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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第一章 地吹雪
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第12話 護衛

 宮殿前に現れた馬車を見て、ラウロは驚いていた。

 赤茶色の車体を、金で縁取った豪華な馬車だ。御者台、車輪、前方に付いた二つのカンテラにも金はふんだんに使われている。黒い(ほろ)と大きな窓、それに大きな車輪は時代を感じるが、どこもかしこも輝いている。豪華なその馬車もさることながら、御者台に立つ男の立派な出立(いでた)ちにも目を見張るものがあった。


「いったいこんなもの、どっから出してきたんだ……」


 呆然と呟いたラウロに、隣にいる男が「中庭の厩舎(きゅうしゃ)だ」と教えてくれた。さらにその(いか)つい顔をしかめ、「それより背筋を伸ばせ、ヘルマン!」と厳しく叱りつけた。

 慌てて姿勢を正す。なぜ自分はここにいるのだろうかと、改めて思いながら……。


 ラウロが侯爵護衛の命を受けたのは昨夜遅くだった。

 最初に出て来た言葉はもちろん、「なぜ自分が?」

 しかしその疑問に答えることなく、詰所に来た使者は「明日の早朝宮殿へ」とだけ告げて立ち去った。

 もしかしたら例の件が原因なのだろうか。あれほど失礼な態度を取ったのだから、罰せられてもしかたがない。

 それなのに……護衛?

 一晩中悩み、命令が嫌がらせなのか()びなのか分からぬまま夜が明けた。もちろん寝不足。そのせいで半分やけくそな気分になって宮殿前に来てみれば、エントランスの階段下で、大柄の男がラウロを待っていた。

 彼はアーリング士爵の手駒のひとり、ディンケル指揮官だ。士爵同様、大きな体と立派な髭は、まさに戦士といった風情である。そんな男に待ち受けられて、平常心でいられるわけがない。緊張でからからに渇いた口であいさつをすると、素っ頓狂な声が飛び出した。しかも、あろうことか敬礼すら忘れている。

 そんなラウロに、ディンケルは眉をひそめただけで何も言わず、持っていた服を押しつけた。


「これに着替えよ」


 それは軍服。ただし下っ端用の濃紺無地ではない。深い藍に金糸の入った士官のもので、ピカピカ光る金のボタンが目にも心にも眩しかった。


「あ、あの……」

「あの柱の陰で着替えればいい」


 指されたのは、扇状の階段脇に建っている白い柱の一本。上から下までみっちりと刻まれた文様が、ここは着替えをする場所ではないと言っていた。

 しかしその優美な主張より、武骨な上官の命令の方がはるかに勝る。頭にある数々の疑問はひとまず置いておき、言われたとおり柱の後ろで服を交換することにしたが、片袖を通したところで気がついた。

 デカい。

 肩幅も袖も胴回りも、そして裾もすべてが大きすぎる。まるで子供時代が戻ってきたよう。孤児院にいた頃は、寄付された服をみんなで着回すから、サイズの合わない服を着るのは慣れていた。

 が、さすがに軍服まで合わないのはどうにも格好が付かない。袖口を折り、ベルトで調整し、なんとかごまかしてみる。けれど裾の長さだけはどうにもならなかった。


「まあ、いいか」


 そもそも新兵が着ること自体が似合わないのだから、仕方がない。

 そう諦めて柱の陰から出ていくと、ディンケルに上から下まで二往復で観察された。

「まあ、いいか」と同じ言葉を呟かれる。

 自分で言うのと他人に言われるのでは雲泥の差があって、ラウロは一刻も早く脱ぎたくなった。それなのに、真新しい兵帽を押しつけられて、「このまましばらく待機だ」と残念な命令が下された。

 隣に立つ上官は直立不動。それを真似してラウロもしばし待機をしていた。

 すると、一台の馬車と、馬引らしき男たちに連れられた三頭の馬が現れる。磨かれたその馬具を見て、予想外の展開に驚きを隠せなかった。


「ディンケル副長、まさか自分も馬に乗っていくのですか!?」


 ちなみに騎士団ではアーリングを隊長と呼び、ディンケルを含めた十人の司令官を副長と呼んでいた。


「これからゲルルショールフォンベルボルト城にライネスク侯爵がいらっしゃる。イワノフ公にお会いになるそうだ。我々はその護衛だ」


 ゲルルショールフォンベルボルト城とは、ソフィニアの北西にあるイワノフ家所有の城だ。距離にして、徒歩で小一時間といったところだろう。昔はその城で、公爵とギルド幹部たちが協議を行っていたことはラウロも知っていた。魔物に強襲される以前の話だ。


