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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第五章 黒南風(くろはえ)
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第119話 劣情

15R指定により年齢に満たない方はご移動をお願いします。またBL要素を含みますので、苦手な方もお手数ですがブラウザバックをお願いします。

『一瞬の感情が解き放たれた時、人の未来がすべて決まってしまうことがある。私もまたその一瞬で、己の未来を見たような気がした』

                        ――奇書『我が殺意の考察』より



 塞いだ唇は凍りつくほど冷たく。

 抱いた体は折れそうなほど細く。

 漂う香りは目眩がするほど甘く。

 

 「放してよ、頼むから。じゃないと僕はお前を殺す……」


 腕の中で少年が呟いた。

 しかし怯えているわけではない。たとえナイフを向けようと、悲鳴すら上げないだろう。この華奢な体を覆うプライドという鎧は、あまりにも強靱にできている。

 腹が立つほどに。

 一度でいい。その鎧を引き剥がし、甘く切なく(むせ)び泣く姿を見てみたい。

 そう、一度でいい。


「ハーン、放せ!」


 辛辣なまでに冷えた声に気圧されて、タナトスは腕を解き放った。

 見上げる青い瞳は爛々と光っている。右腕が長い裾を押しやっているのは、腰のホルダーに手を当てているから。白い上着に隠された革製のそれには、小さな短剣が収められている。不用意に動けば、無数の見えない刃で切り裂かれるはずだ。


「どうしてこんな真似をした?」


 聞くなと言った質問を繰り返され、タナトスは自分への言い訳も込めて、つまらない説明をした。


「貴方が俺を、あの男の身代わりにしようとしているのか確かめるために」

「ふざけるな!」

「ふざけてなんてないですよ」


 白い頬がわずかに上気している。彼の肌が驚くほど滑らかだということは、今さっき知ったばかりだ。指先にその感触はまだ残っていて、嫌になるほど体がうずく。たぶん俺は魔性にあてられたんだとタナトスは思った。

 だからこそ、この少年をひれ伏せたい。

 金に釣られたとはいえ、俺はお前のために人殺しまでやってのけたのだ。


「ヴォルフの代わりなんていない」

「でしょうね。俺も魔物じゃありませんし」


 そう言いながらも、もう一度触れたいという欲求を抑えきれず、その頬に手を伸ばす。

 途端、短剣が抜き取られた。

 なにが空を切り裂く。ヒューンというその音が耳元で聞こえた時には、軍服の肩口が既に切れていた。


「次は手加減しない」


 剣を構えて、少年は一歩下がる。

 しかし怒りに燃える瞳に殺気は感じられなかった。


「どうぞご存分に。俺はこの世界にいなかったと思えばいいのですから」

「それって……」


 戸惑いの表情を見せる少年の頬に、そっと触れた。

 雪のように白い肌をこのまま触れていれば、溶けてしまうかもしれない。もしそうなったら、俺はその雪解け水に溺れるだろう。

 妙な想像がタナトスの心に浮かんでは消えていく。


「……お前、思い出したの?」

「なにをです?」

「あの屋敷のこと」

「さて、なんのことでしょう」


 そう言って、尖ってはいない耳に顔を近づける。キレられる前に一つだけ聞いておきたいことがあった。


「ところで、あの男とやったことがあるんですか?」

「なっ!?」


 耳まで染まった顔が、その答えを教えてくれた。


(そうか、経験済みか……)


 この若き獅子がいったいどんな喘ぎ声を上げるのかと、想像が欲情をかきたてる。もしも今求められれば、応えてしうかもしれないとタナトスは自覚した。

 しかしそんなことには一切ならず。

 赤くなった耳へ口づけをすると、殺気が宙に舞った。

 咄嗟、身を翻す。

 風の刃は四方に散って、シャンデリアの鎖と、鹿に寄り添った少女の絵と、薄紫のカーテンを一瞬で切り裂いた。

 しかしタナトスには一切傷は付かなかった。

 それが少年の甘さなのかもしれない。


「殺さないのですか?」

「僕は理由のない殺しなんてしない、お前と違って」

「俺が殺しをしたって? その根拠は?」

「一つ目はあの朝のお前だ。いつもの深夜警護ではなかったし、態度も変だと僕が指摘したのを覚えているか? 二つ目はアーリングの思惑通りにジョルバンニが動かないということ。あいつが本気で犯人を捜そうと思ったら、その程度で大人しくしているはずがない。三つ目は二回目の標的がギレッセンだったということ。たぶん南門の事件に関与していたんだろう」

「それだけですか?」


 少年の話はわりと核心に近いものの、まだ想像の域は出ていない。その程度なら証拠にはならないとタナトスは高をくくった。


「あの日は酒が飲みたくて、コレットに夜の警備を変わってもらっていたんですよ。深酒になったのは、酒を飲む者なら良くあることです」

「最初の犯人が黒髪だって言ったけど、それは本当か? あの距離で髪の色まで見えたとは思えないし、相手は軍服まで着て変装した犯人が、兵帽を被っていなかったことは変だ。たぶんジョルバンニの指示なんだろう? 一番疑われそうな黒髪のお前は犯人にはなり得ないし、二回目の狙撃場所から、ラシアール犯人説を暗示させるために」

「しかし距離と高さの問題がありますよ」

「塔の窓だよ。一カ所だけほんの僅かにずれていた。あの建物の建築はギルドが関わり、しかも窓は全部ジョルバンニ製だ。袋の再封印もジョルバンニならできる。これは想像だけど、その袋の中に弓が入っていたんだろ? フェンロン製のもので、折りたたみ式の弓を前に見たことがある。きっとそれだ」


