第115話 始動
ユーリィがギレッセン男爵暗殺についての知らせを受けたのは、ちょうどタナトス・ハーンと話している時だった。
知らせに来たのはアーリングで、扉のそばにいたハーンを突き飛ばす勢いで部屋へと飛び込んできた。
「大侯爵、大変です!!」
普段は落ち着き払った様子の男とは思えないほどの慌てぶりに、ユーリィも良くないことが起こったのだと一瞬で悟り、息を飲んだ。
「ギレッセン男爵が……」
そこまで言った時、アーリングはようやく室内にいるハーンに気づき、ジロリと見やる。続けて良いものかどうか悩んでいる様子だった。
そこでユーリィは助け船を出すつもりで、「男爵が?」と聞き返した。
「先ほど何者かに暗殺されたと……」
「暗殺!?」
「首筋を矢で射貫かれて亡くなったとのこと。場所は西東通りで、円卓会議のために屋敷を出た直後らしいです」
「犯人は?」
「警護の者たちは見ていないようです」
ギレッセン男爵といえばミュールビラー侯爵の甥である。だからと言って、狙われる理由がユーリィにはまったく見つからなかった。
「南門の時と同じ犯人なのか?」
「それはまだ……」
「とにかく早く、狙撃場所だけでも特定しろ」
「御意」
アーリングが立ち去った直後、ハーンがどんな顔をしているのか気になって、ユーリィはまだ残っている男の顔を盗み見た。
またあの嫌味な笑みでも浮かべているのだろう。
そう思っていたが、彼はなんの表情も浮かべずに、扉の隣に立っている。
どうやら円卓会議は中止になると思っているらしい。
その考えは正しく、宮殿へ来る途中の者たちは屋敷や宿屋に、到着していた者たちも馬車を出せと要求してきた。
まだ五十人ほどしか集まっていなかったが、その五十人を送り届けるために、宮殿にある五台の馬車は十往復し、全員が自分たちの住処に戻った時には昼をとうに過ぎていた。
その間ユーリィの元には次々と情報が入ってきた。
まずアーリングは、遺体に刺さっていた矢の角度から、狙撃場所は“ラシアール館”だと特定した。そこで部下を伴って調べに行った彼は、早朝に見慣れぬ男が宮殿行きの配送物を取りに来たと証言を得た。
しかしその男が持っていった袋はきちんと届けられ、封印も解かれていなかった。
さらに調べると、届けた男も判明した。
アーリングの報告によれば、普段行っている者は、今日は円卓会議の準備に回されていまい、その代役としてその男が取りに行ったとのこと。
念のために男を見た衛兵と老エルフに会わせると、衛兵は間違いないと言ったそうだが、エルフの方は別人だと証言したらしい。
「ジョルバンニはなんて言ってる? 配送はギルド担当だろ?」
報告に来たアーリングに尋ねると、彼はわざとらしいほどに渋い顔を作った。
「会議準備などで使用人を振り分けたが、手違いで配送担当まで仕事を宛がってしまったそうです。そこで急きょ、その男にやらせたのだと言っています」
「まさかギルド議長自らが、使用人の動員をしたんじゃないよね?」
「さあ、そこまでは……」
「そういえば、あいつ、今日は一度も顔を見せに来ないけど?」
するとアーリングは厳つい顔をさらに歪め、「馬車の手配で忙しいそうです」と素っ気なく答える。
きっとギルドが動かないのが気に入らないのだろう。そう思ったユーリィだったが、次の言葉でそれとは真逆のことで腹を立てていると理解した。
「国内の犯罪捜査はすべて陸軍担当ですから、ギルドに出張られても困ると自分がジョルバンニ氏に伝えました。申し訳ありません」
「いや、いいよ。それを取り決めるために、ずっと会議してきたんだし」
とはいえ、手配ミスの件もジョルバンニとは直接話をしたかった。
それなのに今は、完全に籠の中の鳥。一歩でも廊下へから出ようものなら、直ちに衛兵が飛んできて、部屋の中へと押し込められる。身の安全のためだと言われれば逆らうこともできず、大人しくしているしかない。ハーンは常に室内にいて、まるで監視されているような気分になった。
