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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第137話 狼魔、帰す

 生ぬるい風が、雨に濡れた草原を走る。その風に逆らってチャリオット(戦馬車)が街道をひたすら東を目指していた。

 二輪の白い車体を引いているのは二頭の馬だ。馬と馬車を繋ぐシャフト上には、小さな御者台があり、その背後にある騎乗台に座席はない。その御者台と騎乗台をぐるりと囲んだ車体は、後方が高くなっていて、むろん屋根はなかった。

 戦闘時は御者を降ろして騎乗台に立つ二人のどちらかが、馬車を制御する。二つの車輪では不安定で、ちょっとした段差でも飛び跳ねた。かなり古いタイプのチャリオットである。


(やっぱこれは無茶だったかな……)


 さすがのユーリィも不安がある。しかしわざわざ宮殿の裏庭にある王宮時代の骨董品を引っ張り出してきたのにはわけがあった。

 馬車を囲むのは数百の騎馬兵と、十数体の魔物たち。槍を持った歩兵は背後から付走って付いてきている。それが理由だった。

 もしも四輪馬車の中で、指揮官がのうのうと移動していたら彼らはどう思うだろうか。こんな急場しのぎの軍隊の志気を高めるには、これぐらいしか考えつかなかった。

 行軍はまだしばらく続きそうだ。けれど歩兵が疲れない程度に、御者には速度を抑えてさせたていた。フルアーマーももちろん無し。あれは体力が減るばかりで、持久戦になりそうな今回の戦いには向いていない。ユーリィ自身も銀の胸当てと、そろいのサークレットだけだ。以前装備したものは華美すぎて気に入らなかったので新たに作ったのだが、作り直した意味がないほどのものが出来上がってしまった。

 胸当てには細かい装飾が全体に施され、両肩に羽根のような形の突起物が付いている。サークレットはそれよりも華美で、胸当てと同じ銀細工の装飾に加えて、額には青緑の大きな宝石。さらに右耳から顎にかけて肩の羽根を細長くしたようなものが付いている。


 首を守るにしたって、何故右側だけなんだ!?


 今朝届けられたそれを見て浮かんだ疑問はそれだった。

 すべての原因はチョビ髭ことシュウェルトである。あれだけシンプルで防具らしい形にしろと頼んだのに。腹が立って文句を言うと、彼はしれっとした顔で、


「皇帝陛下が新兵と同じような物を装備なされていては、威厳に関わります。それにあまり重いものですと、陛下が動けなくなりますので」


 うぐぐっと唸って、サークレットについて文句を言うと、


「両方に羽根飾りを付けてしまうと、お美しいご尊顔が隠れてしまうと職人が申しておりました」


 そんな想定外の理由に二の句が継げなくなった。

 すると、ユーリィの怒りをさすがに感づいたシュウェルトは、その長い首をすくめて怯え、作り直すと言い出した。

 しかしそんな時間は当然ない。製作を依頼してから半月以上かかったのだ。それにこんな物のために無駄遣いもしたくはない。防具を頼りにしなければならないほどの接近戦になったのなら、どんな物を装備してようと負けは見えている。


(こんなの着けて喜ぶのは、ヴォルフぐらいだよなぁ)


 少々邪魔な右顎の羽根を指先で弄りつつ、空を見上げる。垂れ込めた暗雲から、細い雨が降ってきたのはつい先ほど。兵士たちが全員濡れそぼつ前に、目的の場所に到着したかった。

 速度を上げるべきなのか?

 しかし目の前の御者台に立つのは、まだ若い兵士だ。ユーリィが声をかけるたびに飛び上がって反応するので、迂闊には声を掛けられなかった。


「どうなされましたか、皇帝陛下」


 隣に立つベイロンが、怪訝の表情でユーリィを見た。


「雨が降って来たから、もうちょっと速度を上げた方が……」

「はい、わかりました!!」


 御者台の兵士が叫ぶ。

 聞こえてしまったと思ったと同時に二頭の馬にムチが激しく打たれ、急速に速度が上がった戦車が飛び跳ねる。その勢いでよろけて落ちそうになり、ユーリィは慌てて戦車の縁につかまった。


「バカか! 気をつけろ!!」

「はい、すみません!!


 巨漢の司令官の怒声に、兵士の体が硬直した。

 しかしユーリィにしてみれば、戦車が安定しないのは御者のせいばかりではないと分かっている。車輪が二つしかないこの馬車に乗るのに、ベイロンと自分の体重差にも問題があるのだ。

 アーリングの麾下(きか)にいた武将は、だいたい同じような体格をしている。首も足も手も太い巨漢たちだ。その中でもディンケルとベイロンは、髪の色が違う双子と思えるほどよく似ていた。

