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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第五章 黒南風(くろはえ)
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第114話 螺旋の先

『聞こえてくる微かな呻き 忍ばせた気配に僅かな死臭

 薄闇にざわめく夢魔たちが 戯けながら宙に舞う

 憎しみの泉に足を取られ 苦しみの波に流されて

 何処までも堕ちよと 囁く音に耳を塞ぐ』

                 ――ムハ・ツィリル詩集『抑制』より



“円卓会議に出席する貴族たちで、市街に寝泊まりしているのは約二百名。別邸を持つ者が半分、それ以外は宿屋暮らしだが、さすがに二百もの馬車がやって来たのではこちらも対応できないので、街外れでないかぎりは徒歩で登城させ、代わりにそれぞれ憲兵を三名ずつ付けて警護している。そして、あの者は西東通りにある建物のそばを必ず通る”


 男の説明はそんな話から始まった。

 二日前のことだ。

 それを脳内で反すうしながら、タナトスはその建物の前までやって来た。


“門の前に衛兵が一人いるが、渡した服を着ていれば問題ない。だが余計なことは喋るな。もしも相手がなにか言っても、臨機応変に対応しろ”


 その要求がこの仕事の中で一番難しいと思われた。

 着ている濃紺の服を確認する。色も形帝国軍の軍服とほぼ同じだが、両肩から袖にかけて白いラインが入っている。これが兵士ではないという証だった。

 袖口を引っ張り、ベルトを少し下げ、ゆったりとした足取りで衛兵のそばに寄ると、相手は和やかな顔で話しかけてきた。


「おや、いつもの人ではないのかい?」

「今日は円卓会議があるので、その準備に駆り出された。自分は代役だ」


 なるべく下を向き、帽子のつばで顔を隠して返事をする。心にある緊張が表情に出ていないか、そればかりが気になった。


「ああ、そういえばそうだったね。ご苦労なこって」


 疑いを知らない中年の衛兵は、背後にある鉄格子の門を開けてくれた。


「こんな早くなんで、まだだれも来てはおらんよ。あんたもずいぶん早いね」

「このあと自分の仕事があるんだ」


 門から正門へと真っ直ぐ伸びる石畳を、あえてゆったりとした足取りで歩いていった。

 ここは魔法学園の跡地なのだと、以前にコックが話していた。しかし学園とは名ばかりで、貴族や金持ちの子弟が社交界に出る前の遊び場のようなものだったとか。それを先の戦いでライネスク侯爵が、跡形もないほどぶっ壊したらしいが、それはどうでもいい情報だった。


“朝食前なら、まだだれも来てないだろう。おそらくはエルフが一人二人、番をしている程度だ。だが何度も言うが、絶対に油断をするな”


 もちろん、この状況でお気楽な気分になるわけがない。身バレは絶対に避けたかった。

 クソガキの助けなど欲しくはない。


“正面玄関は施錠されていないはずだ。入ってすぐ、左手に行け。奥に配送物の集積部屋がある。たぶんだれかいるだろうから、宮殿から来たと言え。そうすれば一番の袋を渡してくれるはずだ”


 一番の袋というのがなんだ分からなかったが、男はそれ以上説明をしなかったので、行けば分かるだろうとただ小さくうなずいた。

 言われたとおり、玄関を入って左手の廊下を進むと、一番奥に両開きの扉があった。その前でノックをすべきかしばし悩み、思い切って押し開いた。

 さほど広くもないその部屋は、あちこちでランプが灯り、窓がほとんどないというのにずいぶん明るかった。

 中央には、天板の四側面に引き出した付いたタイプのテーブルが一つ。その上と周りには、大小様々な麻袋が乱雑に置かれている。テーブルの横にある椅子に、年老いたエルフが座っていて、暇でも潰しているのだろうか、カードをしきりに弄っていた。


「おはようさん」


 カードに目を向けたままエルフは言った。


「宮殿から来た者だ」

「宮殿? エリオはどうした?」

「今日は別の仕事があるので、その代役だ」

「ふーむ」


 唸りながらエルフが視線を上げる。その視線を避けるように、タナトスはさりげなく顔を背けた。


「で、持っていくのはどの袋だ?」

「一の番号が振ってあるやつだよ。袋を閉じている紐にくくりつけてある」

「ええと……ああ、これか。ずいぶんデカいな」

「手紙と一緒になにか送ってきたんだろう。そういう時は別便で送るんだが、たまにこういう時もある」

「へぇ」


 聞いている素振りをながら袋の縁に手をかけると、エルフはやや厳しい声で「封印は解くなよ」と命令した。

 袋は同じ色の麻紐で縛られている。さらにその紐の上に細長い紙が巻かれ、赤い封蝋とその上に押された印璽で閉じられていた。


“封印については気にするな。それはこちらでなんとでもできる。ただし外した紙と紐をどこかに落としてくるようなことは絶対にするな”


