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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第六章 炎天
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第132話 砂上の城 前編

 手元にある書類に承認のサインをして、ユーリィは卓上右側にある処理済みの山へと積み重ねた。朝からずっと、執務室でこの作業を続けている。今ので十八枚目だ。左側には未処理の書類がまだ数十枚残っていて、その一番上の羊皮紙に手を伸ばしてから、ふと手を止めた。


(そういえばフェンロンは、樹皮紙を使ってるらしいけど)


 羊皮紙は生産性が悪く、一頭の羊からでは卓上にある書類すべてを作ることできない。しかも国内は深刻な羊不足で、現状ではセシャールから羊皮を輸入している。そのため不要になったものは表面を削って再利用し、無駄遣いを抑えていた。

 その点フェンロンで最近開発された樹皮紙は、生産性が羊皮紙の数倍あるらしい。火や水に弱くて破れやすいという話だが、利用価値はありそうだ。


(フェンロンから技法を盗めないかな……)


 その手段を色々思案していた為、ユーリィの左手は書類の上で止まったまま。それを見とがめたジョルバンニが、訝しげな表情でユーリィの方を向く。彼は未処理の書類を減らすまいと、すぐ脇にある小さなライティングテーブルで頑張っていた。


「寝るのなら横になった方がいいですね」

「寝てない、考えてただけだ」

「またですか」

「なんだよ、またって」

「いっそご休憩なされたらいかがですか?」

「お前、その間に書類を増やすつもりだろ? そんなこと絶対にさせないから」

「競い合っているつもりはないで」


 自分の幼い発想を恥ずかしく思ったものの、好戦的な気分は引っ込められず、ユーリィは相手を睨み付けた。


「そもそもお前の文字が、ものすごく読みにくいのが悪いんだよ」

「そうですか、読みにくいですか」


 にべもなくそう答え、ジョルバンニは指でメガネを押し上げた。

 それを見て、以前に彼が自分は弱視だと言っていたことをハッと気づく。それが原因だとしたら悪い言ったかもしれないと、ユーリィは少々反省した。


「あっ、もしこの部屋が暗いのなら……」

「明るさの問題ではありません。私の悪筆は親からも言われていたことなので、その癖が抜けないのでしょう。分かりました。明日から筆記は別の者にさせることにします」

「別にそんなこと、わざわざしなくてもいいのに」

「私も仕事を徐々に減らしたいと思っていたので、ちょうどいい頃合いです」

「へぇ、なんで?」

「私の独裁政治だと思われるのも困るからです」


 なにを今さらそんなことで言っているのだと鼻白んだ気分で、ユーリィは眼鏡の奥にある琥珀の瞳を見返した。


「半分は当たってるじゃないか」

「私は貴方に独裁者になって欲しいのだと言いましたが?」

「お前の方が上手くやれそうだけどね」


 ジョルバンニは大小合わせて百以上はあるギルドから上がってくる、数々の問題をほぼ一人で処理している。しかも短期間で組織再編ができるほど行動力があり、賄賂は徹底して嫌い、自分に対してどろこか噂があった人物までも排除しているという。ギルド内では一部を除き、かなり評判は高かった。

 ユーリィも彼の実力を認めていないわけではないし、彼がいなかったらこの政変はできなかったことも分かっている。ただ、自分を利用しようとしていることと、陰湿な企みを好むことと、人間味が感じられない態度が気に入らないだけだ。


