第13話 プライド
ソフィニアの街を出る頃、ユーリィはようやく文句を言う気になった。
それほどムカついていたのだ。
「こんな馬車まで用意したのは、僕をさらし者にするつもりだったんだな」
直後、先導するディンケルの馬にあわせ、馬車は普通に走り始める。あの男もグルだったらしい。そう思うと、ふたたび怒りに火がついた。
今日はなんとしてでも逃げ切らなければならないというのに……。
「さらし者とはどういう意味でしょうか?」
前に座るジョルバンニが、表情薄くそう言った。
「わざわざ馬車の速度を落としていたことだよ」
「みな喜んでいましたが?」
さらに、「ご自分を卑下されるようなお言葉は、あまりよろしくないと存じます」と、眉一つ動かさず彼は続けた。
こういう表情は知っている。自分の内面を隠す時の顔だ。自分自身がそうであったように、ジョルバンニもその防御壁で何かを隠そうとしているのだと、ユーリィは感じていた。
「卑下なんてしてない。真実を言ってるだけだ」
「大勢を魅了できるのは素晴らしいことですよ、侯爵」
「それは、この顔のことか?」
だったら今すぐ切り裂いてやろうかと、そう思った。
ヴォルフは悲しむかもしれないけれど……。
この容姿については、物心つかない時から義母や異母兄に罵られていたので、どうしても好きになれない。雌犬だと言われ、汚らしいと言われ、化け物とまで言われた。
それが愛人だった母に似ているせいだと分かったのは、彼女と初めて会った十三歳の時だ。だけどやっぱり好きにはなれなかった。母に対してそうであったように。
それに男子たるもの、たくましさへの憧れは常にある。ヴォルフのようにしなやかでいて力強さのある容姿でもいいし、アーリングのようにがっちりとした体格になるのも悪くない。エルフの血が濃くでてしまった自分には無理だと分かっていても、希望は捨てきれなかった。
「お顔もそうですが、そのほかにもです。お気づきになりませんか?」
「いや全然、これっぽっちも」
「なるほど、それも魅力のお一つなのでしょう。ですが美しさは悪いことではありません」
なんだか気持ち悪い方向で、話をごまかされた。
それともヴォルフとの件を知っているのだろうか。
薄い表情の中に何かを感じ取れないかと、ユーリィは相手を凝視した。だが悟られるのを嫌ったのか、ジョルバンニはいきなり話題を変えた。
しかももっと嫌な方向に。
「ところで、イワノフのことはご決心なされましたか、侯爵」
「決心も何も、僕はずっと嫌だと言ってる。ギルドでなんとかして欲しいとも言ってる。それ以外の結論は僕の中にはない。今日行くのだって、公爵の様子を見に行くだけだ、一応は親だし……」
窓の外を見やると、もうすぐイワノフ領に入るところだった。
別に立て札や看板があるわけではない。先の方に麻畑が見えてきただけだ。だけどソフィニア周辺には草原しかないからすぐ分かる。あれから先が父の所有している土地であるということが……。
だからあんな馬鹿なことを企まなければ、幽閉されることもなかっただろうに。
どうしてあんなことをしたのか、それだけはぜひ父の口から直接聞いてみたい。
そんなことを考えながら、ユーリィは景色を眺め続けた。
人影は全くない。摘み取られなかった麻は、初冬の陽射しに照らされて鬱蒼としている。あんなふうに放置されるのを望んではいないから、逃げようとしている自分が悪者に思えてしまう。
「イワノフは諸外国と繋がりがとても深い。それをむやみにギルドが廃絶すれば、様々な憶測が飛び交うことでしょう。他の貴族らにも、ギルドに対する不信感を抱かせることにもなりかねない。ですので、対外的な意味も含めて、ギルド法に基づいて正式な裁判を開かなければならないでしょう」
「だろうね」
言った相手を見ることなく返事をする。
「ではギルドがイワノフ公爵を断罪してもかまわないと?」
「そうすればいい。ついでに僕も」
あの事件の発端はイワノフの内部分裂にあったのかもしれない。けれど事態を悪化させたのは、逆恨みされた自分だと思っていた。だから責任を感じ、こうして逃げずに我慢しているし、もし裁くというのなら受け入れるしかないだろう。
ふと溜息が聞こえてきた。仕方なく視線を戻すと、ジョルバンニには珍しく、表情が現れている。薄い唇を歪めて彼は文句を言った。
「侯爵は何も分かっていらっしゃらない」
「何を?」
「人々がなぜ貴方を見ていたか、です。この現状に疲れ切っているのですよ。皆、希望を見つけたいのです。貴方がその希望なのですよ、侯爵」
「僕はそんなたいそうな者じゃないから」
「貴方はギルドがすべてを決めれば良いとおっしゃった。しかし人々を、ソフィニアを守ったのはどなたでしたか? ギルドは何をしましたか? 彼らは知っているのです、ギルドという存在がどういうものか。もしも貴方に代わってギルドが動き出せば、人々は間違いなく絶望するでしょうな」
人々を絶望させるそのギルドに身を置いているのに、まるで自分だけは違うと言わんばかりだ。同じ穴に居て、同じ餌を食べているくせにと、そう思った。
