第129話 友有りき
「ったく、ホント人間ってムカつくなっ!!」
早朝の呼び出しからの帰り道、ミランはずっと文句を言い続けていた。それを横目で見つつ、ブルーは頭を掻く。どう反応して良いのやら分からなかった。
以前は使い魔で宮殿の中庭から出入りできたのだが、例の暗殺事件以来それが禁止になってしまった。だからしかたなく友と肩を並べて歩いていた。
「ミラン、ちょっと声がデカいぞ」
「だれも聞いちゃいねーよ」
普段ならこんな裏通りでも人で賑わっているはずだった。しかしさすがにこの情勢では外出を控えているらしく、歩いている者の姿もまばら。とはいえ戒厳令が午前中だけ解かれたからそれなりに人通りはあり、ミランの暴言が聞こえやしないかとブルーは気が気でなかった。
エルフにしては背が高いブルーはひと目を引きやすい。着ているのは立て襟に黄色いラインが入っている濃紺の軍服、つまりソフィニア魔軍のものだ。見る者が見れば、ここにいるのは将軍職にある者だと気づいてしまうだろう。
「でも俺は目立ちすぎるし」
「へえぇ、なるほどね。やっぱお前ってさ……」
言いかけてからミランが立ち止まり、つられてブルーも足を止める。二人の横を白い幌馬車が急き立てられるように駆けていき、砂埃が宙に舞った。
「もしかして、またあの話か?」
この間は酔った勢いだろうと流したが、今回はその真剣な目つきに、こちらも真剣にならざるを得ないとブルーは思った。
「そりゃそうだ。将軍になった途端、保身とか」
「言っておくけど、保身するのは自分のためだけじゃないんだぞ。俺は謂わばラシアール族の代表だ。その俺が失態すれば、みんなにも影響が出る。分かるだろ?」
「だから人間に媚びを売るのか?」
「は? 俺がいつ売った? 俺が従っているのはあくまでもあの方だけだぞ! お前だってそうじゃないのかよ!」
気づけば自分の方が声を荒げていた。
前から来た人間の男が、困惑した表情で二人を避けるように通り過ぎる。しかしブルーはミランを睨みつけたまま。今は親友の誤解を解く方が重要だった。
「どうなんだ、ミラン」
「―――いや、そーだけど。でもあの方も自分がエルフだなんて思ってるかどーか、わかんねーじゃないか。確かに人間からしてみれば、エルフに見えるかもしれねーけどよ、俺たちとは全然違う、耳だって目だって体格だって」
「耳はそうかもしれないけど、目は白いところが普通の人間の半分もないじゃないか。それに体も俺たちの子供時代にそっくりだし、性的なことも……。って、そういう話をしているんじゃない。俺の言いたいのは気持ちとか才気とかの問題。あの暗殺事件で俺たちが疑われたのに、あの方は信じているからこそ、ソフィニアの警備を半分任せるって言ってくれたわけだろ?」
口を尖らせた親友の顔は、数十年前に喧嘩した時と全く一緒だなとブルーは思った。それだけに、真剣に訴えれば分かってくれるだろうと信じてさらに続けた。
「ミラン、あの戦いのあと、お前だって言ってたじゃないか、“フェンリルを操って、精霊まで味方につけるなんてスゲぇ”ってさ」
「まあ……そうだけど……」
「なら分かるだろ、人間だったらできないってこと。それどころか、俺たちエルフにだって無理だ。だからこそ人もエルフも従おうって気になってるじゃないか」
「分かったよ」
そっぽを向いてそう言った親友に、ブルーは不安を感じてしまった。この間から将軍がどうの保身がどうの、不平を漏らしているのは、嫉妬から来ているんだろうと考え、補佐官に任命した。
でも、そんなことを気にするようなヤツじゃなかったはずだ。
(まさか、あのベーグというヤツが原因なのか?)
