第130話 さ迷うエルフ
アーニャに相談すると決めてから三日、ブルーはそれを実行する時間を作れずにいた。
さすがに将軍ともなればなにかと忙しい。アーリングの反乱以降は徐々に激化して、今日に至っては一日が終わるのがあっという間だった。
帝都ソフィニアの治安は絶対に維持しろというのが、ライネスク大侯爵の強い意志だ。その為にも各方面と話し合い、決めなければならないことも沢山あった。
街の警備はもともとギルド所属の憲兵の仕事だったが、あの悲劇後は人数が足りなくなり、帝国軍もその任務に就いていた。しかし縄張り争いのようなことも頻発し、だったらこれを機に、三者ではっきり決めようということになった。
意外な発見は、将軍代理であるディンケルはブルーにとって楽な相手だということある。と言うのも、アーリングには歯牙にも掛けてもらえてないという感覚が常にあり、求められて意見を言っても結局は無視された。
その記憶が残っていて、あまりブルーからは意見を出さなかった。すると太い眉と野太い声の持ち主は、魔将軍ももっと意見を出して欲しいと要求してきた。しかたなくラシアールとしての立場や意見を述べると真摯に受け止めてくれて、意見が対立すれば擦り合わせようとする努力もしてもらえた。本当にアーリングの時とは大違いである。
そのことを何気なく伝えると、ディンケルは困ったような顔で笑みを浮かべた。
「アーリング士爵はプライドの高い方なので」
「でしょうねぇ。なにしろ英雄ですから」
すると将軍代理はますます困惑した表情になり、ええまあと曖昧に返事をした。
そうして数時間の話し合いののち、窃盗や強盗などは憲兵が、喧嘩などの暴力事件は陸軍が、ククリ襲撃などに備えて郊外の監視は魔軍が担当という結論になった。その他細かな点も含め、通例通りにライネスク大侯爵およびジョルバンニ議長への報告書を作成した。
会議が終わると、ブルーはディンケルからは予想外の誘いを受けた。二人だけで酒を酌み交わし、親睦を深めたいという。なにか企みがあると思ったものの、断る理由も見つからず、ブルーは渋々その誘いを受けた。
場所は宮殿内にある陸将軍用の執務室。ブルーが使っている所より段違いに豪華な部屋だ。壁紙もシャンデリアも調度品も、旧王宮時代の警護兵も部下も全員追い払って、本当に二人だけの席となった。それがかえってブルーに居心地の悪さを感じさせ、最初の一杯は本当にぎこちない会話しかできなかった。
しかし二杯三杯と進むにつれ、主にディンケルが酔ってきた。図体のわりに酒はあまり強くないらしい。口髭に埋もれた顔が真っ赤になり、舌もよく滑るようになったようだ。そのせいで普段は言わないようなことも語ってくれた。
「アーリング士爵が英雄だというのは、半分は宣伝によるものですよ」
どういうことかとブルーが尋ねると、我々は元イワノフ近衛兵だったのだと彼は説明した。つまりアーリングという男を宣伝によ英雄に仕立て上げ、イワノフ家を良く見せようとした策略なのだという。
数十年前に起こったかの有名な“ガサリナ山脈の戦い”も、敵は軍隊と呼べない相手だったそうだ。その頃山脈の向こうにあるモッツハイド公国は内戦状態にあり、反体制派が敗北し、その残党がガサリナ地域へ逃げ込んできた。それを討伐しただけのことであり、戦争とも呼べない戦いだったのではないかというのが、ディンケルの見解である。
「なるほど、要するにそれを誇大に宣伝したってわけですね」
「魔物退治しても、せいぜい二、三体がいいとこでしょう」
「ああやっぱり。俺も変だと思ってたんですよね。五十体の魔物を、人間が本当に倒せるんだろうかって。ていうことは、アーリング士爵は……」
「いやいや、士爵ご自身はとても立派な戦士ですよ。一騎打ちともなれば、自分程度の者では一撃も加えられず倒されることでしょう。そして戦略にも長けている。しかしそうした才能を、貴族の宣伝に使われてしまったのです」
「ああ……」
アーリングという男をブルーはなんだか哀れに思えてきた。しかし本人がそれを良しとしているので、同情はできなかったが。
