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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第五章 黒南風(くろはえ)
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第120話 剣呑たる旅路

「実にソフィニアス帝国にふさわしい曲ですな」


 ユーリィの前に座るアグレムが言った。彼が言ったのは軍楽隊が演奏している曲のことだ。残念ながらユーリィを愉快な気分にさせるようなものではなかったが、歩くのにちょうど良いリズムではある。本人が自慢していただけあって、作曲者のアシュト・エジルバークはそれなりには才能があるらしい。


 軍楽隊はソフィニアの街を行進していた。その後ろには騎馬隊が続いている。馬たちも音楽が気に障るのか、足並みはあまり揃っていない。

 ユーリィらを乗せた馬車は、その騎馬隊に囲まれるようにして走っていた。後方は数百人の歩兵隊が列を成している。


 相変わらず道の両側では人々が見物をしているものの、以前より人数は減っている。まるで戦争でも始まるかのような仰々しさに不安を感じているか、笑顔もない。兵士の数に圧倒されて、幼児が母親にしがみついていた。


「なんでも“金の天子”と呼ばれていらっしゃるとか。きっとライネスク大侯爵は神のような存在なのでしょうなぁ。さすがその若さで、一国を築こうとなられているお方だ」


 無愛想に「そうですか」と答える。目つきとは裏腹なアグレムの言葉に、背中にゾワゾワとしたものが這い上がり、ユーリィは落ち着かない気分になっていた。

 どんな反応を期待していたか知らないが、アグレムは白けたような表情を作る。その隣に座るグラハンス子爵は、なにか言いたげな目をしてユーリィを見ていた。

 これから五日間、水晶鉱山までこの二人と同じ馬車にいなければならないことに、凄まじい苦痛を感じてしまう。ジョルバンニには別の馬車を用意しろと命令したが、護衛兵の数がどうの、財政的にどうのと反論され、諦めざるを得なかった。



 窓の外を眺め、ここ数日のことを思い返す。タナトス・ハーンが姿を消してから十日ほど経ち、その間に様々なことが起きた。

 事の始まりはハーンと入れ違いに来たブルーが持ってきた手紙だ。それはロジュから届いたユーリィ宛てのもので、休戦協定を結びたいという内容だった。手紙には協定を結ぶ場所、日時、条件も箇条書きに記されてあった。

 本人曰く、街中で見知らぬ男から渡されたという。人かエルフかは酔っ払っていて覚えていないらしい。悪戯かもしれないと思いつつも、持ってきたのだそうだ。

 でも、なぜブルーに渡したのだろう。

 エルフだから?

 とにかくすぐにユーリィは十数名の重鎮たちを集め、ククリの申し入れについて説明をした。当然のごとく半数以上は信憑性を疑ったが、アーリングはなぜか乗り気で、休戦協定の調印には自分が行くと宣言した。

 最終的にアーリング自身が行くのならとユーリィが許可を出し、ギルドも貴族院も同意した。


 要求された休戦の条件は捕虜の解放だった。一人につき三日間の休戦、十人解放で三十日間、女子供を全員なら二年、男も解放するのなら十年、ククリ族は帝国内での破壊活動を行わないとのこと。さらに自分たちが部落を作ることを認めるなら、永遠にソフィニアス帝国民として静かに暮らすと手紙には書かれてあった。

 けれど、すべてを鵜呑みにし、捕虜全員を解放するつもりはさらさらない。病人か老婆だけを二十人解放するように、ユーリィはアーリングに指示を出した。


「協定が破られた場合、帝国はククリを殲滅する」


 ユーリィがアーリングに託したロジュへの伝言はそれだけ。もう過去の感傷に浸るつもりはなかった。

 ソフィニア北東の廃村に次の満月の夜というのが、ククリ指定の場所と日時。その二日前に師団はソフィニアを出発し、途中で捕虜二十名を連行し、指定通りにその村へと到着した。その編成はアーリング、モデスト、四人の指揮官、二百人の兵士、数人のラシアールたちである。


 廃村にはロジュを含めて十人のククリが来たらしい。

 アーリングは、ジョルバンニが作成しユーリィが署名をした公文書を持っていた。その書類にロジュと他一人が署名をしたのち、捕虜が引き渡され、休戦協定の調印式はあっさりと終了した。次は六十日後にふたたび協定を結ぶ。さらにその次の六十日後までになにも起こさなければ、女子供を全員解放するという約束が交わされた。