「私には多くを惹きつける衆望がないとも言ったはずです」

「そんなの無くたっていいと思うけど……。それで別の者ってだれ?」

「ニコ・バレクはご存じですよね」

「ああ、あいつ」

「彼は私の母方の従兄弟です」

「だから似てるのか。でもお前にしては珍しいじゃん、身内を優遇するなんて」

「身内だから優遇しているわけではありません。彼が有能だからです」

「ま、なんでもいいや」


 ジョルバンニの事情や内面について興味がないわけではない。けれど探ったところで、なにかが分かるような気もしなかった。


「いずれにせよ、今日はご昼食をよくお召し上がりになったようですから、お昼寝をなされたら宜しいかと」

「僕は幼児か! それに無理に食べたのは、そろそろ……」

「そろそろ?」

「なんでもない。それより続き」

「この一枚で終わりです。羊皮紙ギルドから羊皮の輸入量増加の要請がありました。加えて牛だけではなく羊もセシャールから仕入れて欲しいとのこと」

「あ、それ、僕もたった今それを考えてたんだ。だから寝てたんじゃないぞ。フェンロンで新しい樹皮紙が発明されたって聞いたから、その技法を__」


 激しく打ち鳴らされたノックに言葉が止まる。

 その音は、新たなる事変が始まる合図でもあった。

 文字通り部屋に飛び込んできたのは、ディンケル将軍代理で、彼は街のあちこちで暴動が発生したと、唾を吐き飛ばしつつユーリィに告げた。

 恐れていた事態が起こってしまった。あの悲劇から数ヶ月、人々はひたすら堪え忍んでいたが、十日も続く戒厳令にとうとう我慢が効かなくなってしまったようだ。“不安は不満の種”と、ある学者の統治書に記されていた通りだ。

 直後、ジョルバンニはなにも言わずに部屋から出て行った。


「まさか、逃げるつもりじゃ……」


 閉じられた扉を眺め、ディンケルは不平を漏らす。


「憲兵長へ指示を出しに行ったんだと思うよ。もしくはギルドからなにか働きかけるのかも。いずれにしても、あいつはあいつで動くだろうから、放っておけ」

「彼を信用していらっしゃるのですね」

「してないさ」


 即答はしたものの、知らないうちにジョルバンニを当てにしている自分がいることを、ユーリィは自覚した。

 けれど、さっきのような小さな諍い程度なら、なにも気にすることはない。この先ずっとあの男が執権を握っても、別に悪くはないのではないかという思いも胸にあった。


「ディンケル、一日で制圧するぞ。ブルーにも早急に来るように連絡してくれ」

「はっ!」



 のちにソフィニア暴動と呼ばれるその事件は、最初は小さな喧嘩だった。しかし騒動は次第に大きくなり、やがて街の五か所に飛び火した。

 人々は戒厳令中にもかかわらず、夜遅くまで街中を練り歩いた。中には武器を手にした元ハンターも混じっていて、対応した兵士や憲兵とは一触即発の状態。だがユーリィは、絶対に手を出すなと言う命令を下した。

 一人でも犠牲者が出れば、今後の治世がやりにくいことになる。これ以上反対勢力が増えるのはゴメンだと、ラシアールたちにも街の上空を飛び回るだけに留めさせた。


 しかし真夜中を過ぎても事態はいっこうに収まらない。そればかりかあちこちで火事場泥棒のような事件も多発していた。


「このままでは、とても一日で制圧などできません!!」


 対策本部として急場の陣を設けた宮殿中庭で、ディンケルがユーリィにそう訴える。だから武力行使での鎮圧を許可して欲しいということらしい。


「それはだめだ。もっとヒドいことになる」

「ですがっ!」


 二人の横にはブルーが立っている。彼もディンケルと同意見らしいことは、その険しい表情でよく分かった。


「ブルーも同じか……」

「大侯爵のお気持ちは分かりますが、やっぱり早くなんとかした方がいいと思います」

「兵士たちも限界です。疲れも溜まってきていますし、命令違反を犯す輩がいつ現れても不思議ではありません」


 現場はかなり緊迫しているらしい。ディンケルの話では、練り歩く数千人の民衆を数百人の兵士が家に帰れと呼びかけているが、だれ一人従わないのだという。


「こちらが手を出さないと分かってからますます図に乗って、投石や唾を吐く者も現れる始末です」

「誰も彼も限界ってことか」

「ええ。ですから……」


 昼間ジョルバンニに“そろそろ”と言ったのは、これを予感していたわけではない。けれど時が満ちたのだと、民衆が訴えているとユーリィは感じていた。


「群衆は五か所だって言っていたよね。ブルー、場所は分かる?」

「ええ、分かりますけど……」

「ま、まさか、大侯爵自らが行かれるのですか!?」


 とんでもないというように、ディンケルが目をむいた。


「行くよ、もちろん」

「どうかお止めください。大侯爵にもしものことがあれば……」

「大丈夫だって。あ、その前にあいつを呼ばなきゃ」


 夜空を見上げると、新月から一日経った細い月が、満天の星に遠慮しているかのように薄く光っていた。


(結局、戻ってこなかったな……)


