第134話 討伐軍、出陣
ソフィニアの暴動を鎮圧したのち、ライネスク大侯爵はまだ夜が明けていないにもかかわらず、各方面の幹部を謁見室へと呼び出した。
集まったのは総勢三十五名。時間を考えればかなりの人数である。もちろん任務に就いていた軍幹部は当然だが、ギルド執行部もさすがに暴動の最中に寝てはいられなかったのか、だれも寝起きという面持ちではなかった。
ブルーが一番驚いたのは、ミューンビラー侯爵を初め、貴族たちも十人近く集まったことだった。あとで聞いた話によると、暴動が起こったという連絡があった直後、ジョルバンニ議長が憲兵に命令し、別邸にいる彼らを宮殿へと避難させたらしい。なんにしても抜け目がない男だと、ブルーは改めて感心した。
もう一つ驚いたのは、陸軍司令官の人数だった。反旗を翻したアーリングには五人の司令官が彼に付き従った。そのせいで十日前に宮殿に残っていたのはディンケル、ベイロン、バルガンという三人しかいなかったはずなのに、今は六人に増えている。
これもあとで聞いた話だが、戒厳令が布かれている十日の間、ディンケル将軍代理は自分の腹心を三人、司令官職に加えたらしい。
彼はアーリングの側近だと思っていたブルーは、案外抜け目ない男なのだと知って、冷ややかな気分になった。
そのブルーはというと、数名の配置換えをしただけ。
(まぁ、あっちとは規模が違うから)
そんな言い訳をしてしまうのも、陸軍はアーリングが連れ出した五千人を除いても、まだ一万人以上いるからだ。それに対して魔軍は百人そこそこで、戦闘ができる者はその半分もいない。最近になってようやく、郊外で軍事演習のようなことを始めたものの、まだまだ軍隊としては未熟だった。
(もともとラシアールは、戦闘は苦手だからなぁ……)
他の種族と比べて魔力はそれほど強くない。ラシアールにとって使い魔は本来、移動の手段、つまり馬代わりだ。だから使い魔に戦闘能力を求めていないし、だからこそ戦闘向きではない使い魔が半数近くいた。
しかし何事にもあけらかんとしているのがラシアール族の良いところだ。ライネスク大侯爵には以前、そこがいいと褒められたこともある。好戦的ではないことが逆に、人間社会でも上手くやっていけた理由だとブルーは思っていた。
ところがこのひと月でなにかが変わった。些細なことで不満を漏らし、公然と人間の悪口を言う者が少なからずいる。以前ならゲラゲラと笑って済ませたような仲間の失敗も、必要以上に責め立てる者もいる。そのギスギスした雰囲気が常にブルーを悩ませていた。
と、色々な問題は抱えているものの、まずは大侯爵が言っていたアーリング討伐の件である。この徴集もそれだろうとブルーだけは分かっていたが、徴集されたほとんどは暴動のことだろうと思っているようだ。しかしあえてなにも言わなかった。
謁見室ではずいぶん長い間待たされた。集まった時には星が輝いていたのに、気がつけば空が薄ら白み始めている。その間、隣に立つミランが何度も舌打ちをするのを、ブルーは聞き漏らさなかった。
あの喧嘩以来、友とは必要最低限の会話しか交わさなくなってしまった。視線すら合わない。その原因がアーニャの言うとおりにベーグだったとしたら、もっと腹を割って話し合わなければならないのは分かっているのに、どうもその気にはなれなかった。
(俺、小っせぇな……)
ミランの言葉がまだ許せないこともある。アーニャがもしかしたら仲を取り持てくれるかもしれないという期待もある。彼女と秘密を共有しているという満足感もあった。
そんなことを考えているうちにさらに半時ばかりが過ぎた。さすがに遅すぎる。
(もしかして寝ちゃったか?)