 ククリたちは剣呑な雰囲気はあったものの、挑発するような言動はまったく見せなかったらしい。ロジュがあれほどこだわっていた水晶鉱山についての要求も、一切なかった。そのことが逆にユーリィの疑心を生じさせた。


 帰還したアーリングは得意満面の面持ちだった。すぐに甥を自分の養子として爵位の世襲許可して欲しいというようなことを匂わせた。

 士爵という称号は他の貴族とは大きく違う。領地のない勲位に過ぎず、世襲も認められていない。いずれはアーリング自身も本当の貴族にと考えているのかもしれない。


 とは言え、アーリングの功績を無視すると今後やりにくくなる。なのでその代わりとして、水晶鉱山遠征時にはモデストを司令官にすると約束をした。

 しかしモデストという大男を、ユーリィは正直あまり好きではない。態度は慇懃だが、目つきや表情にどこか尊大な内面を感じさせる。それはミューンビラーやアグレムから発せられるものと同じ気配だ。その赤ら顔に“不義の子”と書いてあるような気がしてならなかった。

 それとも、卑屈になりすぎているからだろうか?

 故メチャレフ伯爵の言葉がふと蘇る。


『他人が“卑しい”と思うのと、己で“卑しい”と思うのでは雲泥の差がある。自分がどう思っているのか、それが一番大切だ』


 厳しくも優しげな瞳で、老人はそう言った。


(もう一度だけ会いたいな……)


 あの老人が好きだったんだと、今さら気づいて鬱になった。だからもしかして好きになることもあるかもしれないと、馬になんとなく似たアグレムの顔を横目で眺めてみた。

 が、探るような視線とぶつかり、それは無いという結論に至った。



 馬車はちょうど東門を通過していた。軍楽隊はすでに演奏を止め、後方の歩兵たちと合流していた。

 これから砂漠に向かって東へと行軍する。途中で宿泊する四カ所は、すべて廃城だった。とは言っても、ラシアールが先に行って、寝泊まりができるように整えてくれるらしい。ユーリィとしては野宿でもいいと思っているが、グラハンス子爵はともかくアグレムはとても耐えられそうもないので仕方がなかった。


「そういえば、大侯爵。その後、例の事件は進展がありましたか?」


 ふと思いついたように、グラハンス子爵が語りかけてきた。


「例の事件とは?」

「貴方が襲われ、若い男爵が殺された事件です」

「いえ、まだです」

「もうすぐ戴冠式だというのに、色々大変ですな」

「なにかを始めようとすれば、多かれ少なかれ反対者は現れますよ。しかしこの程度のことで揺らぐほど柔ではありませんから、僕もソフィニアも」

「それは頼もしい」


 実直なグラハンス子爵に言われれば嫌味ではないと分かるので、ユーリィは少々照れてしまった。

 だが、アグレムがすかさず言ったことに気持ちを引き締める。それはユーリィ自身も気になっていたことだった。


「ギルドのどなたがお亡くなりになったとか。それもまさか?」

「それはただの事故。暴走した馬車に轢かれたと僕のところに報告があった」


 そう思いたい。

 けれどいくつか不自然な点があることは確かだ。

 たとえば、なぜ男は夜も明けきらぬ早朝に外にいたのか。

 たとえば、なぜ馬が男の目前で暴れ出したのか。

 たとえば、なぜ車軸が折れてしまったのか。

 考えたらきりがないが、その重なった偶然に意図的なものがある気がしてならなかった。

 たぶんそれはタナトス・ハーンを思い出してしまうから。


 あの時、不覚にも体が感じてしまった。

 あまりにもヴォルフの匂いによく似ていて……。

 いや、それは言い訳に過ぎない。ヴォルフを裏切ってしまった罪悪感は拭えず、それなのに気がつけばハーンことを考えてしまう。


(嫌いだって言ってたのに、なんでアイツ、僕に執着してるんだろう)


 金も名誉も、あんなことをしたって手に入りはしないのに。

 それとも、この見た目がいけないのか。


(ハーンもラウロも、僕が運命を変えてしまったんだ……)