そんな中、この事件で一番怒り狂っていたのは、当然のことながら甥を殺されたミューンビラー侯爵だった。彼はユーリィやアーリングに、葬儀は公葬しろだの、捜査は自分がするだの、何度も詰め寄った。さらに悪いことに狙撃場所がラシアール館だと聞いて、犯人はエルフだと決めつけ、ブルーを怒らせ、ラシアールは配送業務の一時停止を宣言した。
貴族たちは完全に浮き足立っている。早く領地に戻りたいと騒ぎ始め、数人は勝手に戻ってしまったようだ。
セシャールからの使者は一見落ち着いているようにも思えたが、逆に言えばこの状況を冷静に眺め、国王にはこう報告するだろう。ソフィニアス帝国など取るに足らない存在だ。セシャールの植民地とするのも簡単なことだろう、と。
そうして事件から四日目の朝が訪れた。
窓の外では小鳥が、下界のことなど気にすることもなく、明るいさえずりを繰り返している。ここ数日の薄曇りの天気は一転し、朝から素晴らしい青空が広がっている。
ユーリィは窓際に立ち、見渡すことができない世界を眺めていた。
まるで子供の頃に戻ってしまったようではないか。
この窓から飛び出し、空を飛びたいと願っていた頃に。
あの時は義母や異母兄にいつ殺されるのだろうかと、そればかりを考えていたが、今は誰だか分からぬ者に狙われている。しかしあの頃と違うのは、嫌になるほど守られているということだった。
「ハーン、お前、最近大人しいな?」
扉の前に立つ男へ振り返り、ユーリィは言った。
しかし男は軽く肩をすくめただけで、なにも返さない。表情はほとんどなく、いったい何を考えているのか、以前よりさらに分からなくなった。
「お前が大人しいと、なんか気持ち悪い」
「そうですか」
ようやく返事は来たものの、やはりハーンは口をつぐんでしまった。
仕方なくそばまで寄って下から見上げる。
顔色から考えると、具合が悪いとか機嫌が悪いとかそういうことでもなさそうで、単純に心を隠そうとしているように思えた。
そう、あの頃の自分のように__
「あのさ、本当に故郷に戻るつもりはないのか?」
「ありません」
「どうして?」
「金が欲しいからです」
「それだけ?」
「ええ」
たぶん違うと思ったが、それ以上は追及を諦めた。代わりにハーンから自分がよく見えるように、数歩後ろに下がる。
ハーンは疑問符を付けた視線をそっと動かした。
「お前から見て、僕は今、どんなふうだ?」
「は?」
「どう見えるかってこと。正直に答えていいよ」
「ああ。ええと、大変お美しく__」
「黙れ! そんなことはどうでもいい。じゃあ、質問を変えるよ。怖がっているように見える? 気落ちしているように見える?」
「いえ、そういうふうには……」
「だよね」
それを聞いて安心した。
ならば先に進むことになんの問題もない。
「僕は今、苛立っている。そしてちょっと怒ってる」
「だれに?」
「僕自身にだよ。死んだ兄は陰謀めいたことが大好きだった。僕はそんな兄が嫌いで仕方がなかった。なのに、今はどうだ? その陰謀合戦の渦中にいてなにもできないし、守られていることに、だた甘んじている。
けど、あの頃に比べて僕はそんなに価値のある者になっただろうかと、ここ数日ずっと考えていた。
結論として僕の価値などお前や、殺されたギレッセンや、フィリップや、ソフィニアに暮らす人たちと変わらないんだと思った。僕が死ねば確かにみんなに影響が出るだろう。でも生きているからこそ、あの男が殺されたのかもしれない」
ハーンはなにも言わない。
ほんの少し、表情が険しくなっただけだ。
「それにさ、僕もそろそろ限界だよ」
「限界とは?」
「口先ばっかりの自分に限界を感じること。だから動くことにした」
それから腰にある短剣を抜き、目の前にかざす。驚きの表情を露わにしたハーンに気分が良くなり、にやりと笑って「退け」と命令をした。
「脅しじゃない、本気だ」
「ご乱心ですか?」
「そう思ってもらってもかまわない。さあ、退けよ」
ハーンは素直に従って、扉の前から退いた。
表情は相変わらず飄々としている。しかし横を通り過ぎた時、瞳にある影のようなものを見た気がした。
以前からあっただろうか?