 萎縮した御者に制御され、馬車は極端にスピードが落ちていく。

 するとふたたびベイロンが叫ぶ。


「だからお前は!」

「すみませんすみません」

「もういい! 俺が……」

「ベイロン待て」


 御者台へ移動しかけた男をユーリィは慌てて制止した。


「おい、御者、さっきと同じ速度まで上げればいいから、落ち着いて操れ」

「は、はい」


 その後いろいろ手間取ったものの、馬車はなんとか元の速度に戻っていった。


「良いんですか、大侯……皇帝陛下」

「なにが?」

「雨が酷くなる前に、到着しかったのでは?」


 さすがのベイロンもまた飛び跳ねられては叶わないと思ったのか、前に聞こえないように小声になっている。


「そうだけど。まあ、いいさ。もうすぐ着くんだろう?」

「たぶんあそこに見える丘陵地の向こう側です」

「なら、たぶん間に合う……」


 そう言った矢先、遠くで雷が鳴り響く音がした。それとともにやや強くなった雨粒が、顔を打ち付ける。妙な飾りの先端からしたたり落ちた水が、首元を濡らした。


「やはり自分が御しましょう。おい、お前。今すぐ降りろ」

「僕の隣に来させればいいよ。降りるのに馬車を止めたら、部隊全体の動きが鈍くなって、そのぶん遅くなるし」

「了解です」


 ベイロンは若い兵士の襟首をつかむと、ヒィという悲鳴を無視して強引に引き寄せ、代わりに自分が御者台へと移動していった。

 ところが、その移動が戦馬車のバランスを少々崩したらしい。今までになく前後に大きく揺れて、ユーリィは背後の壁に体を押しつけた。

 ディンケルと似ているのは見かけだけで、性格はずっと乱暴らしい。この男を今回の討伐の総司令官にしたのは失敗だったかと後悔しつつ、ユーリィは御者役だった兵士を見やる。

 速度が上がっていくことに気づかないのか、彼はフラフラと揺れていた。


「縁につかまれ、落ちるぞ」

「は、は、はい」


 よほど恐がりなのだろう。その声が震えている。

 それなのにまだ不安定に揺れたまま呆然としているのはどうしたことか。


「だから早くつかまれって。落ちるから」

「すみませんすみませんすみませ……ああっ!!」


 言わんこっちゃない。

 浅く被っていた軍帽が、床へと落ちた。慌てた兵士はそれに手を伸ばし、さらに体勢を崩すと、ユーリィへと倒れかかってきた。


「わっ、ちょっ!!」

「皇帝陛下!」


 御者台のベイロンが叫ぶと、馬車がぐらりと揺れた。

 なにがどうなったのか分からない。

 たぶんベイロンが御者台で動いて、そのせいで全体のバランスが崩れたんだろうと思った頃には時既に遅し。

 車体全体が左に傾く。そのまま倒れるかと思いきや、今度はガツンという音と足下に強い衝撃を受けて、左側が大きく跳ね上がった。

 運が悪いことに、ユーリィが立っていたのはその左側で、衝撃で馬車の外へ投げ出された。


(やばっ)


 体が飛ばされていく。とにかく頭から落ちないようにしなくちゃと体をよじったが、間に合いそうもない。


「皇帝陛下!!」


 ベイロンの叫び声と、緑色の草、黒色の空、青灰色のなにか。


(青灰色……?)

 

 飛ばされてたのは一瞬だったのかもしれない。

 その短い時間の中で、耳に聞こえたもの、目に映ったものがグチャグチャにユーリィの頭に渦巻いて、それから___。


(帰ってきた! 帰ってきた! 帰ってきた!!)


 あふれ出た感情が、体勢を変えた。

 飛ばされていく先にあるその肢体に手を伸ばし、もがくように求めて……。


「ヴォルフ!!」


 抱きついた瞬間、ブルーグレーの体毛に覆われた魔物は、優しく受け止めるように徐々に下がって、やがて地表へと降りたった。


「ヴォルフ!」


 もう一度その名を呼ぶ。

 フェンリルとは今は言いたくなかった。

 なぜならこの魔物が、愛しき者であって欲しかったから。

 もしもすべてが飲み込まれ、消えてしまったと考えるのも嫌だった。


「凄いタイミングだな、お前。こんな時に帰ってくるとさぁ。ジュゼは元気だった? 竜は倒せたの? 子竜は無事? 島は? リュットは?」


 会いたかった。

 会いたかったんだ。

 そう言う代わりにヴォルフの声を、心を模索した。

 

 けれど、狼魔が人へと変わることはなく、その肢体を離して、鼻面を寄せてきた。


「ヴォルフ……?」


 中途半端な体勢だった体を起こし、距離を作った魔獣を見上げる。

 光る相貌が、左右違う色をしていることに安堵を抱きつつも、いっこうに人へと戻らないにことに不安を覚えた。

 そんなユーリィの内面を悟ったかのか、頭の中にフェンリルの声が流れてくる。


――人に戻るのは後の方がいいだろう?


 どうしてと言いかけた時、色違いの瞳が周囲を睥睨し始めた。それに釣られてユーリィも見渡せば、幾百の瞳がこちらを見ている。その表情はどれも同じで、近くまできた司令官のベイロンですら、困惑した顔つきで突っ立っていた。


「そう……だね……あとでいい」


 黒の上下の汚れを軽く払い、ユーリィは立ちあがった。

 これを着た時から決めていたではないか。

 冷静に冷徹に行動しようと。

 その意志を伝えるため、フェンリルの瞳を一瞬見つめ、すぐに踵を返してベイロンの方へと歩み寄る。


「皇帝陛下、お怪我は?」

「平気だ。それより、ここから僕は使い魔に乗っていく」

「大変申し訳ありませんでした。あの男に御者を命じた自分の責任です」


 ユーリィと同じく馬車からはじき飛ばされたらしい兵士は、傾いた車体を直している。手の甲に付いている擦り傷が痛々しかった。


「あいつは歩兵として後ろに回せ。馬車はお前が操れ、ベイロン」

「了解しました」


 雨脚はさらに強まっていて、兵士たちはずぶ濡れに近かった。雷の音が辺りに鳴り響く。その雷鳴に負けじと司令官が大声を張り上げた。


「皇帝陛下の使い魔が戻ってきたぞ!! 間違いなく我々が勝利する!!」


 濡れた兵士たちの歓声が高らかに、暗雲の中へと抜けていった。


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