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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第138話 裏切り

 細い雨が降りしきる中、討伐隊はとある街へと到着していた。イワノフ公爵領内にあるそこは、ユーリィにとって因縁のある場所だ。

 一年前、連続殺人の犯人だった市長を爆死させてしまった。正当防衛だったとはいえ嫌な思い出である。(※シリーズ3「金色の誘惑」参照)

 事件当時はずいぶん賑やかな町だと思ったものだが、ふたたび訪れてみるとすっかり閑散とした雰囲気となっていた。


 新しくギルドから任命された市長は中年の気の弱そうな男である。なにも知らされていなかった彼は真っ青な顔をして、五千人の兵士とともにやってきたソフィリアス皇帝を、役所で出迎えた。

 いったいなにごとかと尋ねる市長に、アーリング将軍討伐だとベイロンが説明する。すると市長はますます青くなって、どうか街を戦禍に巻き込まないで欲しいと涙ながらに訴えた。


「別にここで戦いをするわけじゃないから安心しろ」


 ユーリィのその説明に納得したかは分からない。しかし渋々とうなずいた市長は、街を討伐隊の為に開放することを約束してくれた。

 街は公爵領内あるが、ギルドとの共同統治が行われていて、こうした街は帝国内にいくつもあった。街が忠誠を誓っているのは領主かギルドで、税金もギルドと領主に半々に支払われる。つまり領主かギルドから直接命令でなければ従わなくても良いことになっているのだが、現在イワノフ公爵領はユーリィが実質領主なので、逆らうわけはなかった。

 役所は五階建てのしっかりした建物だった。前市長が建てたそうで、ギルドや憲兵や裁判所など、街の行政を担っているらしい。その最上階に討伐軍の本部を置いて、今後について作戦会議を開いた。

 開放すると言われても、ソフィニアの五分の一ほどの大きさしかない街には、さすがに五千人の兵士を収容するような建物はない。しかしいくつかの公園が街のあちこちにあった。これも前市長が造ったものらしい。

 あんなことさえ起こさなければ、統治者として立派だっただろうに。

 そう思うと、他人の運命を変えてしまう自分の宿命を、ユーリィは改めて嫌になった。

 それはともかく、二箇所の公園に兵士用の陣営を設置した。どちらの公園にも木が十分に植えられているとのことで、それらのいくつかに雨避け用の麻布を張って、武具などが濡れないようにさせた。食料などは街にあった備蓄を用意させ、城攻略への準備を整えた。


「なぜ直接ゲルルショールフォンベルボルト城へ侵攻しなかったのですか?」


 夜も更けて、兵士に休息命令を出したのち、一息ついたベイロンが怪訝な表情を隠しもせずユーリィにそう尋ねた。

 ずっと気になっていただろう。ブルーも同じだったようで、ベイロンの隣で二度三度うなずいて同意して見せた。


「あの城から一番近いここを落とされたくなかったから。それだけだよ」

「つまりアーリング士爵は、あの城を出てここを攻めると?」

「まず僕がすぐにアーリング攻略をしなかったのは、あいつの性格を分かっていたからだ。あいつは自尊心が強すぎるのが欠点だってことをね。僕が折れて謝るのはもちろんだけど、すぐに討伐に向かってもあいつのプライドは傷つかない。むしろ悪政を強いる皇帝だと貴族や民衆を煽っただろうさ」

「そうならないように待っていらしたと?」

「戒厳令で民衆が業を煮やすのを待っていた。それと籠城に限界が来ることも。兵士たちの食料を確保するために、僕が攻撃に向かえば、きっとここを攻めようと考えてたはずだ。しかし僕が行くより先にここを堕としたら、あいつの名誉に傷がつく。だれも住んでいない城を占領するのとはわけが違うからね。ここは私領地であり、反撃ではなく明らかに侵略だ」