一瞬考えてから、ユーリィは扉を開けた。
廊下に控えていたコレットが目を丸くして立ちはだかる。この女もジョルバンニの諜者の一人だ。いったいどこからこういう人間を集めてくるのだろうか。
(ああ、あいつはガラス屋だったな……)
ガラスはソフィニアの主産業だ。ガラスの原料となる珪石は、ソフィニア南部の地下を掘ればいくらでも取れる。その取引で行った先で人材も探せるだろう。ハンターの中から探すことも、ギルド幹部ならできないこともない。
(ジョルバンニ家について、詳しく調べる必要がありそうだな)
むろんそれは当分先の話。今は目の前のことを一つ一つ解決していくべき時だ。
「大侯爵、どちらへ?」
「謁見の間にみんなを呼び集めろ。アーリング、ブルー、ジョルバンニ、それからミューンビラーもだ」
「あの、それには許可が……」
「僕はだれの許可が必要なんだ? 僕自身か? 同じことを何度も言わせるな」
その後、コレットはなにか言いかけたが「早くしろ!」と怒鳴りつけ、そのまま廊下と突き進んだ。途中、集まってきた衛兵たちも、手にした剣を見て固まってしまった。
自分でも少々狂気じみているなとは思っていた。
けれど、久しぶりの暴走に心が躍る。
かつて恐怖王と言われたジャックス三世が乗り移っているような気分だ。
「皇帝陛下はこれより謁見の間を使われるそうだ。だれか先に行って、扉を開け、明かりを灯しておくように」
付いてきたハーンが、衛兵たちに告げた。
やればできるじゃないかと思いつつ、歩を緩めない。
立ち止まればそこで、回れ右で戻りたいと思っている自分も確かにいて、その弱さに打ち勝つためにも、今は進むしかないのだから。
謁見の間に到着すると、衛兵の一人が扉を開けて待っていた。明かりもすべて灯されている。ずいぶん手際が良いことだ。それとも自分はそうさせるような形相でもしていたのだろうか。
だとしたら良い傾向だと心でほくそ笑み、中へと入った。
広い室内、天井も高い。
一段高い場所には、例の黄金の玉座があり、ステンドグラスを通して入ってくる青い光を浴び、鈍く輝いていた。
まったくなんて悪趣味な椅子だ。凝った装飾や形をしているわけでもない。単に背もたれがあり、座面があり、肘掛けがその両脇にあり、太い足が四本あるだけの代物。だたし使っている黄金を金貨にすれば、万単位で作れそうなほどだった。
まだ一度も腰を下ろしたことのないその椅子に近づき、しばし見下ろす。
かつての国王たちはなにを思い、この椅子に座ったのだろう。
未来永劫続く栄華だろうか?
(いいだろう、僕も座ってやるさ)
腰を下ろすと、恐ろしく座り心地が悪いことを知った。
権力とは、結局のところそんなものだ。
足を組み、だれもいない空間を見つめて、待ち続ける。
未来永劫この金ピカな椅子で、だれもいない場所を見つめているような気がしてきた頃、ようやく一人入ってきた。
来たのはジョルバンニだった。
四日間、一度も顔を出さなかった男は、いったいどんな言い訳を口にするだろうと期待したが、その必要はないとばかりになにも言わない。
開口一番、彼が言った言葉は、
「ご用件は?」
ただそれだけだった。
「まず先に、お前に言っておこう。例の鉱山視察の件だ。円卓会議が流れてしまった以上、早急に取り決めなければならない。だからセシャール人が希望する通りに、僕も行こうと思う」
「お命を狙われているというのに?」
「それがどうした?」
「貴方が亡くなられたら、あの魔身はどう思いになるでしょうね」
「お前がヴォルフのことを言うとは思わなかったよ。けど気にすることはない。僕が逝ったら、あいつも後から来るだけだ」
その時、痛いほどの視線を感じた。
首を巡らすと、ハーンが険しい顔で立っている。
尋常ではない関係に嫌悪感を抱くのは当然だろうと諦めて、目の前に立つジョルバンニに意識を戻した。
「つまりお前は反対ってこと? ま、反対されても行くけどね」