前髪がやけに長い男を思い出す。最近ミランはあの男とずいぶん親しくなっているようだ。ブルー自身も色々と交流しているらしい。だが “しているらしい”と曖昧な気持ちになってしまうのは、なぜかあまり覚えていないからだった。
「お前、なんかちょっと変だぞ、ミラン。やっぱりあのベーグ……」
「もう分かったってば。しつこいぞ!」
半ギレして歩き出した親友に半ば呆れつつ、高くなってきた日差しを目で追って、顔を上げる。太陽の手前には、ラシアール館の塔があった。
(俺たちは太陽の下にいるよな?)
ラシアールという名前が、古代語で“太陽の民”だということを思い出し、ブルーは自問せずにはいられなかった。
その後ラシアール館まで一緒に歩いたが、気まずさは払拭できず無言のままだった。しかし中に入って別れ際、ミランが妙なことを呟いた。
アーニャの様子が少し変だと言う。気になって尋ね返したブルーだったが、にべもなく彼は行ってしまった。だが思い悩む暇もなく、その本人が執務室を訪れた。
相変わらず色気のある目元のホクロに目を細める。子供の頃、“目にゴミが付いている”とからかわれて本人は嫌がっていたが、ブルーは内心可愛らしいと思っていた。
数十年経った今、可愛らしいが色っぽいに変わっているが、相変わらずそのことを口にはしていない。幼なじみの異性を褒めるのは恥ずかしいものだ。ミランがアーニャを好きだと知っているからは、なおさらだった。
ミランがそのことをブルーに告げたのはちょうど十年前、二人とも二十二歳の時だ。性的なことに興味を持つ年齢として、人間には遅すぎるかもしれないが、エルフとしては若干早すぎた。思いの丈をそのままアーニャに告げたミランだったが、見事玉砕。その後どうしたのかはどちらからも聞いてはいない。
聞いてしまえば、自分の想いも溢れ出てしまうのでないかと、それを恐れてずっと無関心を装い続けた。
「ねぇ、ブルー。あなたたち、どうなってるの?」
執務室に入るなり、開口一番アーニャが言った。
「どうなってるってなにが……、ああ、そういえばいつ帰ってきたんだ、アーニャ?」
「えっと昨日よ」
十日ほど前、ガサリナ地方にいる伯母の具合が良くないと言って、彼女は休暇を取っていた。
「伯母さんは大丈夫?」
「ええ、もう元気になったわ」
「そうか、それは良かった。あの人には昔さんざん怒られたけど、俺たち、酷いイタズラをしたからなぁ」
「そうね……」
「でも一番の悪ガキはミランだったぜ。俺はあいつに従っただけだ」
「あら、そうだったかしら?」
ふふふとアーニャが鼻で笑う。その笑い方は少女の頃と同じで、だからこそ着ている軍服に違和感を覚えてしまう。彼女を軍に引き入れてしまったを、ブルーは少々後悔した。
「あ、それでどうなってるって?」
「あなたとミランのことよ。今朝、宮殿に呼ばれたんでしょ? ミランったら凄くイライラしてたわ」
「あー、ちょっとやり合っちゃってね。でも平気さ。子供の頃から喧嘩なんか何十回もしてるんだから」
「それならいいんだけど。私、もしかしたらあのヒトのせいかなって思っちゃったから。ベーグっていうヒト。今も休憩所で、“人間の都合のいい国になるかもしれない”なんて話していたもんだから、私、叱りつけちゃったわ。みんなの不安を煽らないでって」
「アーニャもそう思うのか。俺もあいつは胡散臭いと思ってるんだよなぁ」
するとアーニャは目を何度も瞬かせて、驚きの表情を作った。
「なに言ってるのよ!? 彼はあなたが連れてきたんじゃないの。遠い親戚だって言ってたわよね?」
「そうだった………彼は死んだ親父の遠縁で、子供の頃に会ったことがある……はず」
「はずってなに?」
「ええと、何十年も前だからあんまり覚えて―――」
言葉を切ったのは、右手にある扉がノックされたからだった。
宮殿ほどではないが、それなりに厚みがある茶色のそれを二人で注視する。もしかしたらミランかなと期待して、ブルーは入るように声をかけた。
すると、入ってきたのは期待に反して、たった今話していたベーグだった。
