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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第五章 黒南風(くろはえ)
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第131話 星空の融合

 月も雲もない星月夜。

 無数の星が、青紫の夜空を覆っていた。その煌めきは、天頂から水平線に至るまですべてを埋め尽くす。

 しかし天頂近くには、異界へ続く穴のごとく星影を遮る闇があった。紛れもなく翼竜だ。左右に広げられし翼は、完全に臨戦態勢に入っていることを物語る。既視感を覚えるほどに、ひと月ほど前と同じ状況だ。

 影は次第に大きくなり、やがて頭部を傾け急降下を開始した。同時に、熱気に揺らめく(ほむら)が、開かれた口より吐き出される。


――――!!


 赤い球体が流星のようなスピードで迫ってきた。途端、炎など効きはしないと分かっていても、身体が勝手に動いていた。

 四肢で宙を蹴って、左旋回で急上昇。尾の先に熱を感じるほど間一髪で辛うじてかわすと、次の瞬間、耳をつんざくような爆音が星空と大地を包み込んだ。

 小石が四方へ飛び散り、崩れた大岩が火口へと転がり落ちていく。火口の底では灼熱のマグマが舌なめずりをするように、岩が来るのを待っていた。


 遠くで子竜が甲高く鳴いている。呪ているのは運命か、それとも親か。

 それを哀れに感じ、憂いだあの青い瞳を、星芒の中に探してしまう。本人が望んでいるのはそれではないと分かりつつも……。


 しかし今は感傷に浸っている場合ではない。

 右手上空に滞空していた竜が、ふたたび炎を吐いた。今度は球体ではなく、熱波を放つ火炎だ。それを逃れて降下すると、背後から追撃を受ける。

 軌道を変えて右へ飛び、次は左へ。そのたびに辺りは赤く染まり、ごつごつとした火山の岩肌が浮かび上がった。

 どうにも埒があかず、今度は上昇を試みる。だが軌道を完全に読まれ、頭上から数百の火の玉を浴びせられ、慌てて下降した。

 完全にいたぶられている竜への怒りと、炎を恐れている己に焦りを禁じ得ない。今までそんなことはなかったはずだ。

 怒りと焦りに任せ、何度も同じことを繰り返し、時が無駄に過ぎていく。

 やがてさすがに体力の消耗が激しくなった頃、突如、頭の中に声なき声が聞こえてきた。


『なにを遊んでおる?』


 周辺に視線を走らせるも、暗すぎてフクロウの姿は見つからない。


『よいか、ヴォルフよ、おぬしの半身を信じるのじゃ。ゲオニクスとはエルフの言葉で“炎狼”という意味がある。恐れるでない、炎はおぬしの味方であるぞ』


 その言葉がもう一人の己に届いたのかどうか定かでないまま、頭上を見やる。こちらに興味を失った竜は、森にいる子竜へ首を巡らせていた。

 刹那、広げられた翼が半分に閉じられた。首が傾き、先端のとがった尾が伸びる。


『行け!』


 頭の中で精霊が叫ぶ。もしくは己が叫んだのか。

 四肢で気流を蹴り、落ちて行く竜へと駆けた。軌道を見越して、山肌ぎりぎりを飛行して、子竜のにる森へと。


『森は焼くんじゃないぞ!』


 付きまとう精霊の声を鬱陶しく思いつつ、さらに速度を上げた。全身から青白いオーラが、今までにないほど強く闇に散る。

 ようやく本当の変化(へんげ)が始まったのかもしれない。

 ずっと抱いていたヒトであることの違和感、魔物であることの拒絶感。それを抑えていたのは少年の存在だけだった。

 しかし今、双方が徐々に解けて、存在が一つになっていく。あらゆる感情も記憶も、俺が俺であることへの証に過ぎない。異界に生まれ、ヒトの世で育ち、存在するために戦い、ひたすら愛を求め、ヒトの世に呼ばれた瞬間から忠節を誓った。

