第11話 逃れられぬ罠
15R指定により年齢に満たない方はご移動をお願いします。またBL要素を強く含みますので、苦手な方もお手数ですがブラウザバックをよろしくお願いします。
次の朝、ヴォルフはかなり早い時間に目が覚めてしまった。
こんなにも眠いというのにどうしたことか。カーテンの隙間から忍び込む朝日に起こされたのかもしれない。明けたばかりの弱い光は、寝足りていない意識には眩しく感じられた。
それでも少し気になって、視線だけで室内を見渡してみた。
今いる部屋はその昔、王女の一人が使ってたという。小さな花や蝶が描かれたピンク色の壁紙は、なるほどとうなずける。深窓の姫といったところか。百以上ある部屋でも一番奥にあり、おかげで最終決戦の時に宮殿で起きたという暴動の被害には遭わずに済んだ。
サイドテーブルに乗っているランプは、いつの間にか火が消されていた。明かりは点けておけといつも言ってあるのにと、わずかな不満を覚える。今は魚油ですら手に入らないから気にしているのだろう。自分が重要人物であることなど、全く意に介していないらしい。だからこそ毎晩こうして一緒に寝ているのだ――言い訳だが全くの嘘ではない。
隣で静かな寝息をたてる未来の支配者は、まだ自分の立場を理解していなかった。今の状況が収まれば自由が手に入るのだと、心のどこかで信じている。
けれど、それは難しいとヴォルフですら知っていた。だから昨夜ジョルバンニの話を聞いた時、別に驚きもしなかった。きっとユーリィを中心に、皆が踊り出すだろうと予期していたのだから。
そしてついに、舞台は開演の時を迎えたらしい。
ユーリィは支配者の資質がある。たった十六で彼ほど才知にたけ、幅広い知識を持つものはそういないだろうし、機転にも恵まれていることは、先の戦いで多くの者が気づいたはずだ。恨みや憎しみを嫌う博愛主義者でありながら、驚くほどの気高さをその心に秘めている。見た目の美しさは民衆の心をつかむだろうし、実際、彼が戦う姿を見た者は、マルハンヌス神の生まれ変わりだと噂した。
卑しいと言われたエルフの血ですら大きな意味がある。ラシアールが協力的なのもユーリィが同種族だと感じているからで、彼ら以外のエルフも同じことを思うに違いない。人間に支配されるくらいなら、と。
さらに重要なのは、精霊と呼ばれるモノが彼に惹かれてしまうことだ。ユーリィの中にある光に魅せられるのだと、以前彼を守っていた精霊が教えてくれた。
どれをとっても、ユリアーナ・ライネスクが支配者に相応しいことは間違いないのに、彼は自分の価値を理解していない。幽閉され、虐められ、自分を卑下して生きていた過去はそう簡単には消せないようだ。
そこまで考えてから、ヴォルフは急に可笑しくなった。
(俺だって、出会った頃の印象はなかなか消せないけど)
頑固で口が悪い子供、それが第一印象。その後すぐに青い瞳にある憂いを知った。切ないほど自己否定の塊で、自分を呪い続け、この世から消えたいと願っていた。
捨て猫みたいだったあの少年はもういない。けれど他人との関わりに戸惑うのは以前のままだ。今回のように自分の言動を反省し、人知れず凹んでいる姿が可愛らしい。
そんな思考から愛情がこぼれ落ち、ヴォルフはぼんやりと隣に眠る少年に手を伸ばした。
金糸と頬の柔らかな手触りを堪能する。そうして触れているうちに、ますます愛があふれ、気づけばぎゅーっと抱きしめていた。
「ん……」
瞼の下から青い宝石が見え隠れ。うっかり愛で起こしてしまったようだ。
「もう朝……?」
「まだ早いから、寝てていいよ」
「あ……うん……」
閉じられた瞳にホッとして、背中をサワサワと撫で、耳元にキスをして……。
「ぐぁっ!」
ユーリィのひざがヴォルフの下腹へと見事に入った。
「って、寝られるか!」
「な、何も蹴ることは……」
「寝起きに欲情するのは止めろ。屋根裏で欲情するよりもっとヒドい」
「だから愛情表現だって」
ふて腐れた様子で起き上がった少年を目で追った。寝起きの不機嫌も加算されているようだ。けれど、そんな表情もやっぱり可愛いと思ってしまう。どっからどう見ても彼は美少女で、しかも支配者となる存在で、そんな彼に唯一触れられる自分は果報者だ。
抱いていた独占欲の代わりに、自己満足という媚薬がヴォルフの心を支配していた。
「なんか、お前、ニヤついてるけど?」
少年が横目で睨む。
「ちょっとした想像を」
「妄想だろ」
正解なだけに反論はできない。
すると横睨みしていたユーリィの瞳がわずかに揺れる。
刹那、彼はいきなり覆い被さり、ヴォルフの耳横に両手をついた。
見上げる少年の顔に怒りの気配はまったくない。それどころか、頬がほんのり染まり、艶のある唇が輝いている。
「なら、キスする?」
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ――っ!!
