
自分の気品を汚さないためだろうか。イワノフ公爵は悪あがきに一笑した。
だがそんな虚栄も意味がなかったようで、ジョルバンニがあっさりと話を打ち切った。
「なるほど、分かりました。では話を戻しましょう」
あまりにも事務的で、普段なら冷たすぎる口調も今回ばかりは功を奏している。自己満足で完結しようとしたイワノフ公を白けさせ、爆発しそうだったユーリィには落ち着きを取り戻してくれた。ヴォルフも下を向いて笑みを堪える。ついでにジョルバンニは良い奴じゃないかと勘違いしそうになってしまった。
「三つ書類の件について、私から提案があるのですが」
ジョルバンニが言った相手はユーリィだ。その眼鏡にはもうイワノフ公は映っていない。たぶん意識からも消し去っている。舞台から降りた役者だと言わんばかりに背を向けて、彼は真っ正面から主役を見据えていた。
「提案?」
「実は私も、今日は書類をお持ちしました」
そう言って、ジョルバンニは胸元から筒状に細く丸めた書類を取り出す。もちろんそれにも赤い革紐が縛ってあった。
「ここには、ギルドが所有している土地の管理権をすべて、ユリアーナ・セルゲーニャ・ルイーザ・クリストフ・ライネスク侯爵に譲渡すると記されています。むろんこの決定に爵位号は左右されません」
「なんだよ、それ!?」
一度は落ち着きを取り戻したユーリィが、ふたたび感情をむき出しに立ち上がる。それに対してジョルバンニは、「最後までお聞き下さい」と穏やかにたしなめた。どうやらこの男はユーリィよりも、役者が一枚も二枚もうわ手らしい。かなり厄介な相手だ。
「侯爵が、イワノフ領すべてをギルドへ寄与したいとお考えになっていることは存じていましたから。苦肉の策として、これを作成した次第です。言うなれば脅しの材料ですな」
「どういう意味だ」
「貴方がどうしてもイワノフ領を保持したくないとおっしゃるなら、こちらを使おうと考えていました。そうなればライネスク領は、イワノフ領よりも遙かに大きくなりますので」
この男は何が何でもユーリィを祭り上げたいらしい。その情熱がどこから来るのか、全く分からない。ユーリィでなくても確かに不気味な男だと思わざるをえなかった。
「僕が拒絶したら?」
「貴方にはその権利はございません。ギルド内での取り決めですので。ここには私を含め六名の署名があります。ああ、おっしゃらなくても結構です。確か六人では意味がありませんね、現時点では。ですが明日、いえ、今夜にはこの書簡がギルドでの最終決議となりますよ」
その後ジョルバンニが話したことは、ヴォルフの想像を遙かに超えていた。
ユーリィが街を出てすぐ、アーリング士爵らがギルドの上層部を数十名拘束することになっているらしい。罪状は公金横領。彼らがギルドにおける資金を着服したために、ソフィニア市民の救済が行えなかった。それに対する断罪をするのだと、ジョルバンニは淡々と説明した。
「ちょっと待て。アーリングはギルドの憲兵じゃなく、イワノフ家の家臣だぞ」
「昨夜アーリング士爵はギルドと契約を結びました。ソフィニアが混乱している現在、絡みついた利害関係という糸を断ち切るには、千載一遇の好機ですので」
「だったら、僕を使わなくても自分たちで……」
「これは反乱ではなく、あくまでも制裁です。もしも貴方まで排除することになれば、アーリング士爵は反乱軍のレッテルを押されてしまいますから」
その時、部屋の片隅から喉を鳴らすような笑い声が聞こえてきた。降りたはずの役者がふたたび舞台へと戻ってきたらしい。
「貴殿はなかなかの策士だな」
「お褒めに預かりまして、ありがとうございます、イワノフ公爵」
首を巡らして、ジョルバンニは相手をちらり見る。
「だがな、アーリングが貴殿の策に素直に乗っているとは限るまい? あの男なら、ユリアーナやギルドなどに頼らなくても、民衆の操ることなど造作もない」
