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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第109話 芳香

『すべての者が幸せに暮らせる世界があるはずだと、王様は昼も夜も歩き続けました。けれどあるのは醜い人間がはびこる場所ばかり。とうとう王様は嘆き悲しみ、そして諦めたのです』

                        ――『カンティバ王物語』より



(お前は虫か!)


 部屋を出るなり、タナトスは心でそう毒づいた。

 自らを虫に喩えるなんて馬鹿げている。そんなヤツが皇帝だなんてお笑いぐさだ。

 体調のことなど言わなければ良かった。もう二度と馴れ馴れしいなどと言われたくはないし、思われたくもないのだから。

 脳裏にある笑顔に毒されている。


(まぁでも、家には連絡しておいた方がいいか……)


 両親が嫌いだったわけではない。ただ馴染めなかった。物心ついた頃から、ここは自分のいる場所じゃないという違和感が拭い去れず、客のツテで入隊できた時はなぜかホッとしたのを覚えている。

 たぶん自分は生ぬるい世界が似合わないのだろう。そう思って、今まで深くは考えなかった。むろんこれからも考えるつもりはない。


(そういや、あのガキ、何回か変なことを言ってたな?)


 親について尋ねたり、消え屋敷でのことを気にしてたり、そのたびに誤魔化されているが、いったいなにを思っているんだろうか。


(ま、どうでもいい)


 明日から捕虜たちの移送に付いていくことになっている。アーリングの甥モデストはかなりいい加減な男らしい。その司令官に感化された連中が、酒の勢いで起こしたのがあの事件だという噂をタナトスの耳にも入っていた。だから今回もなにか起こる可能性もある。


(あんなガキ、破滅すればいいんだ)


 どうしてそう思ってしまうのか、タナトス自身もよく分からなかった。




 翌日から二日間、囮のための捕虜移送に同行する件でジョルバンニに呼び出されたのは、そのすぐあとだった。

 同行の際になにか特別な任務があり、それを申し伝えられるのだと思ったタナトスだったが、まったくそんなことはなく、アーリングの甥モデスト以下兵士たちを監視しろと言われただけだった。

 今回はククリとの戦いはないというのが、ジョルバンニの見解らしい。


「つまらない小細工など悟れているだろう。ネズミは案外近くに潜んでいるからな」


 口の端を歪めて笑った男を見たタナトスは、もしかしたらこの男こそがそのネズミではないかと思ってしまった。



 次の日まだ夜が明けきらぬ頃、タナトスはモデストおよび数十人の兵士たちとともにソフィニアを出発し、小一時間で到着した。

 収容所の状況はかなり劣悪なものだった。レンガを積み重ねただけの窓もない四棟にそれぞれ五、六十人が収容されているらしい。しかし建物はそれだけの人数を収めるほどの大きさはなく、ほとんどの者は横になって寝られないだろう。

 乳飲み子以外の幼児は同じ建物に集められ、兵士が厳重に見張っているとのこと。なぜなら女どもがまた暴れ出さないように人質にしているのだと、司令官モデストが明るい表情でタナトスに説明した。

 この若い司令官がアーリングと血縁であるという証はその巨体だろう。しかし叔父と違い、彼は縦と横だけではなく前にもデカかった。その腹は、まるで二十二年の人生ほぼ食事しかしていなかったかのようである。一人では馬にも乗れず、必ずだれかが補助をした。どれだけ甘やかされて育ったか、その姿だけでも伺い知れた。


(あんな甥を猫かわいがりしてるようじゃ、魔物五体を一度に倒したって英雄アーリングの伝説も、眉唾ものだな)


 部隊が到着した時、捕虜移送の準備はまったくできていなかった。そればかりか監視隊の半数がまだ寝ていた有様である。しかし司令官は怒ることもなく、待っている間にと塩漬け肉を挟んだパンをかじり始めた。そんなモデストの姿を見て、補助役のラシアールが小さく舌打ちをしたのを、タナトスは聞き漏らさなかった。


(あのガキがこの現状を知ったら、どうするだろうな)