「なるほど……」

「夜が明けたらすぐに城へ侵攻する。ただし兵士と魔軍の半分は残しておけ。万が一取り逃がしてここへ逃げ込まれて、民衆を人質に取られたら厄介だから」

「分かりました」

「二人ともゆっくり休めよ」


 部屋から出て行く二人を見送って、肩の力が抜けた途端、立ちくらみに襲われた。

 偉そうなことを言ったけれど、本当に自分は正しいのかという迷いは常にある。それを見せまいと、必要以上に虚勢を張っている疲れが出たようだ。

 倒れそうになるのを堪えて、近くにある机に手を伸ばしたその時、背後から体を支えられた。


「大丈夫か?」


 部屋の片隅でずっと黙って立っていたヴォルフだった。

 狼魔から人へとその姿を変えて戻ってくるまでは、本当に気が気でなかった。ここではダメだと行ったのは、本当はもう二度と戻れないから。

 しかしその安堵を簡単に見せられるような立場にはなく、ずっと我慢してきたのだ。

 治まりきらない目眩を押して、背後にいる男へと腕を回した。

 その意味を悟った彼は、ためらいもなく唇を寄せてくる。それが嬉しくて、夢中でむさぼった。

 舌を絡ませ、腔内をなぞり、確かにここにいるんだと確かめ合う。

 そうして快楽に苦痛が混じり始めた頃、求め合う時は終わってしまった。

 けれどまだ満足できず、引き寄せられるままその胸へ頬をつける。


(そう、この匂いだ。あいつのとは違う……)


 言うことができない裏切りを忘れようと、ユーリィは目を閉じてヴォルフの言葉を待った。


「また顔色が悪いな」

「最近、外に出てなかったせいさ」

「無理はしないでくれ。君がいなくなったら……」

「その時は一緒に逝ってくれるんだろ? だから僕はなにも怖くない」

「そうだな」


 わずかな沈黙のあと、頭を触ってきた指に髪が絡む。

 その感覚が懐かしく、ユーリィはフッと笑った。


「また聖人みたいなことを言うかと思ったよ」

「キスしたことか?」

「だってこの間まで嫌がってたじゃないか」

「別に嫌がってなんていなかったさ」

「ホントかよ」


 疑いが拭えず、怖々と顔を上げる。

 狼魔の姿がそこにあったらどうしようかと一瞬バカなことを考えた。


「で、ジュゼたちはどうした? 子竜は?」

「その件だがまだ解決してはいない」

「どういう意味?」

「この戦いが終わったら教えるよ」

「なら自分のことは? お前はフェンリル? ヴォルフ?」

「君を愛するモノだ」

「それじゃ前と――」


 同じだと言いかけて、ユーリィは口をつぐんだ。色違いの瞳が同じ光を放っている。それになぜか満足してしまった。


(だって昔みたいなキスだったし……)


「なにを笑ってる?」

「ヴォルフらしいセリフだなって思ってね」

「俺らしい?」

「暑苦しいってことさ」


 離れたくないという気持ちを抑えて体を放す。

 今はヴォルフの欲望を求めるわけにはいかなかった。


「本当に顔色が悪いな。今ので気分が悪くなったんじゃないのか?」

「あ、うん、少しだけね。でも平気、大したことじゃない。僕だって少しは大人になってるんだから」


 それ以上は考えたくなくて、なんとなく室内を見回す。ガーゼ宮殿にある執務室よりもやや狭いここは、市長室だそうだ。宮殿ほどでもないが、なかなか豪勢な調度品が揃っている。壁際にある本棚にも、高価そうな古書が並んでいた。


(やっぱ、あの市長は私欲を肥やしていたのかも)


 そう考えると楽になる。

 自分のせいではなく、所詮そういう運命にある者たちなのだと……。

 

「ユーリィ」


 呆けそうになった瞬間、ずいぶん久しぶりに聞いたその名前を呼ばれて、何気なく振り返る。

 するとせっかく放した体を引き寄せられ、ふたたびきつく抱きしめられていた。


「な、なんだよ!?」

「俺はたぶん融合した」

「う、うん」

「融合して蘇ってきたのは、君を失うんじゃないかという恐怖だ」

「またそんなことを――」

「いや、聞いてくれ。昔はこの世界から消えてしまうんじゃないかとそれが怖かった。それから、この世界に君を盗られるんじゃないかと苦しくなった。そして今は……。あの地霊が言っていた、君に執着する闇があると。もしかして君は――」