 過去のことや未来のことを悶々と考えているうちに時が経ち、気づけば夕闇が迫ってきている。窓の外には初夏の風になびく草原が広がり、その向こうに小さな城の影が見えてきた。

 空には一番星が輝いている。

 その星に呼びかければ、愛しき魔獣が来るような気がしていた。


(ヴォルフ、僕はそろそろ限界だよ)


 しかし心の声はちっとも届かず、代わりに鼻音の強い声が耳障りに聞こえてきた。


「ずいぶんとお疲れのご様子ですなぁ、大侯爵は」


 苛つきを視線に込めて見返せば、相手は驚いたような顔をした。


「おや、起きておいででしたか」

「目を開いて寝るような癖はないからね」

「一日中ほぼ黙っていらっしゃったので、心配しておりました」

「喋るのはあまり好きじゃないんだ」

「セシャールではもう少々愛想良くしていただけると陛下もお喜びになるでしょう」

「努力するよ」


 くだらない。

 なんてくだらないんだ。

 今すぐ馬車を降りて、草原を駆け抜けたい。

 西にある島まで一直線に。

 ふいに現れた自由への欲求を、ユーリィは小さなため息とともに、心の奥からなんとか追い出した。



 その後の三日間は、無愛想にならないように、ユーリィは同伴者との会話を心がけた。


『セシャールとの関係が悪化したらどうなるか、もちろんお分かりでしょうな?』


 出発前にジョルバンニにはそう脅された。もちろん言われなくても、財政が徐々に厳しくなっているのは重々承知している。だからこそ、セシャールとの関係が悪化するのは非常にまずかった。


(そもそも兵士を増やしすぎ。今すぐ戦争しようってわけじゃないのに。それにラシアールの使い魔一体で、兵士百人以上の働きをしてくれる)


 千人ほどしかいなかったイワノフ公爵家私軍を、ソフィニア軍として編制してから半年が経つ。その間に兵の数は二万を越えた。アーリングはまだ足りないという。しかし兵が増えれば、その分だけ金がかかる。復興も建国準備もまだまだ中途半端。貿易も拡大したい。だからこそ水晶と金の対価取引を逃すわけにはいかなかった。その為に嫌々ながら、こうしてセシャールの要求を飲んで砂漠まで行くのだから。



 そして四日目の夕方、連隊はとある廃城に到着していた。谷底を流れる川沿い、切り立つ崖の上に建てられた小さな城だ。王宮時代前のもので、放置されてから百年以上は経っているだろう。ところどころ石レンガの城壁が崩れ落ちている。先に来ていたラシアールがあちこちにかがり火を灯していたが、廃れた気配は拭えなかった。

 古い城壁の向こうには三つの塔の屋根がある。それを見た瞬間、ユーリィはなんだか嫌な予感がした。


 やがて連隊は大きな鉄門を抜け、城の中庭へとやってきた。兵士たちはここで野営となる。馬車を降りたユーリィたちは、モデストら三人の指揮官とともに分厚い木製の正面玄関をくぐった。

 城内では二人のギルド幹部が待っていた。彼らは休戦協定が結ばれた次の日、ジョルバンニの命令で出迎えの準備のため先に来て者たちだ。もっとも彼らが泊まったのはこんな廃城ではなく、近くにある小さな村だが。


「皆様、さぞやお疲れでしょう」


 バレクと名乗った中年の男が、和やかにユーリィたちに言った。


「そうだね。喉が渇いたよ」

「お部屋にご案内いたしましょう。ただ少々問題があるのですが__」

「問題?」

「見てのとおり、このような場所ですので……」


 そういって男は辺りを見回した。

 ここは多角形の大きなホールである。壁も床も表面がでこぼことした石なのは、経年による劣化だとは言いがたい。

 上部はすっぽり抜けている。天井近くの小さな穴から赤い夕日が射しているのが見えた。どうやらガラスは入っていないようだ。建てられた時代から考えると、ガラスはまだまだ希少だっただろう。