 あの伝言を聞いてから十日が過ぎた。しかしフェンリルはいっこうに現れず、だから独りでなんとかするしかない。

 ヴォルフのいる西の空から北へと体ごと向きを変え、小さく呟く。


「ガーゴイル、おいで」

「大侯爵、まさか……」

「そのまさか。でもガーゴイルに抱えられて飛ぶのは、金ピカ天子としてはちょっと不格好だろ? だからお前のドロベタが入っている鳥モドキに一緒に乗せろよ、ブルー。パッと派手に終わらせるぞ」


 その後ユーリィは、渋るブルーを言いくるめ、彼の使い魔に寄生されているランガーに乗り込んだ。翼が四枚、蹄のある脚が四足、顔が鷲という奇妙な魔物だが、赤茶の羽毛が生えた馬だと思えば乗り心地は悪くなさそうだ――けれど、ものの数分で後悔する羽目になる。

 宮殿の上空まで舞い上がった時、溜め池の畔にいたガーゴイルが追いついてきた。相変わらず飛ぶ姿は悪魔のようだ。しかしコウモリのような翼、人間に似た長い両腕、鋭い爪がある両脚、醜悪な猿のような顔を持つこの異形は、実は心優しい聖獣である。だからフェンリルがいなくてもきっと上手くいくはず。

 それなのに、後ろでユーリィの体を支えているブルーが余計なことを言う。


「本当はフェンリルに来て欲しかったのでは?」

「ヴォルフには答えが見つかるまで帰ってくるなって言ったんだ」

「あーすみません、風の音でよく聞こえませんでした」


 面倒くさいので二度言う気にはならず、代わりに空に浮かぶ月をもう一度見上げた。


(僕も頑張るから、ヴォルフ、お前も頑張れ)


 いつかまた、なんでもない日常が来ることを願って、今は先に進むしかないのだから。


 しばらく街の上空を旋回し、下の様子を窺っていた。

 通りという通りは人があふれている。その中でも大勢が集まっている場所は、確かに五か所。人々は松明やランタンなどを手に、ひたすら行進を続けている。口々になにかを叫んでいるようだが、なにを言っているのか上空からでは分からなかった。


「まずは人が少ない東通りの連中から行くよ」

「了解です」


 早速ブルーの指示でランガーが急激に旋回し、体が大きく傾いて一瞬ヒヤッとした。すぐ下をガーゴイルがゆったり付いてくるのが見える。見栄を張らなければ良かったなと後悔しつつ、百人ほどが行進している上空へと到着した。


「ガーゴイル、水を頼む。激しくしたら駄目だぞ」


 とはいえ、ああ見えてもガーゴイルは人の言葉が分かるから信頼はしていた。

 すると期待通りに醜き聖獣は、いい具合にどしゃ降りの雨を群衆の上へと吐き散らした。

 突然の豪雨に人々は軒下へと逃れていく。が、それでも全身びしょ濡れになったことは窺い知れた。


「ブルー、少し降りろ」


 即座にランガーは胃液が逆流しそうな勢いで降りていく。

 後悔を通り越し、だんだん腹が立ってきた。


(これはヒドすぎる……)


 寄生しているドロベタが悪いのか、ランガーそのものが悪いのか。いずれにしてもフェンリルに戻ってきて欲しいという思いがますます強くなった。今までずいぶん気を遣ってくれていたあの魔物が、ヴォルフと本当に同化したなら、どれほど乗り心地が良いだろうと考える。