 その言葉を遮ったのは、ユーリィではなく激しく打ち鳴らされたノックだった。

 ヴォルフの腕がますますきつく締まる。

 行くなとそう言っているんだ。

 けれどそれを振り払う道を選んでしまったのだからしかたがない。ユーリィは放してくれと訴えた。


「ごめん、ヴォルフ」

「ああ、分かってる。俺も皇帝である君を守りたいという気持ちに嘘はない」

「うん」


 離された腕を名残惜しく思いつつ、扉へと近づき、中に入るように許可を出した途端、ベイロンが険しい表情で中へと飛び込んできた。


「一大事です、皇帝陛下!」

「アーリングが動き出したか?」

「いえ、違います。イワノフ公爵が……」


 ベイロンの視線は、背後にいるヴォルフへと移っていった。気にするなと言っても、まだためらった様子である。


「彼のことは気にするな」

「そうですか。では今し方ギルドから知らせが来たのですが、イワノフ公爵がお亡くなりになったとのことです」

「死んだ? どうして?」

「そ、それがどうやら何者かに殺されたと……」

「え!?」


 そうなることは予想していなかったわけではない。

 けれどなぜこのタイミングでという疑問が頭の中に膨れあがった。


「犯人は?」

「不明です。公爵の他に憲兵が二人殺され、一人が行方不明だそうです」

「行方不明の者が犯人かもしれないな」

「生き残った憲兵たちの話によると、十日ほど前にギルドから一人追加に派遣されてきたそうです。しかしギルドはそんな者を送った覚えはないと。その男が持ってきた任命状も真っ赤な偽物でした」

「なぜ偽物だと分かった?」

「ジョルバンニ議長のサインがあったそうですが、議長が自分のものではないと」


 違うとユーリィは直感した。

 それは間違いなくジョルバンニのものだったはずだ。

 そして彼が送り込んだ男は……。


「どんな男だったって?」

「黒い髪で、ジェスと名乗っていたぐらいしか分からないそうです。あまり他の人間とは関わりを持とうとしなかったそうで、唯一親しかった男が殺された二人のうちの一人だったとのこと。もう一人は門番をしていたとの話です。それ以上の詳しいことはソフィニアに戻ってみないと分かりません」

「そう……」


 ジョルバンニが差し向けた黒髪の男がだれかなんて、考えなくても分かる。

 あの皮肉交じりの笑みを浮かべるあいつに違いない。


“ユリアーナ、お前が欲しい”


 あの闇で名前を呼んだ声が、遠くの方から聞こえてきた。

 そのためなら手を血に染めることも辞さないと。


(なんでだよ、ハーン、なんで殺した?)


 父親だけならまだしも、憲兵まで手を出す必要などなかったはずだ。

 もうかばうことなどできないかもしれない。


(かばう……?)


 どうしてそう思うんだろうかと考える。

 あの屋敷で彼の運命を変えてしまった罪滅ぼしとでも思っているのだろうか。


「どういたしましょう、皇帝陛下」

「別にどうもしない。予定通り、明日はアーリング討伐に向かう」

「しかし……」

「イワノフ公爵はとうの昔に、歴史の舞台から降りているんだ」

「そうですか、分かりました」


 ベイロンが出ていき、ユーリィは近くの椅子へと腰を下ろした。

 いつの間にかヴォルフがそばにやってきて、心配げな様子で顔をのぞき込む。

 だが自分がどんな表情をしているのか見られたくなくて、ユーリィは顔を背けた。


「ユーリィ?」

「明日は早いから、もう寝るよ。隣の応接室にあるソファでいい」

「本当に大丈夫か?」

「父親に愛情なんか持ったことは一度もないから、別に……」

「イワノフ公爵のことではなく」

「それ以外に気にすることなんか、僕にあるわけないだろ!?」


 ムキになって反論し、そして知らぬ間に乱れていた心に気づいて、酷く消沈した。

 こんな感情をヴォルフには見せられない。あの男に欲情した過ちを知られ、裏切ったと思われたくはなかった。


「もう寝るから」

「ああ、分かった」

「ヴォルフは……」

「外で適当に寝るよ」


 そう言って静かに出ていこうとしたヴォルフの腕に一瞬手を伸ばしかけ、そして下へと降ろした。


 パタンと扉が閉まる。

 その音に責められているようで胸が痛んだ。

 それでも考えずにはいられなくて、窓へと顔を向ける。


(ハーン……)


 夜はまだ雨に濡れていた。そんな中であの男はいったいどこでなにをしているのか。

 そう思うことさえ裏切りだとは分かっていたけれど。


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