 ただそれだけだ。


 火山と森の境界線上で、竜の行く手を阻む。すると、敵は降下するままに火炎を吐き出し、揺らぐその先端が襲いかかってきた。

 もう二度と怯むことなどない。正面から突っ込むと、体毛が炎を弾く。それでこそ俺だ。異界にて炎の中から生まれ出た一瞬より、この体には常に炎があった。

 散じた炎の中から飛び出し、威嚇も込めて咆哮を一つ。その息とともに内にある火炎を吐き出すが、相手は同じく炎より生まれしモノ。やはり効くはずもなく。

 だが求めていたのは撃破ではない。火炎を受け止める瞬間に、両翼がわずかに広がるのを見逃さなかった。

 機動力ではこちらに分がある。分厚い鱗に当たり、炎が星空へと四散するのを見た次の瞬間、相手の懐に向かって空を駆け上がる。

 狙うは首の付け根。竜の唯一の弱点はそこだ。前回はヒトの思念が邪魔をしてそのことを思い出せずにいた。


 もう寸前に迫っている竜の首に牙をむく。だがこちらの動きを悟ったのか竜は両翼を広げ、気流を捉えて上昇した。

 にわかに届かない。そればかりか、目の端には湾曲し始めた尾が見える。鋭い先の狙いは腹。その前に喉元を食いちぎって駆け抜けなければ……。


 前足を搔き、首を伸ばす。

 しかし、目に入った竜の瞳は勝ち誇ったような光があった。


“あのモノにひどく執着する闇がある”


 だから絶対に戻らなければならない、ヒトの姿で。

 力をくれ! 我が主よ!


 すると、全身を包んでいたオーラが、まばゆいばかりの光を放った。瘴気とも魔力とも呼べるものが、全身から吹き出していく。光と力が、一瞬にして臨戦態勢にあった竜を吹き飛ばした。


 漠然と滞空し、その姿を眺める。

 竜はバランスを崩したまま山頂まで到達し、そこで体勢を立て直したようだった。


『万が一のことがあればワシも手伝おうかと思っていたが必要もなかった。どうやら新たな力を手に入れたようじゃの、ゲオニクス』


 気づけばすぐ横でフクロウが飛んでいた。丸い瞳の中は星の光がちらついている。世界のすべてがそこに映っているようだった。


『この世界がおぬしの存在を認めようとしている。ただしあのモノがおぬしとともにあればこそ。そしてあのモノがこの世界に光を与える存在となった時こそじゃ』


 竜は星の下を大きく旋回していた。下りてくる様子はない。だから今のうちにこちらも体勢を整え、新たなる攻撃に備えようとそう思ったその時、意識の中になにかが入ってきた。


“我が子に翼が生えるまで、しばらく待とう。光あるモノがもし真であるのならば、よかろう、くれてやる”


 そうして翼竜は、流星の流れる彼方へと飛び去っていった。




 その後しばらく竜の再来を警戒して留まり、フクロウとともに森の中に降たのは明け方近く。水平線はすでに金色に光っていた。

 島の近くに二隻の帆船が停留しているのが少々気になった。この島には一隻しかなかったはずだ。なにかあったのかと不安を覚えつつ、小屋へと急ぐ。道すがらヒトへと戻ったが、今までのようにふらつかない。そ二足歩行への違和感はあったものの、れも森を抜けていくうちにあっさりと治まった。

 ようやく小屋に到着すると、小さな窓からぼんやり明かりが漏れていた。

 出迎えてくれたのはエルフの女ジュゼだ。ハゲ頭はイスに腰掛けて、うたた寝をしていた。


「さっきまでは起きてたんだけどねぇ」


 優しげな瞳で伴侶を眺め、疲れただろうと言って椅子を勧めてくれた。


「で、どうなったんだい?」


 その質問に首を振って答えると、勘違いした彼女は小さなため息を吐き出した。


「そう。なら子竜は……」

「子竜は無事だ。親を倒せなかったと言いたかったんだ」

「それってつまり次の新月にまた?」


 すると、図々しくも頭に乗っていたフクロウが代わりに答えた。


『子竜に翼が生えるまで待つそうじゃ』

「竜がそう言ったのかい?」

「意思だけ伝わってきたよ」

「待つってなにを?」

「ユーリィが真であったらと言っていたが、どういう意味か俺には分からない」

『そのうちわかるじゃろう。しかし半年もあるまい。子竜の成長は早いからのぉ』


 たった半年の間にその曖昧なことが分かるのだろうかという不安がある。

 いずれにせよ、早く戻って彼に伝えるべきだ。


「アンタはなんか変わったねぇ、ヴォルフ」

「へぇ、どんなふうに?」

「初めて会った時の目つきに戻っているよ」

「それはどういう―――」


 言いかけた言葉を、突如鳴り出したノックに遮られた。


「なんだろね、こんな朝早くに……」


 嫌な予感がした。

 その予感は大抵の場合、当たってしまうことも過去の経験から知っていた。

 案の定、開かれた扉の中へ飛び込んできたのは、険しい形相の中年男だ。彼は盲目の少女の父親だった。いつも穏やかな男がそんな表情を浮かべているのに、出迎えたジュゼも驚いていた。