 しばらく待ったのち、ようやく出発の準備は整った。黒いローブを着た三十人ほどの女たちが、手かせを付けられた状態で建物から出てくる。囮に使われるみな怯えた顔をしているのは、例の事件のことがあるからだろう。涙を流している娘もいた。遠くからは子どもが泣き叫ぶ声が聞こえてきた。


 その後、タナトスを含めた人間約二百名、ラシアールを含めたエルフ約五十名、馬五十頭、魔物二十体で構成された移動部隊は、ソフィニアの北に広がる草原をノロノロと行進した。タナトスの想像通り、モデストは移動中も馬の上で絶えずなにかを食べている。途中、捕虜たちが喉の渇きを訴えたが、司令官が無視をするものだから、見るに見かねたラシアールが何度か与えていた。


 兵士たちには緊張感の欠片もなく、行進はダラダラと続いた。この移送の目的を知らされていなかったせいかもしれない。知っているはずの司令官ですら、馬の上でずっと食べたり飲んだり、お気楽なものだ。ラシアールの女たちだけがイライラとした様子で辺りを探り、ククリの襲撃を警戒していた。


(いよいよきな臭くなってきたな)


 なにがあっても高みの見物をしていよう。

 なにかあることを期待してそう思ったタナトスだったが、残念ながら小競り合いすら起きなかった。その理由は自分であることに気づいたのは、一日が終わりかけた頃だ。

 ずっと部隊の一番後ろにいたタナトスだが、先頭にいるモデストに話があるからと呼びつけられた。いったい何ごとかと行ってみると、ライネスク大侯爵の警護兵であり、元フォーエンベルガーの兵士が、同行している理由を尋ねられた。


(なるほど、そういうことか。俺がいるせいで大人しいのか、このデブは)


 ジョルバンニの策略を知り、タナトスは内心ほくそ笑む。

 ならばご主人様のご意向を汲んでやろう。


「実は同じことが起こらないよう監視しろと、大侯爵から申し付けられました」


 そう言い放ったタナトスに、モデストは露骨なまでに嫌な顔をした。



 その日の駐屯地はゲルルショールフォンベルボルトという長たらしい名前の城だった。城とは言ってもかなり小さく、イワノフ公爵家の所有であるらしい。しかもあろう事か公爵本人が幽閉されていて、そのせいでだれも中に入ることが許されず、部隊は庭先での野営を余儀なくされた。そのことが気に入らないらしく、モデストは文句を言い続けた。“叔父に訴える”が彼の口癖らしい。しかもそれがまかり通るから質が悪い。

 あの軍法会議において、事件当日本人が不在だったことを理由に、アーリング士爵は甥を弁解し続けた。不在なら責任がないという話がまかり通るほど世の中は甘くないはずだが、最終的にアーリングに押し切られる形でモデストはなんの罪にも問われなかった。

“素晴らしい親族がいることだけが唯一の武器”だというジョルバンニの言葉を改めて思い出す。またなにか起こったとしても叔父を使って言い逃れをし、だれかに責任を押しつけることだろう。大方ラシアールの女たちか。横柄な態度でエルフに命令する姿を見て、タナトスはそんな想像をした。


(ここまで躾が悪いと、逆に清々しいな)


 だが期待に反して次の日もなにも起こらず、任務は無事に終了してしまった。




 タナトスがとある噂を耳にしたのは、少し前のことだった。きっと従者たちの間ではずいぶん前から囁かれていたのだろう。それがとうとうよそ者の耳にも入るぐらいに染み出してきたらしい。


“イワノフ公爵にはもうひとりご落胤がいるらしいって噂、知ってるか?”