「ただ確かめただけです」
「馬鹿だと思う? まぁ、馬鹿だろうな、僕もそう思う。だけどここに残っていても、さらに馬鹿を晒すことになるからね。僕がソフィニアを離れて、残った者たちが争うのならそうすればいい」
「貴方がそうお決めになったのなら、別に反対することもありませんよ。この国は貴方のものなのですから」
ずいぶん大胆なことを口にしたなと感心していると、ジョルバンニは眼鏡を指で引き上げ、薄っぺらな笑みを浮かべた。
「やはり貴方は、追い詰められないと飛ばない鳥なのですな」
「なんのことだ?」
「いえ、こちらのことです。分かりました。ギルドは承認いたしますのでご心配なく」
「お前の一任ですべてを決められるとは凄いな」
「ええ、ギルドは私のものですから」
その言葉に異を唱えようとしたユーリィだったが、アーリングとブルーが入ってきて、それ以上はなにも言えなくなった。
ジョルバンニに話したことと同じことを二人に言うと当然のごとく反対をされ、特にアーリングはせめて犯人の目星が付いてからにして欲しいとまで懇願した。
「だけど、まだなにも分かってないんだろ?」
「狙撃場所は特定しています。あとはどうやってラシアール館に入ったかを調べれば……」
アーリングが横目で隣に立つブルーを睨むと、ブルーはかつてないほど不機嫌な表情でそっぽを向いた。
「僕はまだ行ったことがないけどさ、簡単に入れるのか?」
「まあ、無理でしょうな。ご存じだと思いますが、かつての魔法学園はかなり広い敷地を有していました。その学園よりあの建物は二回りほど小さく、周りを囲む鉄格子の塀と近隣の建物には距離があり、飛び移ることは難しいでしょう。人目を憚って格子を乗り越えることも無理かと思います」
「だからと言って、なんでエルフがやったって結論になるんだ! それに方向は分かったけど、高さ的に違うとアンタも言ってただろ!」
「落ち着け、ブルー。高さってどういうことだ?」
アーリングは渋々といった表情で説明をした。
「つまり矢の角度から考えて、塔の上からでは高すぎて、建物の屋根からでは低すぎるという意味です」
「なるほどね。まあいいや、今日の午後にでも僕が見に行こう。そもそもなんで__」
言いかけたところに、ミューンビラーがやって来た。以前の生ぬるい雰囲気はなく、剣呑な気配を漂わせている。室内に入るなりブルーを見て、小さな舌打ちをした。
「何事ですかな、大侯爵。もしや犯人が見つかりましたか?」
ユーリィが違うと言って三度目になる話をすると、侯爵は他の三人とは違う反応をした。
「その前にまず、犯人を見つけるのべきでしょう。甥の葬儀も終わっていない。何度も申し上げますが、公葬を執り行うべきです」
「なんで?」
「な、なんでって……。甥は貴方の身代わりに殺されたのですぞ!」
「そのことなんだけど、なんで男爵が僕の身代わりになる? 僕は男爵と親しかったわけでもない。百歩譲って見間違えたと思いたいところだけど、背丈も容姿もまるで違う」
ミューンビラーは一瞬動揺を見せたものの、引き下がらなかった。
「身代わりではないにしても、建国の邪魔をしようと目論んだのかもしれません」
「ギレッセン男爵を殺した程度で、建国を取りやめるなんてことはないね」
「それはあまりに酷いおっしゃりよう……」
「事実は事実だ。悪いがあと何人殺されようが、決めたことは取り下げない。僕自身が殺されない限りね」
反論が見つからなかったのか、ミューンビラーは口を閉ざした。
するとアーリングがまたもや反対の意を唱え始めた。
「だからこそ、身の安全がはっきり確保できるまでは、お動きにならない方がよろしいのでは? それに三度となると、さすがに軍の沽券に関わります」
「そもそもどうして、南門の時と男爵の時と、同じ犯人だって思うんだ?」
「は……?」
「こう言っちゃなんだけど、ギレッセン男爵は僕が皇帝になることを気に入らない様子だった。つまり僕にしてみれば、敵の陣地にいるような気配だったよ」