「馬はさる貴族からの借り物だそうだから、大事に乗るんだぞ」

「あ、はい。ですがどうして自分が……」


 ずっと頭を悩ませていた疑問をせっかく尋ねようとしたところで、階段上に気配がした。

 四枚ある大きな扉のうち一枚が、重厚な音を立てて内へと開かれる。その向こうから登場したのは、神々しいと言うにふさわしい金の天子だった。

 肩口から袖にかけて細い白のラインがある黒の上着。大きめのボタンは銀だろう。それが長い(すそ)まで十ほど並ぶ。首元には金糸の入った柔らかそうなクラヴァットが巻かれ、それを赤い石が付いたブローチで押さえてある。上着の内は、薄紫のジュストコール(ベスト)だ。白いズボンも黒皮のブーツも上質だと一目で分かるほど艶がある。右肩にかけられた短い緋色のマントが、弱い風に揺れていた。

 だが貴族然としたその衣装を凌駕(りょうが)する、侯爵の優美さに息を呑む。その前でひざまずきたいほどの敬畏の念を抱く。胸元の宝石よりもさらに、金色の髪が光輝いていた。

 しかし、その美しい顔はどこか冴えない。大罪を犯した父親に会うのはやはり気が進まないのだろう。そんな想像に、ラウロはいたく同情した。

 侯爵の後ろにはヴォルフ・グラハンスと、もうひとり。細身の男だ。オリーブ色の髪がきっちりと整えられている。ギルドの人だろうか。眼鏡の奥にあるその鋭い目に一瞬とらえられた気がして、ラウロは思わず首をすくめてしまった。


「まさかこれに乗れって言うんじゃないだろうな、ジョルバンニ」


 階段の途中で立ち止まった侯爵は、ラウロの耳にも届くほどの声でそう言った。


「もちろんお乗りになっていただこうと用意したのですよ」


 眼鏡の男がしれっとした顔で返答した。


「こんな骨董品、どこにあった?」

「中庭の厩舎です」

「厩舎……?」

「ご存じありませんでしたか。ああ、中庭は広いですから仕方がないですね。奥にある林の中に、王宮時代の馬車がいくつか保存されているのですよ。その中で一番保存状態が良いものを選んで、数日前から整備させていました」


 侯爵はフンと鼻を鳴らし、「準備万端だな」と冷たく言った。たぶん褒めてないだろうことはラウロにも分かるのに、ジョルバンニと呼ばれた男は、「ありがとうございます」と丁寧に礼を述べていた。


「で、馬は?」

「馬はすべてファッシュア子爵からお借りしました」

「へぇ、至れり尽くせりだ」


 少し毒を含んだ声でそう言って、侯爵はふたたび階段を降り始めた。その大きな瞳がラウロたちを注視している。だからきっと何か言われるのだろうとラウロは覚悟した。

 階段を降りきった天子がディンケルの前に立つ。敬礼する武官に、「わざわざ悪かったね」と声をかけ、それから同じく敬礼したラウロを一瞥(いちべつ)して、彼は黙って馬車の中へと消えていった。

 無視された。

 どうしてか分からないが、そのことにラウロは軽いショックを覚えた。

 親しくされていたわけでもない。拒絶したのも自分の方だ。だから当たり前だとは分かっている。


(でも、あれだけ名前を呼ばされたのだから、声をかけてくれたっていいはずなのに……)


 そう思った瞬間、自分と話していた時の彼は、ライネスク侯爵という貴族ではなく、“ユーリィ”という名の少年だったのだと気づいてしまった。

 もしかしたら一生懸命自分に近づこうとしてくれていたのかもしれない。そういえばグラハンスは侯爵が友達を失ったのだと言ったことを、今頃になって思い出す。

 ラウロは、自分の愚かさが少し嫌になった。



 ディンケル副長から兵帽を受け取ったグラハンスが、ラウロの隣に馬を並べたのはその数分後のことだった。例の眼鏡は侯爵とともに馬車に乗り、先頭にはディンケルの馬がいた。

 三頭の馬と一台の馬車は、宮殿の正門をぬけ、ソフィニアの街をゆっくりと移動を開始する。歩くよりも遅い速度だ。そのため街行く人々は、天子の姿を目にすることできた。

 皆、天子を見ようと足を止めている。そればかりか建物からわざわざ出て来る者もいた。手を振る子供がいる。拝んでいる老婆の姿もあった。

 馬車の中で侯爵がどんな表情をしているのだろうか。

『天子なんて呼ぶのは止めろ』と彼は言った。それもひどく不機嫌な声で。だから喜んでいるはずはないとそんな気がした。

 すると隣にいるグラハンスが前を向いたまま、ラウロへと語りかける。


「あいつ……ユーリィは後悔してるよ、君をからかったこと。友達の作り方を知らないんだ、許してやってくれ」

「いえ、俺が悪いんです」


 けれど人々の歓声が大きくなってしまい、その返事はきっと届かなかっただろう。


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