 脳裏にあるそんな言葉に対する返事も含めて、タナトスは「分かっている」と答え、袋を持ち上げた。


「乱暴に扱うんじゃないぞ。筒が全部潰れてしまうからな」


 手紙は大抵、筒状に丸めて麻紐か革紐で縛ってある。そのことを言っているのだろう。


「貴族たちの手紙もここに入っているのか?」

「まさか、そんなわけがない。それは宮殿にいる使用人と、兵士宛ての手紙ばかりだ。ほとんどは親兄弟からの手紙だよ。だが文盲の者もいるから、ま、大した数じゃない」

「なるほど」


 ギルド政策のおかげで、平民でも読み書きや計算を習える学校に通えるようになった。しかし修業に義務はなく、学費も自己負担であるため、行かずに終わる者もいる。タナトスの母親もその一人だった。


「お偉いさんたちの手紙は、特別便で直接オレらが届けに行くのさ。人間なんかに任せたら、ろくなことにならないからな」


 鼻でフンと笑ってその言葉を受け流し、タナトスは部屋をあとにした。


“荷物を受け取ったら、正面玄関を通り越して少し行った先にある階段を上がれ。絶対にだれにも見られるな、絶対にだぞ”


 言われなくても分かっている。

 ここから先は誤魔化すことなどできやしないから、だれかに見られたら本当にあのクソガキの助けを借りることになってしまうだろう。

 幸いまだ人気はない。とはいえ時間との勝負だった。

 正面玄関の両開き扉の前で、一度だれかが来ないことを確認し、やや広いエントランスからさらに奥へと進む。廊下は両手一杯に広げた程度しかない。灰色の両壁は切り出したばかりのような花崗岩で、突貫工事を感じさせた。

 廊下に入ってすぐ、外壁から飛び出したような状態でらせん状の階段があった。いかにも建築途中で思いついて取り付けたという感じだった。

 袋を握りしめる手が妙に汗ばんでいる。抑えきれない緊張が、ジワジワと体内から染み出しているようだった。

 タナトスは背後をチラリと見やり、もう一度エントランスを確認した。

 今しかない。

 決意して、下から見えない位置まで駆け上がる。その間に思い出していたのは、あの男の説明だった。


“階段の途中にははめ殺しの窓がある。そのうち下から五番目、八番目、十一番目、十四番目の窓は、引っ張れば外せるようになっている。西東通りに面しているのは、八番前の窓だ”


 駆け上がりながら数え、八番目の窓のところまで辿り着いた。

 窓はちょうど胸の高さにあった。外を見ると二階建の建物がかなり下の方にある。感覚的には宮殿の屋根と同じほどの高さにあるようだった。

 通りは人がほとんどいない。今日は円卓会議あるため、朝と夕方の往来が規制されている。一昨昨日の事件のこともあるので、巡警の兵士はいつもより厳しく取り締まっているのだろう。

 タナトスは一度袋を下に置いて、窓枠の内側を探ってみた。

 すると小さな取っ手のようなものが左右にあり、それを両手で引っ張ると、枠は簡単に取り外せた。

 音を立てないようにして、それを壁に立てかけて、それから袋の封印と麻紐をナイフで切る。中には数本の筒手紙、木でできた筒、四角い金属製の棒が入っていた。その棒のせいで、手紙のほとんどは潰れている。当然といえば当然の結果だった。

 この金属がなにか、タナトスはよく知っていた。

 まず棒の側面二つについている平たい板を開く。板と棒は紐状のもので繋がっている。紐は馬の尾を細く編んだものだ。しなやか且つ丈夫なので、大抵のものに使われている。

 これはフェンロンで作られる簡易型のクロスボウだった。持ち運びに便利なので、数年前からハンターたちに人気の弓だ。ただし飛距離と威力があまりないので、実践にはあまり向いてないこともタナトスは分かっていた。

 木製の筒の蓋を開け、中を確認する。入っていた矢は一本。

 つまり一撃で仕留めろという命令でもある。


(ずいぶん買いかぶってくれたもんだな……)


 腕には自信があると確かに言った。しかしそれは、軍隊で扱うようなちゃんとした弓を使ってのことだった。


(ま、なんとかなるだろう)


 この高さがあれば、威力や飛距離は問題がないはずだ。

 矢を弓にセットして、ふたたび窓の外を見る。兵士三人を伴った男が歩いていて、身なりから会議に出席する貴族の一人だということはひと目で分かった。


“胸に手を当てる兵士がいたら、それが標的だという合図だ”


 喉の渇きを覚え、何度も唾を飲み込む。

 落ち着きを取り戻そうと、一度弓を構えて確認した。

 矢尻は照準より右に少しずれている。これと同じ物を何度も扱った経験があるので、予想したとおりだった。

 やがてもうひとり、兵士を従えた男が見えてきた。


“標的は、長身の赤毛だ”