人間の血が入っているとはいえ、それほど体力があるとは思えない。純血のエルフだったら、徹夜などあり得ない年齢だ。十五になるまでは親が飲み水すら気を配らなければならないほど、エルフの子どもは弱い。大侯爵は四分の一しかエルフの血は混じっていないが、本人が言っていた性の話を考えれば、かなり濃くエルフの血が出てしまっているとブルーは感じていた。
(気力で動いてるからな、あの方は……)
いずれその反動が来なければいいと、それだけが心配だった。
やがてミランだけではなく大勢が苛つきを感じ始めた頃、ようやく前方の扉が開かれた。
ジョルバンニ議長を伴い現れたライネスク大侯爵を見て、ブルーが意外に思ったのはその服装だった。
先ほどまでの赤紫の上着、白のベストとズボン、金のクラヴァット(スカーフ)という出で立ちは、大侯爵が好んで着る色合いである。
しかし今は、上着もベストもズボンもクラヴァットも、そしてマントまでが黒だった。ブローチとボタンの銀のみが唯一の色味で、あまりに見慣れない姿にブルーは驚いた。
(珍しいな、黒なんて)
しかし深い意味はないと思った。きっとあのチョビ髭男が用意させたのだろう。そう思いつつ、マントを翻して足早に歩く大侯爵をブルーは漠然と眺めていた。
玉座の前でまで来ると、彼は皆の方へと振り返り、一同を睥睨したまましばし黙り込む。
「チッ、呼び出しておいて無言かよ」
隣でミランが呟いた。その言葉をだれかに聞こえたのではないかとヒヤヒヤして、慌てて肘で小突く。幸いなことに、周りにいる者はだれもエルフなどに注目はしてなかった。
謁見室にいる三十五名は、前方の玉座から後方までを通路のように開けて、その両脇に二列で整列をしている。先頭は右が貴族、左がギルド。貴族の後ろに陸軍が、ギルド幹部の後ろにブルーたち魔軍二人が並んでいる。つまりミランは一番後ろだった。
良かったと安堵するも、こういう場所にはもう二度とミランを列席すべきじゃないとブルーが決意した時、やっと大侯爵が口を開いた。
「本日午後、アーリング士爵率いる反乱軍の討伐を行う!」
その言葉に多くの者が驚いたようで、室内がザワザワと騒ぐ。ミューンビラー侯爵に至ってはなにか文句を言いかけたが、ジョルバンニ議長の「お静かに!」という鋭い声に気圧されて、しかたがなく口をつぐんだ様子だった。
「討伐理由は今から読み上げる。ジョルバンニ議長」
大侯爵の指示に従って、ジョルバンニは胸元から出した羊皮紙を広げた。
「一、ライネスク大侯爵の許可なく、ソフィリアス帝国軍をソフィニアより移動した件。二、ライネスク大侯爵への忠誠を誓ったにも関わらずこれに背いた件。三、ライネスク大侯爵管理下にあるイワノフ公爵領ゲルルショールフォンベルボルト城を無断で占領し、あまつさえ同領にある食料等を消耗した件。四、ソフィニア内の治安維持を放棄した件。以上四点を以てアーリング士爵を陸軍将軍職より解任し、ソフィリアス帝国に対する反逆行為を理由に、討伐軍を派遣して、速やかに逮捕収監をする」
「ちょっとお待ちください、大侯爵」
とうとう我慢しきれなくなったのか、ミューンビラーが鼻息荒く発言をした。
「いくらなんでも早計ではありませぬか!? なぜ和睦を試みにならないのか?」
「僕は十日待った、ミューンビラー侯爵。まさか僕の方からアーリングに和睦を頼めと?」
「それは……」
怯んだ侯爵を、ジョルバンニが遮った。
「なおここにいる一同は、本日よりライネスク大侯爵を皇帝陛下とお呼びするように。戴冠式はまだ先ではありますが、よもや大侯爵が皇帝になることに異を唱える者がここにいるとは思えませんので、問題はありますまい。ソフィリアス帝国が建国されたのだという意識を深め、さらに志気を高めるためにも、これに反することなきように。ミューンビラー侯爵、ご理解していただけますな?」
「し、しかし戴冠式を前に……」
「ミューンビラー侯爵、建国宣言の時に言ったはずだが、僕の……ソフィリアス帝国皇帝ユリアーナの意思は、貴族院・ギルド議会・両軍部の決定よりも優先すると事解しろ」
きっぱりとそう言い切られて、侯爵は言葉を失ったようだったが、やがて胸に手を当て、頭を垂れて、忠誠の姿勢をとった。
「御意でござります、皇帝陛下」
「討伐軍の編制、ソフィニア内の警備についてはこれから説明をする」
ジョルバンニ議長がまた別の紙を懐から取り出して、それを読み上げている最中、ブルーはふと思い出していた。