「どうしたのさ、ガンチさん、こんな朝早く」

「あんたら、早く逃げた方がいい」

「いったいどういうこと……?」


 ジュゼの問いかけに、男は成り行きを説明し始めた。


「夜中に火山の上で、魔物どもが戦っていたのは知っているか? 村の連中も騒いでいたんだが、どうやら本土の方からも山の様子が見えて、なにかが起きていると騒ぎになったらしい」


 そこまで言って、男は確かめるように背後を見る。かなり焦っているらしく、説明する言葉も早口だった。


「そんで城から来たお偉いさんに、この島では魔物を飼っているのかって村長が言われたらしい。なんでも片方の魔物がエルフの使い魔の大狼だったのを、船上から見たそうだ」

「あ、ええと……」


 困ったような視線をジュゼが投げかけてきた。その時にはもうハゲ頭は起き出していて、彼女の横に黙って立っていた。


「だから村民は魔物の味方なんだろうって言いがかりを付けられ、船は取り上げるって言われたらしい」

「なんだって!? んなことしたら、この島で暮らしていけねぇじゃないかよ」


 青くなって叫んだハゲ頭を、男はシッと言って(いさ)めた。


「声がデカいぞ、ハイヤー。だけどお前の言うとおりだ。だから村長がそれは困ると訴えたんだけど、城の連中は許してくれなかった。そしたら村民の一部がジュゼの使い魔だろうって言い始めた。しかもこんなことになったのは全部あんたらのせいだから皆殺しにしてやると過激なことまで言い出して、村は大騒ぎだ」

「うそだろ!? 本気じゃなねぇんだろ?」

「数人は本気だな。ジュゼ、あんたの死体を彼らに見せれば、きっと許してもらえるはずだって言って、武器を持ってこっちにやって来てる」

「ふざけんなよ。ジュゼはなんにもしてねぇよ!!」

「ハイヤー、声がデカいって言われたよね? でも困ったねぇ……。折角ここでのんびりと暮らそうと思っていたけど、アタシが出ていった方が――」

「ジュゼェェェ、そんなこと言うなよォ。オイラも一緒に行くからさぁ」


 涙目になった夫を妻は優しく慰める。


「アンタはばーちゃんを守らないと駄目だ。大丈夫さ、アタシじゃなくても可愛いお嫁さんはすぐに来るよ」

「そんなのダメだよォ。オイラにはジュゼしかいねぇんだよォ」

「だけど……」


 そんな会話を聞いていうるうちに、気づけば俺は彼らの隣に立っていた。


「俺が……いや魔物が出ていけば済む話だ。しばらくはここにいる理由もなくなったから、すぐに出て行こう」

「あっ、そうか、それだったら……」


 安堵の表情を浮かべたジュゼに、眉をひそめたままの男は駄目だと言った。


「どうしてだい?」

「あの悲劇で本土にいる親族を殺された連中だからな、今はかなりいきり立っている。落ち着くのを待って俺が説得するから、今は森にでも行って隠れてくれ。じゃないと娘に泣かれるんだよ。あの子はあんたを相当好いているから。それになぜだか知らないが、大狼も悪い魔物じゃないって言い張っているんだ」


 ジュゼのところに遊びに来た盲目の少女が、庭先で寝ていた俺のそばまで来たことがあった。最初はジュゼの導きで怖々と近づいてきたが、十日も経つと抱きつくまで慣れてしまっていた。


「今はとにかく逃げてくれ。な?」

「だったら魔物が脅かせばいいんじゃないのか?」

「それはもっとダメだ、ヴォルフ。そんなことをしたら余計にハイヤーたちは島に住めなくなる。だからアタシが……」

「ジュゼェ~、それはもっとダメだってばよォ」


 押し問答になりかけたその時、背後の扉が開く音がした。


「ウダウダ言っとらんで、オマエらもはよ支度せんか」


 立っていたのは腰が少々曲がりかけた老婆だ。皺だらけのその手には、薄汚い麻袋が握られていた。


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