 要するに、ここは城というより砦に近い。王宮時代の城のように芸術性など求めてはいないので、どこまでも簡素で粗野に作られていた。


「寝られる場所はあるんだろ、でも?」

「ええ」


 返事をした男の追ってそちらを見たユーリィは、嫌な予感はどうやら当たったらしいと内心舌打ちをした。

 男が見たのは頭上にある回廊だ。ホールをぐるりと囲むように壁際に付いていて、一階から細い石階段で上れるようになっている。その回廊の三カ所、玄関から見て正面と左右の壁に穴がある。一階の同じ位置にも、やはり奥へと続く穴が三カ所開いていた。

 きっと外から見えたあの三つの塔に続いているのだとユーリィは直感した。古い時代に建てられた城によくある造りだ。


(塔か……)


 昔のことを思い出し、気が滅入っていく。


「申し訳ありません。もともと戦のために作られた城なので。もちろんベッドなどは昨日のうちに運び入れてあります」

「私はいっこうにかまいませんよ。むしろ良い経験ができると思っています。なにしろセシャールにはこうした古い城はほとんど現存していませんから」


 グラハンス子爵の言葉に、ギルドの男は安堵したような顔をした。ユーリィもアグレムも別にかまわないと言った。

 だが、気に入らないという表情をしている者が一人いた。


「夕食は? まさか無いのかよ!?」


 その体格を維持するためなのか、若い巨漢はかなり真剣だ。体格のわりに甲高い声を張り上げて、モデストは相手を睨んだ。


「もちろんありますよ。しかしここの厨房は使い物になりませんから、近くの村から持って来させますので、もう少々お待ちください」

「当然、肉料理だよな?」

「さて、鴨肉ぐらいはあるかもしれませんが、なにしろ田舎ですので……」

「一日馬に乗って疲れてるというのに、麦や豆だけでは倒れるかもしれないな」

「ですが、兵士らもたぶん麦粥と煮豆だけになってしまうと思います」

「あいつらは貧乏人の食事に慣れているから平気だろ。僕は肉がない夕食なんて考えられない」


 裂けそうなほど袖も腹も太もももピチピチな軍服を見て、その場にいる全員が“然もあらん”と思ったことだろう。モデストもその雰囲気を感じたのか取って付けたように、「それにライネスク大侯爵にもセシャールの方々にも失礼だ」と口を尖らせた。

 しかし__


「いや、私は別にどんな料理でも気にしません」とグラハンス子爵。

「ソフィニア産の麦は味が良いので好きですよ」とアグレム。

「僕は食べなくても別にいいけどね」とユーリィ。


 ほぼ同時だった。

 モデストは顔を真っ赤にして、ますますいきり立つ。


「伯父のアーリング士爵には、くれぐれもお客様に失礼がないようにと言われているんだ! それを田舎料理で済ませては、司令官としての僕の立場がない!!」


 巨漢の言葉に気圧され、バレクは口をパクパクさせた。


「わ、わ、わ、分かりました」

「分かったって、どんなふうに?」

「ええと、肉が用意できるか尋ねてみます。しかしどうしても無理なら、明日は必ず用意いたしますので」


 塔のこともあり、ユーリィの苛つきは頂点に届きそうになっていた。

 食べ物にそこまで執着できるのは羨ましいと思いつつも、さすがにこの場で言うような文句ではない。しかも自分はまったく興味がないときている。それに司令官としてもっと気にすべきことが色々あるだろう。ここまで酷い男とは思わなかった。過去に何度か会ったことはあるが、すべてアーリングと一緒だから猫を被っていただけかもしれない。


「僕は肉はいらないよ。もし麦粥っていうのがミルクで麦を煮たのなら、絶対にいらない。豆と芋で十分だから」

「芋料理というとアレですか、大侯爵」

「アレ?」

「エルフがよく食している、なんでしたっけ、ミルーラ?」

「ミルールだろ。ミルールは数回しか食べたことはないよ」


 なんだ、このデジャブ感。

 フォーエンベルガー城での会話とほぼ一緒ではないか。

 しかし今は酔っ払って暴れるわけにはいかなかった。


「食べ物のことはもういい。鴨でも兎でも魔物でも捕まえて、丸焼きで出してやれ。肉が食えればいいんだろ?」


 それに対して、モデストは顔をわずかにしかめたものの、なにも言わなかった。


(このデブがアーリングの跡継ぎだって? 冗談じゃない)


 漂った剣呑な雰囲気を払うように、ベルクは空咳を一つしてから「お部屋にご案内します」と静かに言った。


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