それはヤバすぎるっ!!
理性は風前の灯火。ユーリィの今日の日程などすべて無視し、“侯爵はお風邪を召しました”的展開を期待し始めている。
「僕はしたいんだけど?」
その瞬間、理性という名の子羊が、情欲の餌食となった。
黄金の髪に片手を回す。
求めに応じて近付いてきた少年の、香しい息が鼻にかかった。
以前のように、青い瞳は閉じられることはない。色気のある表情でひたすら見つめてくる彼は、やや首を傾け、自ら唇を重ね合わせた。
それなのに、わずかに触れるとすぐ離れ、ふたたび触れる。
そのためらいに誘われて、強く引き寄せた。
柔らかく温かい唇の質感にすべてがゾクゾクして、自然ともっと欲しくなる。少年も同じだったのか唇が少し開いて、ヴォルフの舌を招き入れた。
何度味わってもこの瞬間がたまらない。残されていた一握りの理性すらも溶けていく。濡れた舌を絡め、淫らな音と快感に酔いしれた。
やがて苦しげな息を漏らし始めた頃、少年はふっと顔を離した。
「や……る……?」
色のあるそのまなざしがとても眩しい。切れ切れに言った口元には、蜜のような唾液が滴り落ちている。それを指先で拭き取り、ヴォルフは尋ね返した。
「いいのか?」
「今日あの人に会わなくちゃいけない。でも具合が悪くなったら会わなくて済むから」
もっと他に方法はあるだろうに、まぐわいに逃げ道を求めた少年が愛おしかった。
手を伸ばし、彼を組み敷こうとしたその時__。
風のいたずらとも思える小さな音がした。二度ほど鳴ったその音に反応し、今の今まで色っぽい表情を浮かべていたユーリィは、扉の方を覗き込んだ。
「だれだろ?」
瞬きをする間に熱が冷めた声色。
ああ、なんというタイミングだ! あと数分、いや、あと数秒待ってくれたら、そんな音など気にせず、ふたりで貪り合えたというのに!