「士爵は甥のモデスト氏を本当に可愛がっていましたからね。近衛軍の時代も、何度となく演習に連れてきていました。いずれはご自分の跡取りにと思っていたのでしょう」
「あの遺体を見れば、冷静さは失うかもしれませんね」
ブルーもちらりと見たが、吐き気をもよおす酷い状態だった。
頭は半分潰れていた。巨大な肉の塊と化した胴体は血だらけで、内臓もあちこちからはみ出ていた。右足だけが付いていたが、あらぬ方向に曲がっていた。ちぎれた他の部位は、それがなんだったかもよく分からない状態だった。
「大侯爵は無茶をするからなぁ……」
なにがあったのかはだいたい聞いていたので、ブルーは素直な感想を口にした。
すると、ディンケルは突然「全くですよ!」と声を荒げる。どうやら相手の逆鱗に触れしまったようだ。いくらこちら側に付くと決めても、エルフの混血であり庶子でもあるユーリィに一物ぐらいはあるだろう。
これはマズいことになったぞと、ブルーは硬く口を結んで身構えた。
「本当に大侯爵は考えなしと言うか、無鉄砲と言うか。貴方もそう思いませんか?」
その質問に答えないようにと、アウアウと口の中で意味不明な音を発してやり過ごす。
「お守りする方の身も考えていただきたいですよ、本当に。以前もお怪我をされて、無茶をしないで欲しいとあれだけ懇願したのに、案の定戦いに参加されて、傷が開いてしまって、その上化膿までして。治るのに十日もかかったんですよ、十日も! こっちはまた酷いことになるんじゃないかとヒヤヒヤして、どれだけ気を使ったことか。無鉄砲をなされるのなら、せめてご自分の安全はもう少し気をつけて欲しいものです」
「え……あれ……?」
「なにか?」
「あ、いえ、なんでも。っていうか、なんか……ぷっ……」
自分の邪心と、ディンケルの真剣な訴えがおかしくて、ブルーはつい吹き出してしまった。もちろんディンケルはそんな気持ちが分かるはずもなく、笑いを堪えるブルーを睨みつけている。
「なにが面白いんですか!?」
「ああ、すみません。あなたはユー……じゃなくて大侯爵がお好きなんだなと思って」
「当然です。もちろん忠義という意味ですので、変な誤解をしないでください」
「大丈夫、そんなこと思いませんよ」
「ならいいのですが……。けれどあの眉目は少々問題有りですな。もう少し歳を重ねられれば、気高さに威厳も備わるのでしょうが、今は眉目の良さだけが際立って、もしも懸想を抱く輩が現れでもしようものなら……。いや、もうすでに現れているのか……」
おやっとブルーは思った。
やはりこの男も、ユーリィとヴォルフの関係を知っていたのか。
しかしその真偽を確かめる勇気はなく。
「やはり早いうちに、良いお相手を決めていただかねば……。そうだ、つかぬ事をお尋ねしますが、エルフにとっての成人とはいくつぐらいなのでしょう? つまり子供ができる年齢という意味ですが」
「ええと、個人差はありますが、二十四、五歳だと思います」
「人と比べるとずいぶん遅いですね」
「そうですね、俺たちはあまり気にしたことはありませんけど」
「となると……あと七年……、その前に婚儀だけでも……」
「ディンケルさん、遅いのでそろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
これ以上深追いをさせてはマズいと、ブルーは逃げるように引き上げた。
そんな些細なことはあったものの、アーリングの反乱について、ブルーの考えを改めさせる結果になった。
結局のところ、良い方向にあるのではないだろうか。ディンケルという男はユーリィをずいぶん敬愛しているようだった。その補佐官に就いたベイロンもまた似たような印象を受けた。新しく司令官になったバルガンに至っては、ユーリィのことを皇帝陛下と呼んでいるらしい。
もしなにかの陰謀があったとしたら、企んだのはユーリィではなくあの眼鏡男だろう。
そう考えたブルーだったが、それ以上は止めてしまった。
今は人間同士のいざこざになどに、かまってはいられない。ブルー自身も微妙な立場に立たされていた。
将軍職を任命してたのはユーリィである。けれどラシアール内でのブルーの立場が上がったわけでない。相変わらず種族の中では若造で、ブルーの上には多くの同胞がいた。その頂点にいるのは、齢百十長老シュランプだ。血判書の代わりに“束縛の名”を教えろという話を聞き、長老は“ありえない”と一喝した。