ミュールビラーが動揺した様子で、「なにをおっしゃる」と呟いた。
それを無視し、ユーリィはさらに続けた。
「僕が建国阻止を目論むなら、男爵は最後まで殺さない相手だね」
核心を突きすぎたのか、みな黙り込んでしまった。
それぞれがそれぞれの考えに浸り、やがてジョルバンニが口を開く。
「つまりなにをおっしゃりたいのでしょう、大侯爵」
「つまり、最初の犯人は建国を阻止しようとしたかもしれないけど、男爵の時はそれとは違う可能性もあると言いたいんだよ。単純に考えるのなら、報復だね」
そう言ってミュールビラーを見上げる。
座り心地の悪いこの椅子は、どちらが上の立場にあるのか相手に知らしめる力がある。見上げる視線にもかかわらず、侯爵はわずかな動揺を見せた。そして一瞬の時を経て、やっと反論を試みる。
「報復ですと!! ま、まるで甥が大侯爵の命を狙ったかのような言われよう。死者に対して無礼にも程がある!!」
少し反応が遅かったなと、唾を吐く勢いで反論し始めた侯爵をユーリィは淡々と眺めていた。それが答えだという結論は、さすがに早計すぎるだろうけれど……。
「あくまでも可能性の一つを言っただけだ」
「では報復だとして、だれがそれを行ったと言われますか? 大侯爵ご自身がそうされたという可能性もありますな?」
「かもね」
間髪入れず返事をすると、相手は息と一緒に唾を飲み下した。
「もちろん公平な目で見た可能性だけど」
「よもや、この事件はなかったことにしようと、そのような発言をされているのではありますまいな?」
「まさか。報復だろうと復讐だろうと、殺人は殺人だ。建国する前から謀殺や暗殺が許されるような国なら、滅ぶまでの時間はそう長くはないさ」
そうだ。
どんな理由だろうと許すことはできない。
玉座から立ち上がると、ユーリィは一段下にいる者たちを睥睨した。
「とにかくこれは決定事項だ。この先ずっと僕が決めたことは反対も反論も無用。分かった? で、午後からラシアール館を見に行くから、アーリングはその随行を。ジョルバンニはセシャールの使者に視察の件は了承したと伝達を。ブルー、お前は配送の再開をしろ。それと鉱山視察には付いてきてもらうことになるから。それから男爵の葬儀は公葬にしないけれど、僕も参列してもいい。むろん希望するならの話だ。どうするかは侯爵が決めるように。以上」
午後は決定通り、狙撃現場と言われるラシアール館を見に行った。
かつてこの場所で友と一緒に過ごしたことや、死ぬほどの苦しみと哀しみを味わったことに思いを馳せる。
しかし建物そのものは以前とはまったく違うものとなっていた。
学園を破壊した時の妙な抑揚感は、まだ内に残っている。
建物はアーリングが言った通り、進入するのはかなり難しそうだ。少なくても日中は無理だろう。
高さの件に関しても、実際に目で見て納得した。
一階建ての建物の上からの方がまだ可能性はあるが、周りの建物からは丸見えだし、隠れる場所もないので下からでも見えてしまうだろう。アーリングが指を使って説明した、男爵を射貫いた矢の角度からも、やはり低すぎるような気がした。ブルーだけが使っているという塔は、てっぺんから矢を射るとなると、ほぼ撃ち下ろすことになる。それもまた角度的に違っていた。
(やっぱり他の場所も考えた方がいいかな……)
諦めて、塔を降りていたその時、ふと妙な違和感を覚えて足を止める。
違和感の原因は窓枠だった。
はめ殺しであるはずなのに、壁との境がほんの少し歪んでいるように見える。下の階に降りて確認すると、確かにその窓枠だけがズレていた。
「どうされましたか?」
随行していたアーリングが怪訝な表情をしている。
ユーリィは小さく首を振って、なんでもないと答えた。
(窓か……)
ガラスを通して、夕日の赤が内側へと染み込んでいる。
その色に不安を感じずにはいられなかった。