「気にするなって」
無駄だと分かっていても、腕をつかんで軽く引っ張ってみる。
「うん、でも……」
ユーリィの物言いに同調するかのように、ノックは再び聞こえてきた。
「やっぱりだれか来てるよ」
ベッドから降りようとするユーリィを引き留め、「俺が行く」とヴォルフは起き上がった。
こんな時間に来るようなやつは、間違いなく怪しい。怪しくなくても、いいところを邪魔された恨みは晴らさせてもらう。
そんな意気込みで剣をつかみ、突進するように扉まで歩いていった。
鍵を外すと、剣の柄を握り直して、勢い開く。
途端、“ヒィィィー”という金切り声が辺りに響き渡った。
驚くことに、扉の向こうにいたのは貧相な女だった。奥まった目、散らばったソバカス、細長い輪郭、凹凸がない体付き。わなわなと震える薄い唇には、悲鳴の余韻が残っている。年のころは三十前か。雑にまとめ上げられた褐色の髪に艶はない。それなのに、着ている青いメイド服は、彼女に似合わない上品さがあった。
「あなたは?」
怯えた表情を見せる女に、ヴォルフはやんわりと声をかけた。
「あ、あ、あの、私、コレットと申します」
ぎこちなく彼女は膝を折って挨拶をした。しかしそれ以上は自己紹介を続けるつもりはないようで、いまだ怯えた視線がおろおろと、ヴォルフの顔とその背後をさまよった。
「で?」
しかたなくヴォルフの方から催促した。
「あの……私、ライネスク侯爵様のお世話係を申し付けられまして……」
「だれに?」
いつの間にか後ろに来ていたユーリィが、ヴォルフの横からヒョイと顔を出してそう言った。
「ああ、侯爵様。やっぱりこのお部屋でよろしかったのですね」
「それで、だれに言われたの?」
「ええと、ギルドの方です」
「ジョルバンニ?」
言っている意味が分からないのか、コレットは眉間の皺をさらに深くした。
「まあ、いいや。でもお世話なんて必要ない。それにこんな早く来る必要はなかったんじゃない?」
「今日は朝早くにお出かけになるので、この時間にと言われましたので……」
その言葉を聞いて、ユーリィは深い深いため息をついた。
「いけなかったでしょうか?」
「いいさ、別に。でもお世話って何をするの?」
「お召し替えのお支度などを」
「自分の着替えぐらい自分でできるから」
「ですが……」
コレットの緑色の瞳がふたたび揺れ出した。本当に泣きそうな表情になる。そんな様子は世話係というよりは下女に近い。言葉使いにもあまり品性は感じられなかった。
わずかな疑念が浮かび、ヴォルフはそれを指摘した。
「本当にギルドから送られて来たのか疑わしいな」
「て、手紙を持ってます」
コレットは前ポケットからそれを取り出して、ヴォルフへと差し出した。
中を開くと、間違いなくギルドからの推薦状だ。彼女が過去にフリッシュという男爵と、ツェイペスという子爵に仕えていたことが書き記してある。そして最後の署名は、予想通りセグラス・ジョルバンニとなっていた。
「フリッシュ男爵と、ツェイペス子爵のところでも世話係を?」
「いえ、その時は下働きをしていました」
「下働きをしていた下女が、どうして侯爵の世話係を?」
「えっと、どうしてでしょう?」
意外な答えに、ヴォルフとユーリィは顔を見合わせた。
「わたし、どうしても食べ物が欲しくて、ギルドにお願いに行ったんです」
「配給には行ってないの?」
「もちろん行っています。でも、うちには病気の母と夫と赤ん坊がいます。配給には夫と二人で行くのですが、赤ん坊を抱いていくと一袋しか持てないんです。夫は魔物にやられてしまって片腕しかないので……。でも一袋では足りないんです」
だんだんと事情が分かるにつれ、ヴォルフにはジョルバンニの姑息な手段も見えてきた。
「だからギルドに行ったら、どこかのお屋敷に連れていかれて、いろいろ聞かれました。そしたら侯爵様のお世話係にと言われたんです。わたし、そんなことできないって一度は断ったんですけど、でもお給料は配給袋を毎日一つだって言われて……」
「なるほどね」
色のない声でユーリィが返事をした。たぶんなにか深く考えているのだろう。しかしその声色がコレットには冷たく感じられたようだ。
「あの、わたしではダメでしょうか? なんでもしますから、どうかお願いします。水汲みでもなんでもいいんです。お願いします」
涙声で、すがるような目で、女は必死に訴えた。
「……分かった、いいよ」
そう言ってユーリィは体をずらした。
ジョルバンニは侯爵が絶対に断れない方法を選んだのだ。それは自分が言ったことの正しさをヴォルフに見せつけるためでもあった。
今日の情事は諦めなければなるまい。ユーリィも父親から逃げることを諦めざるを得ないだろう。
いそいそと室内に入っていく女の後ろ姿を眺めつつ、ヴォルフはそう思っていた。