「軽蔑したと、お顔に書いてありますね。ですが“ギルド上層部”の家に生まれたのは私の責任ではありますまい? 貴方がイワノフ家にお生まれになったのと同じことです」
言い返す言葉が見つからない。
(マズい、完全に言い負かされてる)
これ以上喋るとさらに墓穴を掘りそうで、ユーリィは口を閉ざすことにした。代わりにこの男はいったい何がしたいのだろうと考える。
本気であの椅子に自分を座らせようとしているのかもしれない。要するに操り人形だ。糸を握るのはもちろん彼自身。そうしてすべては彼だけのためにソフィニアが動いていく。
嫌な想像だ。だがあり得ないことではない。これまでにも妙な信念を持つ者たちとは何度も出会ってきたから、ジョルバンニがその中のひとりだったとしても不思議ではなかった。
“ゲ“の付く城に着いたのは、それから半時ばかり経った頃だ。
ユーリィがこの城に来たのはこれで二度目。一度目はなぜ来たのかさえ覚えてないほど遙か昔のことだ。名前も正確には分からない。屋敷のようだと思ったことだけはなんとなく記憶にあった。
城の前には人工の大きな池がある。数羽の水鳥が泳ぐ水面の上を、レンガの橋が渡されて、道と城とをつなげていた。城壁はない。戦を意識して作られたわけではなさそうなので、それで十分だったのだろう。
窓の数からすると、どうやら三階建てのようだ。中央にある屋根の両脇に、見張り用の低い塔が二本。青い屋根は、革命直後に好んで使われた色だ。一階部分には丸い窓がいくつかあり、ステンドグラスがはめ込まれていた。
「ギルディアム様式か……」
うっかり呟いてしまった。
「おや、よくご存じで」
すぐさま反応が返ってくる。
「本で読んだだけだよ」
「そういえば侯爵は歴史、兵法、芸術、植物など、多岐にわたってご精通されていると、メチャレフ伯爵が感心しておられましたよ。あの方は侯爵をご信頼なさっているようですな」
「そんなわけない」
魔物どもが消えた数日後、メチャレフ伯爵がソフィニア入りをした。なんでも首を突っ込みたがる爺さんだから、すべて取り仕切ってくれるとユーリィはおおいに期待した。
それなのにあの老人は、十日ほどだらだらと過ごしただけだった。ギルドやラシアールとの会議にも出席はしたが、ほとんど発言らしい発言はしなかった。
そのくせ夜になると部屋にやって来て、イワノフ家の歴史やら兵法やらをぶちまける。しかも毎晩だ。以前、『イワノフ家の歴史を話したければ、あとでじっくり聞いてやる』と言ったことへの当てつけだと思って我慢した。
そもそも貴族連中は、妾腹でエルフの血を引く者など良く思っているはずはない。本心では卑しい存在だと蔑んでいることだろう。メチャレフ伯爵もまた然りだ。
「つまらない嘘で、僕を持ち上げようとするのはいい加減にしろ、ジョルバンニ」
正体の分からない相手と喋るのは、本当にイライラした。
城の前では黒い制服の三人が待ち受けていた。イワノフの近衛兵ではなくギルドの憲兵だ。彼らの前に馬車が止まると、最初に降りたジョルバンニは、その場に残れとディンケルら三人に指示をした。
「いや、グラハンスだけは一緒に来てもらうよ」
ユーリィが言うと、ディンケルが眉をひそめて不満な気持ちを表現した。あいかわらず分かりやすい男だ。
「幽閉された主君の姿なんて見たくないだろ?」
そう説明すると、少し納得したようだった。
そのディンケルの隣に立つヘルマンをチラリ見る。彼がなぜここにいるのかをジョルバンニに尋ね忘れたと思ったが、ろくな理由ではなさそうなのでやめておいた。
どうせ二度と話さない相手だろうから、どうでもいい。
新兵から城の扉へと視線を移す。見上げるほどの高さがあるそれは、ちょうど憲兵たちの手によって開けられようとしていた。
辺りには重厚な軋みが響き渡る。まるで地獄の門が開かれたようなその音が、ユーリィの不安をかき立てた。
城に入ってすぐ、エントランスの中央に赤い絨毯が敷き詰められた階段があった。案内役の憲兵が昇り始めると、その後ろを当然のようにジョルバンニが続く。気づかいとは思わなかったが、結果的にヴォルフに近づけた。
泡立ってしまった不安を消したくて、ユーリィは愛しき者を横目で見た。
わずかに微笑んだ口元に心がうるおう。だからこんな苛立ちや不安など些細なことだ。ヴォルフを失った時に比べれば今は辛くはないはず。
そうは言っても、いつまでもここにいたいわけじゃなし、早くこの重荷を下ろしたい。父親にだって本当は会いたくなかった。
けれどプライドという名の虚勢が邪魔をする。
だれかを救える存在になりたい。
護られるだけの存在にはなりたくない。
自分でもバカみたいだと思う思念に囚われて、どうしていいか分からなかった。
いったいいつから、こんな者になってしまったのか。それとも流されているだけなのだろうか。
二つに分かれた階段の、左へと足を向けた憲兵を見上げながら、背後にいるヴォルフへと片手を差し伸べる。指先がほんの少し触れ合えたから、それだけで満足だった。