相変わらず前髪が鬱陶しい。もし軍部に所属していたのなら切れと命令できるだろうが、あいにくギルドの配送部に所属させてしまった。
「あ、すみません。お取り込み中だったみたいで……」
部屋の真ん中で立ち話をしていたブルーたちに、ベーグはなにか誤解をしたようだ。
「別に取り込んでなんてないよ。なんか用か?」
「えっと、伯父さんから貴方宛に手紙が届いたので……」
「伯父さん?」
「ロッシュ伯父さんですよ。まさか忘れました?」
「覚えてるさ」
本当はかなり曖昧な記憶である。けれどそれを言ってはいけない気がして、ブルーは明るく返事をした。
「私、行くわね」
「ごめんな、アーニャ。さっきの話はまた今度ってことで」
「ええ」
遠慮して出ていったアーニャに悪いことをしたなぁと思っていたブルーに、いつの間にか隣に立っていたベーグが話しかけてきた。
「さっきの話って?」
あまりの近さにギョッとなり、ブルーは数歩下がった。
机と椅子しかないこの殺風景な執務室を案外気に入っていたというのに、今は恐怖に似たなにかしか感じなかった。
「ミ、ミランとちょっと喧嘩をしてしまったんでね」
「へぇ。どうしてミランさんと喧嘩を?」
「別に大したことじゃない。ガキの喧嘩みたいなもんだ。俺ら、生まれた時から一緒にいるみたいなもんだから。つまり幼なじみってことだけど」
「アーニャさんも?」
「そうだよ」
なぜこの男にこんな説明を俺はしているんだろうか。
別に話す義理も義務もないはずなのに。
そんな疑問が浮かび、それを深く考える間もなく、ベーグは上着の両ポケットにそれぞれ手を入れた。
軍服とよく似た色と形のそれは、両肩から袖に白いラインが入っている配送部用の制服である。違いはそれだけではなく、布地も軍服に比べてかなり薄手なのだが、遠目には分からないだろう。
(遠くからじゃ兵士に見えるなぁ。肩のラインも下からじゃ……ってまさか……)
なぜそんな疑いを持ってしまうのか自分でもよく分からない。ベーグが怪しいという証拠はどこにもないし、そもそも自分の親族なのだから。
「なにを驚いてるんですか? 伯父さんの手紙を渡そうとしているだけですよ?」
「驚いてなんてないさ。それより早く手紙を」
「あ、はい」
ポケットから引き出された右手の指が、白い手紙を摘まんでいた。
筒状ではなく封書というのは珍しい。最近は封筒用の羊皮紙が勿体ないので、筒書が主流になっていた。
差し出された封書に手を伸ばす。刹那、ベーグの左手がポケットからなにか赤いモノを取り出すのを見たような気がした。
ぐらりと揺れる体で我に返り、ブルーは慌てて目の前の机に左手をついた。
(……あれ?)
一瞬自分がどこにいるのか思い出せない。右手に握りしめている手紙を茫然と眺め、いったいどうなっているのか必死に思い出そうとした。
(手紙……なんだっけ……? ああ、あいつの伯父さんからの手紙か……)
細い文字が並んでいる。
見覚えがないと思う反面、そこに書かれていることがなにかを知っていた。
時期の挨拶と甥っ子を頼むという内容。
(そうだ、それを読んだんだっけ。で、どうなったんだ?)
読んだあとにベーグとちょっと会話をして、彼が部屋から出て行って、そして今ここに立っている……はず。
「また“はず”かよ」
心の声に、声を出してツッコミを入れた。
なにかがおかしい、絶対に。
もしかして魔法でもかけられているんだろうか?
それを証明するのになにをしたらいいんだろうか?
必死に考えたが、集中力の欠いた状態ではなにも思いつかなかった。
(だれかに相談した方がいいか……)
まずユーリィを思いつく。しかしそれはダメだとブルーは頭を振った。
(ミランはきっと無理だよなァ。だったら、やっぱアーニャか?)
そう思うと少しだけ心が晴れた。
彼女に相談して、どうにかなると期待をしているわけじゃない。この不安を払ってくれる相手が彼女であって欲しいという小さな願望が、ブルーに決意をさせたのだ。
その決意が、幼友達のそれぞれの運命を変えることになるとは、もちろん思ってもいなかった。