 その時____


「大侯爵、今、嫌らしいこと考えてたでしょ?」

「はぁ? なにを言ってる」

「あれ? おかしいな」

「おかしいのはお前だ。とにかく一気に片付ける。まだ先は長いんだから」

「そうですね、あと四か所ある」


 ブルーは今回の暴動のことだけを言っているらしいが、ユーリィにとってはまだ序章に過ぎない。そして新たなる局面を迎えるための正念場でもあった。


 やがてランガーは人々の表情が見えるほどの高さまで来ると、まるで蚊のごとく四枚の翼を激しく動かし、建物の間を乱雑に旋回し始めた。


「天子様だ!!」


 一人が気づき、次々とその呼び名が叫ばれる。

 しかしユーリィはそれどころではない。


(うっ、気持ち悪……)


 色々考えていたことが、すべて吹っ飛んでしまった。

 しかし人々は、金ピカ天子がなにか言うだろうかという目付きで自分を見上げている。やはり一言でもなにかを言った方がいい。

 すべて忘れてしまったけれど。


「っと、あのさ! 風邪を引く前に、早く家に帰って寝た方がいいよ!」


 言った本人が“うわぁあああ”と叫び出したくなるような内容である。本当はもっと説教じみたことを威圧的に言うつもりだったのに、なにもかも終了してしまいそうな陰鬱で暗い声しか出なかった。

 しかし民衆はなぜか、程なくして一人二人、やがてほぼ全員がちりぢりになって、入り組んだ狭い路地へと消えていった。


(吐きたいのを必死に我慢してたわりには、結構明るく言えたからか……?)


 そう思うことにしようと決めて、別の場所へと移動を命令した。

 そうして残り四か所のうち三か所も似たようなことしか言えず、にもかかわらず人々は素直に解散してくれた。

 あとで聞いた話によると、兵士たちとの死闘も覚悟して行進を続けていた彼らだが、水を撒かれて意欲がそがれ、さらに天子様の心配げな声を耳にして、今日はもう止めようと思ったそうだ。

 心配していたのは自分のゲロだったと、絶対に後世に伝えまいとユーリィは心で誓った。


「さて、一番厄介な場所が残ってますよ」

「丘の上か。何人ぐらい集まってる?」

「およそ二千人。今までの連中は、騒動に便乗して鬱憤を晴らしていただけでしたが、丘の上にいるのは、明らかに反体制派だってディンケル将軍代理が言ってました。元ハンターも多く混じっているらしくて、放っておくと第二の反乱軍になりかねない。もしかしたら、裏でだれかが糸を引いているのかもしれないとも」

「貴族連中、もしくは制裁されたギルドの残党かな」

「かもしれませんね。どうしますか?」

「もちろん行くよ」

「また水を撒かれるおつもりで?」


 返事によっては、無理にでも宮殿に連れて帰ろうという気配がブルーの声にはあった。

 もちろんそんなことをするつもりはない。というより、もうこれ以上は胃袋をかき混ぜられる状態は耐えられなかった。


「今回は降りる」

「ご冗談を……」

「こんなことで負けていたら、僕は絶対に先に進めない」


 そう言って、遠目に見える小高い丘に目を転じる。そこは星空よりも明るく、煌々と光っていた。不安と不満を燃料にした数百の灯火が、丘全体を燃え上がらせているのだ。


「まさか攻撃するつもりではないですよね?」

「話し合う、もしくは威嚇する」


 途端、背後にいるブルーはヘラヘラ笑い、明るい声でこう続けた。


「威嚇、いいですね。貴方らしい」

「僕らしいってなんだよ!?」


 馬鹿にされたのかと思い首を巡らせると、黒い髪を風にかき乱されたブルーの表情は、およそ将軍らしからぬ、もしくはイタズラ決行前の悪ガキのようになっていた。


「色々です。ああ、でもなんか久々にワクワクするなぁ」


 しかしユーリィ自身はさほどワクワクとした気分にはなれず、複雑な思いで近づいてくる丘を眺めていた。


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