たぶんそうなるだろうとブルーも想像はしていた。使い魔に付ける“束縛の名”は、だれにも明かしてはならないという掟がある。その掟を何百年も守り通してきた以上、簡単に破るわけにはいかなかった。
せめて自分だけでもと申し出たが、長老は決して首を縦には振らなかった。
(マヌハンヌス教徒じゃないなんて、余計なことを言わなきゃよかった)
他になにかジョルバンニに、いや、せめてユーリィに忠誠を示せるものがあるだろうかと考えたが、思いつかない。なんだか追い詰めれている感じがした。
それなのにディンケルのところから帰ってきたブルーを、ミランがふたたび皮肉った。
「おっ、ようやくご帰還か。ずいぶん遅くまでご苦労なこった。将軍ともなれば人間に擦り寄ったりしなきゃならねーから、色々大変だな」
ラシアール館の入口ですれ違いにそう言われ、一瞬で頭に血が上った。振り向きざまに相手の襟首を摑み、力一杯その頬を殴りつける。
「お前につべこべ言われる筋合いはない!!」
その怒鳴り声が中まで聞こえたのだろう。大勢が出てきて、ブルーの剣幕に驚いて立ち尽くしていた。
普段は何事ものらりくらりとかわす質である。しかし今夜は酔いも手伝って、感情がむき出しになってしまった。
(やっちゃったよ……)
急速に熱が冷めて、決まりの悪さだけが残る。それでもミランに謝る気にはならず、尻餅をついて睨んでいる相手を睨み返し、急いで執務室まで逃げ込んだ。
そんなブルーを追いかけて、室内へと入ってきたのはアーニャだった。
「ブルー、あなたらしくもないわよ?」
「ちょっと飲み過ぎたかもしれない……」
「ミランには謝らないの?」
「うーん」
殴ったことは悪かったとしても、言われたことを考えれば五分五分ではないだろうか。そんなふうに考えると、するともしないとも言えずに口ごもった。
「ミランもあなたに敵意むき出しよねぇ。どうしちゃったのかな……」
「あ……そうだ……相談したいことがあったんだ」
親友を殴ったあとだから都合よくとは喜べず、ブルーはおずおずと申し出た。
「私に?」
「まぁ、俺の勘違いかもしれないけどさ」
そう前置きをしてから、ここ最近続いている奇妙なことをアーニャに話した。黙って聞いていた彼女は終始難しい顔をして、時々小さくうなずいて反応するばかりであった。
もしかしたら俺の気が変になったと思われたんではないだろうか。
ふとそんな気がして、ブルーは話の途中で口ごもってしまった。
「なによ、最後まで話してよ」
「いや、なんか俺の気のせいのような気がしてきて……」
「気のせいかどうか、ちゃんと調べてみなければ分からないわ。ベーグが怪しいって、あなたは思ってるのよね?」
「そうなんだけど。ただ親戚を疑うのもなぁ。ロッシュ伯父さんだっけ? その人のことも単に俺がど忘れしているだけかもしれないし、最近疲れが溜まっているから、そのせかもしれないし……」
アーニャの右眉がわずかに上がる。呆れた時にする彼女の癖だ。
「だとしても、そんなに何度も何度もあるわけないでしょ。それにベーグに関わることばかりじゃない。しっかりしてよ、ブルー」
「えっと、なんかごめん」
「もう! 私に謝ってもしかたがないでしょ! いいわ、私が調べてみる」
「君が!?」
そこまでして欲しいと思っていたわけではないので、ブルーは真剣に驚いた。
「いやいやいや、そんなことを頼んでるわけじゃなくて」
「あなたが狙われてるなら、あなたが動いたら逃げられるかもしれないでしょ? 大丈夫よ、上手くやるわ。それにミランのことも気になるから」
最後の言葉に胸がチクッと痛む。
ああ、俺はまだ無関心を装えてないんだなと、そう思った。
「ミランは彼と親しくなっているって言ったでしょ? もしかしたらなにか影響を受けているのかもしれない」
「そうかもしれないけど……」
「なにか分かったら、あなたにもちゃんと報告する。本当よ」
ホクロのある右目を瞑ってウィンクするそんなアーニャの様子を、ブルーは目を細めて見守るほかなかったのだった。