 表情には出さなかったが、少年が想像以上に頭が良いことに、タナトスは驚いていた。ジョルバンニが最強の闘鳥にしたいと思う気持ちも納得できる。

 犯人が黒髪だと言うように、コレットを通してジョルバンニから指示があったのは本当だった。その時は理由が分からなかったが、自分が犯人ではないので別に気にも留めなかった。のちにラシアールに嫌疑がかかった時、ようやくその意味が理解できた。


「容疑者に黒髪の男を選んだのはやり過ぎだったね。あまりにも出来過ぎている」

「しかし証拠はありません」

「あの窓枠のことをアーリングに教えれば、ギルドに嫌疑もかかるだろうさ」

「そうなされるおつもりで?」

「いや……」


 ライネスク大侯爵は、瞳の色を暗くして考え込む。

 また沈むつもりだ。なんと無防備なことだろう。

 そういうところがイライラするのだ。


「さて、俺は出ていきます。たぶん二度と会うことはないでしょう」

「あ……えっと、もしジョルバンニに会うなら、ヤツに伝言して。ラシアールと貴族を対立させて、ギルドの一人勝ちを狙っているのなら、僕にも考えがあるって」

「お伝えしましょう、最後の仕事として」


 きびすを返し、扉へと向かう。

 二度と会わないと言った自分の声が耳の中で反響していた。


「あのさ、本当にお前は覚えてないの、屋敷のこととか?」

「またその話ですか。いったいあの屋敷がなんだって言うんだ……」


 別れ際までしつこく出されるその話題に辟易し、タナトスは最後の文句を言うために振り返った。少年はそばまで来ている。手を伸ばせば簡単に届く距離に。


「ラウロと一緒に屋敷にいたあの子供。あれ、お前だったんじゃないのかって」

「は? なんですか、それ」

「だってあの時、まるで中が見えていたみたいなことを言ったじゃないか。お前のエルフ嫌いも、ククリの連中に酷い目に合わされたからで、僕が嫌いなのもそのせいじゃないかって。あの子供も髪が黒かった」

「馬鹿馬鹿しい」

「お前も、ラウロと同じように運命に導かれたんだ」

「貴方はご自分で頭が良いと思っていらっしゃるかもしれませんが、殺人の件も含めて、すべて的外れだってことは最後に言っておきましょう」


 けれど彼は核心を突いていた。

 確かにわけの分からない感情が、ここ最近出てきている。

 幼い子供が囁く声を何度か聞いた。

 もしそれが本当なら……。


「違うならそれでいい……」

「では」

「でも僕が間違っているのなら、お前が出ていく理由はないよね……?」


 その声は、捨てられた子猫の鳴き声のように感じてしまった。

 瞬間、本能が感情と理性を凌駕する。

 剣を握る腕を強引に掴み、その華奢な体を引き寄せた。どうせ殺すなんて、できやしないんだと。

 滑らかな頬を抑え、その唇を貪る。


「んっ……」


 さらに首筋を愛撫すれば、男とは思えない甘い香りが鼻をくすぐる。

 このまま押し倒してしまおうか。プライドを捨てて喘ぐ声を聞くために。


「や……めろ……」


 身じろぎをして抵抗をしても、その声が感じていると分かるから、タナトスの欲情をさらに激化させた。

 白い上着のボタンを一つ外し、手を差し入れる。

 谷間のない胸にやはり違和感を覚え、少々戸惑ったその時、まるでそのタイミングを見計らったかのように、背後の扉が鳴った。


「遅くにすみません、ライネスク大侯爵。ブルー将軍がぜひお話したいといらっしゃっているのですが、いかがしましょう?」


 コレットの声だった。

 チッと舌打ちをし、タナトスは体を離す。すぐさま少年はよろけつつも数歩下がり、剣を構え直した。その瞳は怒りに燃えているのに、同じほど頬が劣情に染まっていた。


「これで俺が出ていく理由ができました」

「エルフも僕も嫌いだって言ったのに、なんでこんなことを……」

「男にもエルフにも興味がない俺が抱きたいと思ったのは、貴方が最初で最後ですよ。きっと貴方の持ってる魔性の力にあてられたんでしょう。では」


 捨て台詞のように言い切って、タナトスは三度目の攻撃が来る前に廊下へと飛び出した。

 タナトスの勢いに驚いたのか、コレットと長身のエルフが目を白黒させる。その横を無言で通り過ぎた。

 まだ体がうずいている。

 今夜は眠れない夜になりそうだった。




 半時後、タナトスはジョルバンニの部屋を訪れていた。

 詳しくは語らなかったが、自分はもう護衛ができないほどライネスク大侯爵を怒らせたと告げた。


「そうか、我慢しきれなかったか」

「我慢って……」

「思ったより早く堕ちたようだ。まあ、いいだろう。そろそろ近くに置いておくのは危険だと思っていた頃だったからな。ところでこのゲームを続ける気はあるか? それとも故郷(くに)に逃げ帰るか?」


 闇が支配している部屋で、ジョルバンニの眼鏡が僅かに光った。


「続けると言ったら?」

「ギルドの一人勝ちにならないように、まずはその調整として一人頼みたい」

「一人だけ?」

「まずは、だ。闘鳥が美しく飛べるように、足元のゴミは徐々に片付けていく」

「なるほど」


 一瞬迷ったものの、「やりましょう」とタナトスは静かに返事をした。

 もう乗ってしまった泥船だ。皇帝陛下のためにせいぜい働いて、金稼ぎをするのみ。もちろん、のちのち自分自身も片付けられないように、頃合いを見て逃げるつもりだった。


 その後、ジョルバンニは聞いたことのない名前を口にした。


「ギルドの幹部ですか?」

「小物だが、少々邪魔になってきた。もちろん皇帝陛下のためでもある」


 皇帝陛下のために。

 なんと快い言葉だろうか。


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