 指示された外見と同じ男が、眼下を歩いている。

 男のすぐ後ろにいる兵士が、ゆっくりと軍服の胸へと手を当てたのを見て、タナトスは弓を構え直し、その引き金に指を置く。


(これはただの仕事なんだ)


 だから罪悪感などひとつもない。

 浮かんでくる少年の顔を脳裏から消し去り、息を殺して引き金を引いた。


 瞬きを一度_____


 次に見えたのは、首の後ろに矢が刺さった状態で、地面へとうつぶせに倒れている男の姿だった。

 あとは武器を袋に戻し、封印を解いたのを気づかれないように、外に繋いである馬へと乗せ、この場から立ち去るのみだ。


“西東通りは使うな。建物の裏にガラス屋がある。そこに袋を持っていけば仕事は完了だ。袋は封印をし直して、他の者が宮殿に持っていく手はずになっている”


 きっとあの男の計画通りに事が進むのだろう。

 腹立たしくはないが、不安なのは確かだ。戻れない場所に来てしまったという思いが、そう感じさせているのかもしれない。

 戦いではない殺しに手を染めた自分は、いったいどこへ向かうのだろうか?

 とにかく戻ろうと、タナトスは窓枠を元通りにはめ直した。




「今日の担当は朝なのか?」


 あくびを噛み殺し、少年は言った。

 まだ彼のところには連絡が来ていない。

 しかし遅かれ早かれ、知ることになるだろう、この街には殺戮者がいるということを。

 同じ犯人だと彼は思ってくれるだろうか。


「昨日は深酒をしたので」

「なにかあったのか?」


 心配するような面持ちで彼は小首を傾げた。


「いえ、大したことでは。実家から手紙が来まして」

「うん?」

「俺は実の子ではないと知らされただけです」

「えっ!? 本当に?」


 自分のことでもないのになぜ驚くのか、タナトスは訝しく思った。


「なにか問題でも?」

「別に問題はないんだけどさ……」


 うつむいた瞳にかかる睫毛が、なんと長いことか。

 もしも女であったのなら、それすらも武器になるだろうに。


「そろそろ時間なので、外で待機しています」


 これ以上いたら危険だと察し、タナトスは廊下へと出ようとした。


 ところが____


 細く白い指が伸びてくる。

 身構える間もなく、それが額へと押しつけられた。

 その冷たい感触に、否応なしに体がうずく。

 振り払いたくないと本能が訴えた。

 その感情を押し殺し、相手を睨みつける。


「ええと、これはなにかの(まじな)いですか?」

「顔色悪いから、熱でもあるのかと思って」

「二日酔いだと言ったはずです」

「ああ、そうか」


 気がつけば、引っ込めようとするその手首を本能のまま掴んでいた。


『この細い手がぼくの世界を壊してしまった』


 自分の中の誰かが言った。

 

 薄暗い場所で泣き叫んでいた誰かが。

 死にそうなほど怖くて寒くて、片隅で震えていた誰かが。

 黒い穴に堕ちていった誰かが。


「なに?」


 青い瞳に覗き込まれ、タナトスは我に返った。


「あ、いえ、別になにも……」


 言ったものの、まだ手を放す気にはなれず。

 こうしていれば、あの引き金を引く以前の自分に戻っているような気がした。

 後悔も罪悪感もないはずだというのに。


「あの魔物はいつ戻るんです?」

「ヴォルフのこと? もうすぐ戻ってくると思うよ」

「そうですか」

「お前、今日はちょっと変だぞ?」


 そう言われてようやく、感づかれることに懸念が及んだ。

 ゆっくりと手のひらを開く。

 ずいぶん強く握っていたらしく、手首には赤い痕がついていた。

 そのあとを気にしつつ、少年は続ける。


「実の親じゃないからって、戻れないわけじゃないんだろ? お前は領地に戻った方がいいよ。こんな所にいたら、色んなことに巻き込まれるぞ。そうなる前にさ」


 もうとっくの昔に巻き込まれ、抜き差しできないところまで来ているのだと、タナトスは心で呟いた。

 もちろんそんなことを言うはずはない。

 クソガキの助けなど欲しくなんてないのだ。


「貴方の希望通りに動くなんて真っ平ですね。俺は貴方が嫌いだと言ったはずですが?」

「うん、それは知ってる。でも嫌いなのに三回も助けてくれたじゃん。だから、そんなに悪い奴じゃないかなって思っただけだよ。それに……」


 困ったような表情で、少年はタナトスをチラリと見た。


「僕はたぶん、お前がそんなに嫌いじゃないと思うよ?」


 その瞬間、煮え立つほどにタナトスは苛つきを覚えた。

 心なし染まった頬に、目を埋め尽くす青い瞳に、溶けるように輝く金髪に。


「だから__」


 しかしそれ以上は聞かないで済んだ。

 なぜなら、緊急事態が発生したのだと知らせが来たからだった。ミュールビラー侯爵の甥であるギレッセン男爵が、何者かに暗殺されたのだと。


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