「ですがラシアールたちがいることもお忘れなく」
「ほぉ。つまりあのエルフたちをアーリングと突き合わせようというわけか。しかし私ならこんな周りくどいことなどせず……」
「心配などご無用です、イワノフ公」
ジョルバンニはらしからぬ大声でぴしゃりと遮った。さらに続けて、「貴方はもうご引退された身。これ以上の口出しはご遠慮願いたい」と冷たく言い放った。
二人のやり取りを聞いている間、ヴォルフはユーリィのことだけが気がかりだった。
アーリングの名前が出て来てからずっと、彼は眉をひそめて一点を睨んでいる。もしかしたらショックが強すぎたのではと、心配でしかたがない。
もう彼は弱者ではないと知ってはいるけれど……。
「さて、先ほど申し上げたご提案についてです、ライネスク侯爵」
自分の名前を呼ばれ、ユーリィがぼんやりと相手を見やる。そんな少年の意識が戻るのを待って、ジョルバンニは思わせぶりにゆっくり立った。
「あそこに三つの書類がございます。中のひとつは貴方がご希望ならされているもの、公爵家廃絶です。だからこうしてはいかがでしょう。あの中のひとつを侯爵が選ぶのです。先ほどの話が嘘であるかどうか、つまり神が貴方をお望みではないとご自身で証明してください。もし見事選び取られたのなら、私もこの書類を破り捨てましょう。以後、貴方は自由の身。私とアーリング士爵がソフィニアをどうにかいたします。むろん市民には被害が出るかもしれませんし、もう一波乱あるかもしれませんが、それはお気になさらず」
威し文句のような言葉でジョルバンニは締めくくった。
いったい俺はどうすべきなんだろうか。
ヴォルフもまた思い悩む。詐欺師の戯れ言のような提案に乗っかって、ユーリィを縛りつけていいのだろうか?
彼がこの先ずっと苦しむのだとしたら、強引にでも今すぐ連れ去るべきかもしれない。
右眼をこすれば、俺は魔物へと変化ができる。まだ自分の意志で制御することはできないが、あの狼魔なら彼を護ってくれるだろう。
だが、少年は自ら立ち上がった。
ヴォルフに助けを求めることなく、ジョルバンニの顔を見つめたまま。さきほどの呆けた表情はすっかり消え去って、光が蘇る。美しき顔は、王者のそれへと戻っていた。
「分かった、そうしよう」
侯爵は、しっかりとした足取りで数歩前にある机へと歩み寄る。
並べてある書類をジッと見つめ、やがて右端の一本を持ち上げた。
「これにする」
その声には、待ち受ける運命を受け入れようとする潔さが感じられた。
「後悔はございませんね?」
大きく頷く少年を見て、ヴォルフ自身も覚悟を決めた。
半時後、憲兵に案内され、ユーリィとヴォルフはゲルルショールフォンベルボルト城にある別の部屋にいた。
ソファに座った少年はすっかり憔悴して、見ている方も辛かった。
彼の気持ちが痛いほど分かるので、慰める言葉すら見つからなかった。
「子か……」
ユーリィがぼんやり呟く。
それが彼の引き当てた運命だった。ちなみに他の書類も開き、イワノフ公爵が言ったとおりであると確認した。
(それにしても、まさかの結果だな)
ふたたび波乱の幕が開けたようだ。
俺たちを翻弄しているのは、神なのか悪魔なのか。
隣に座り、ヴォルフは金色の髪を優しく引き寄せた。
「大丈夫か?」
慰めの言葉は未だ見つからないから、それだけ言うのが精一杯だ。
もしかして泣いているのではと腕の中に目をやれば、少年が真っすぐに見上げていた。
「ヴォルフ、僕は別に後悔はしていないよ。あれを選んだ時から覚悟はできていた。これ以上、民衆を傷つけることは許さない」
ああ、そうか、彼はもう真の支配者なのか。
そう悟ってしまった。
「だけど……」
「だけど?」
言葉を切って、少年が腕の中に顔を埋める。
その肩はわずかに震えていた。
「兄さんがあまりにも可哀想で……」
虐め抜かれた相手の不幸を嘆く、そんな彼が本当に愛しかった。