 そう言ったのは時々昼飯を一緒に食べるコックで、彼は食後の会話として適切だと考えたようだ。それともライネスク大侯爵の警護兵に、その噂が本当かどうか確かめたかったのかもしれない。しかしまったく興味を持たなかったタナトスは、適当に受け流した。

 次にその話を持ち出したのは、なんとジョルバンニだった。ソフィニアに戻ったばかりのタナトスに、聞いたことがあるかと相変わらず無表情で彼は尋ねた。


「数日前にコックから聞きました」

「そうか。いよいよだな」


 そう言って、ジョルバンニは唇を歪めて薄く微笑む。

 だがそれについてタナトスはあえて聞かなかった。いよいよなにかが始まるんだと分かるだけで十分だ。

 ご落胤の件以外には、ゲルルショールフォンベルボルト城での様子を尋ねられた。モデストが中に入りたがっていたと答えると、ジョルバンニは「次は入ってもらうことにしよう」と意味深に呟く。

 敵には回したくない相手だ。

 そう思いながら、タナトスは男の様子を眺めていた。



 やがてセシャールの使者がソフィニアに到着すると連絡が入る。

 当初は宮殿前での出迎えを予定していたが、ミュールビラー侯爵が“ライネスク大侯爵が城壁門まで行って出迎えるべきだ”と主張した。その理由は、ソフィニアの人々がどれほど大侯爵を慕っているかを見せつけて、皇帝に相応しい人物であることを知らしめようということだった。

 なるほどとみなが納得し、その主張は実行されることになった。タナトスは普段通りの任務となり、少年の警護に戻っていたが、城壁門へ出向く間際、ジョルバンニからくれぐれも気をつけろと何度も注意を受けた。

 葬儀の時と同じく、大侯爵を乗せた白い馬車と、三百人の兵士たちが街を行進する。ただし前回は街を一周するだけだったが、今回は南門という目的地があった。

 相変わらず人々は、天子見たさに街に溢れる。ここまで来るとすでに狂気の沙汰だ。もしかしたら彼らはただ珍しいモノを見物しているだけではないだろうか。

 もしそうだとしたら、仏頂面で馬車に乗る金髪の少年が、タナトスはわずかばかり哀れに思えた。



 それが起こったのは一団が南門に到着した直後であった。

 子牛五十頭を連れた使者と、それを守るラシアールの部隊が、開かれた門の向こうに見えてきた時だ。

 広がる草原はすでに初夏の色をしている。風に揺れる青々とした波は遙かと奥まで続いていて、空には雲一つない。

 そんな景色の中、空を飛ぶラシアールの使い魔たちと、その下をうごめく黒い集団が見えてきた。黒いのはたぶん牛だろう。その周りを兵馬が囲み、使者が乗っているらしい馬車もある。ククリが襲ってくるような気配は感じられなかった。

 しかし奇襲はいつ起こるか分からない。なにかあったら援護に向かえと、金髪の少年が隣にいるディンケルに命令をしていた。


 なにか起ころうが起こるまいが、どっちでも構わない。俺はよそ者で、ただの傍観者だ。

 そんな気分でタナトスは何気なく視線を上げた。

 門から少し離れた建物の上に、軍服姿の兵士がいる。あんな場所に登らされるとはご苦労なことだ。

 そう思った次の瞬間、陽光にキラリと光るなにかを見た。

 体が勝手に動く。

 少年の元まで駆けよって、咄嗟にその体に飛びついた。そばにいたディンケルが叫んだが、なにを言ったのか分からなかった。

 青紫のマントがまとわり付く。野太い男のうめき声が聞こえてきた。

 少年の細い体ごと地面に倒れ込む。


「あぅ……」


 どこかを打ちつけたのか、耳元で少年が小さな悲鳴を上げた。

 周りでは幾人もの兵士たちが上官の名を呼んでいる。

 顔を上げると、肩口に矢が刺さった男が辛そうな表情でうずくまるのが見えた。


「ありがとう、ハーン」


 胸元の少年がそう呟いたが、もちろん返事はしない。ただ少年の匂いが鼻について、それに腹が立った。

 このクソガキはなぜ、芳しい香りを漂わせているのだろうかと__。


☆☆☆☆☆☆


少し遅くなりました。モデスト君の設定に悩んでいたのと(前は優男としてたのですが、色々被る人が多いので急遽変更)、今後の展開についてプロットもどきを作成していました。四章はこれで終了。でもなんか伏線だらけになっている気がする。

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