“正直、僕がどこまで治世を続けられるか、自信はないんだ”
彼は確かにそう言った。
もしあれが本音だったとしたら、今どんな気持ちであそこに立っているのだろう。十七歳とという年齢は、エルフであっても人間であっても複雑な年頃だ。エルフなら幼児期から子どもへ、人間なら青年から大人へと。その両方を兼ね備えている皇帝は、さらに複雑だろう。不幸な生い立ちを過ごし、許されぬ愛を胸に秘め、あの華奢な体では抱えきれないほどの重責を背負っている。
出会ってからまだ半年にも満たないが、あの火山島で彼が見せた表情が、ブルーには印象に残っていた。
本当は自由になりたいと願っているのではないだろうか。それでもなお、空も星もなく、風も吹かないこんな場所に立っている姿に心が痛む。
(そうか……だから黒装束なのか……)
その深い意味は分からない。けれど改めて思い返し、ブルーはその決意を感じ取った。
“正直、僕がどこまで治世を続けられるか、自信はないんだ”
ふたたびあの言葉が脳裏に蘇る。
のちに、皇帝の本音だと断言できる言葉はそれが最後だったと思うブルーであったが、もちろんその時には知るよしもなかった。
「おい、ブルー将軍、聞いてるか?」
突然の呼びかけに慌てて顔を上げると、疑うような青い視線がブルーを刺していた。
「あ、はい、聞いてます」
嘘ではない。疑われてもしかたがないことを考えていたものの、頭の半分はちゃんと耳へ直轄させていたのだ。
「今ジョルバンニが説明したように、この遠征では魔軍が中心となるが、昨夜のようなことがあるかもしれないから、将軍が留守中にここが手薄になるのは困る。だから司令官職をあと二人ほど増やして欲しい。将軍が信頼する者で構わないから」
「分かりました」
「早急に頼む。向こうが籠城の準備を整える前に崩したい」
「つまり奇襲ですか?」
「そういうことだ」
ブルーとの会話が終わると、皇帝は反対側に立つディンケルへと顔を向けた。
「ディンケル将軍、まだ報告がないけど例の件はどうなった?」
「ご命令通り、ゲルルショールフォンベルボルト城までの街道沿いに陣を張っていましたところ、やはりかなりの数の兵士が逃げ出してきているようです。幾人かは投降を願い出たので、現在審議中です」
「おおよそで良いけど、何人ぐらいだ?」
「そうですね、五百人近くは……」
「やっぱりね。そろそろ彼らも巣穴にいるのは限界が来ている頃だろうと思っていた。あの城にはそれほど備蓄はないし、周辺にあるのは綿畑ばかりだ。もちろんいくつかの集落はあるけど、アーリングの性格からすれば略奪は嫌うだろう。けれどこちらが攻撃をするとなれば、略奪行為に走るかもしれない」
「なるほど、そのような深いお考えがあったのですね」
「ジョルバンニ、この戦いが終わったら戒厳令はすぐに解け。ミューンビラー侯爵は、ソフィニアに留まっている貴族たちに、僕が戻ってきたら領地への帰還を許可すると知らせてくれ。けど僕が負けたら、アーリングがどのような政策を執るのか僕の知ったことではない。軍事政権にならないことをせいぜい祈るんだな。ディンケル、ブルー、二人はあとで執務室に来るように。以上だ」
背筋を伸ばし、顎を上げたその姿は確かに威風堂々としたもので、ミューンビラー侯爵でもきっと皇帝らしい風格だと認めることだろう。しかしユーリィという少年を知っているブルーは、過去に見た表情がどうしても重なってしまう。
悲しげな瞳、茶目っ気ある笑みや、困り果てた表情。それらすべてが本来の姿だ。
(姉貴、俺たちの知ってるユーリィが消えてなくなりそうだぜ)
今はそうならないことを願うしかない。
やがて皇帝ユリアーナは黒いマントを大きく翻し、謁見室から出ていった。
「オレだけじゃ頼りにならないってか?」
隣でまたミランが呟く。それを横目で睨み付け、ブルーは吐き捨てた。
「俺も小さいが、お前も小さい男だな、ミラン」
その日の昼過ぎ、ゲルルショールフォンベルボルト城に向けて討伐軍が出陣した。使い魔を操る魔軍が五十人、ベイロン率いる陸軍が約五千人。新たに将軍職に就いたディンケルはソフィニア防衛の任務に残った。
空には珍しく黒い雲が立ちこめている。使い魔の上でそれを眺め、ブルーは言いしれぬ不安を感じていた。
(ヴォルフさんは、どうしているんだろう?)
皇帝の守護神である青い狼魔は、未だ帰っては来ない。