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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第107話 新月の竜

 ブルーが来た翌々日にジュゼと丸坊主の結婚式があった。

 花嫁衣装は白というよりベージュに近いワンピースに、結い上げた黒い髪に付けた髪飾り代わりの赤い花だけ。唯一花嫁らしかったのは、花婿から贈られた赤真珠の指輪ぐらいだろう。五年ほど前に海で採ったミザナ貝に入っていた物だと、丸坊主は何度も仲間に自慢をしていた。

 庭先での式に参列したのは、両手の指で十分数えられるほどの人数だった。それでも花嫁は式の間ずっと微笑んでいた。あとで聞いたところによると、フクロウがそばにいたせいらしい。

 ベルベ島の結婚式はマヌハンヌス教の司祭ではなく、祈祷師が執り行う。祈る相手は島の守り神である地の精霊リュットだ。つまり神様本人を前にしての式が楽しかったのだそうだ。


 そして無事に式が終了し、騒がしい船乗りたちや、盲目の少女とその両親が帰り、丸坊主の母親も床についた。

 小屋のような家の、リビングと食堂を兼ねた部屋には、四人と一羽が集っていた。室内は非常に狭い上に、古いテーブルと椅子、雑多な物が乗っているチェストなどまさに詰め込まれているという状態だった。


「それで、あんたは竜と闘うつもりなのかい、フェンリル?」


 ひと息ついたところで、円らな瞳を曇らせてエルフの女が問うた。あどけない少女のようである彼女だが、実際は三十を超えている。もっともエルフにとってはまだ若い娘だ。


『戦いになるとは限らんがのぉ』


 チェストの上でのんびり羽繕いをしていたフクロウが代わりに答える。


「昔、曾爺さんに竜の子どもは相手にするなと言われたことがあったけど、なるほど、そういうことだったのかぁ。俺はてっきり精獣は使い魔にならないからだと思っていた」


 長年の謎が解けてブルーがうなずく。


「アタシらは魔物と一緒だからね。ほらほら、ハイヤー、そんな顔をしない。前に説明しただろ? 竜は精獣、つまりリュット様たちと同じく、この星が生み出したモノたち。魔物は天から飛来した瘴気に触れた生き物のなれの果て。そしてアタシらの先祖は人間が魔物化した者たちだってね」

「分かってるけどよ……、でもジュゼに自分が魔物だなんて言って欲しくないよ」


 海岸での出来事を思い出したのか、ハイヤーは泣きそうな顔をした。

 飛来したブルーの使い魔を見た船乗りたちは、ハイヤーの話など耳も貸さず、魔物襲撃だと島中に触れ回った。それを聞いた島民たちは漁船で逃げようとする者が続出し、数人が時化た海に投げ出された。幸い死人は出なかったが、ハイヤーは島民一人一人に謝って歩く羽目となった。けれど“魔物は出ていけ”と怒りを露わにする者もいて、彼らをなだめるのに苦労したようだ。おかげで結婚式は一日延びてしまった。


「真実は曲げられないから。でも大丈夫。本当に辛くなったら、ちゃんと言うよ」

「ジュゼ~」


 微笑んだ彼女に、美女に襲いかかる野獣のような勢いで、ハイヤーは甘えるように抱きついた。場の雰囲気がなんとなしに穏やかになりかける

 だがフクロウの次の言葉がそれを一掃した。


『さて新月は明日じゃ。竜が来るなら朝早くじゃろう』

「素直に連れて帰ってくればいいんだけど、なんか嫌な予感がするね」

『五分五分といったところじゃ。あの子竜には人の匂いも、エルフの匂いも、そして魔物の匂いもたっぷり付いている。いずれにしても、島を壊すようなことになるなら、子竜は諦めるんじゃぞ』

「姉貴、ヴォルフさん、悪いけど俺は今夜帰るよ。明後日、セシャールからの使者が来るんだ。つまり貴方のお父上が……」

「そうか……」


 その事実を知らされても、なんの感情も浮かばなかった。人間ではなくなった息子を見て、あの男も喜びはしないだろう。

 それでも心のどこかがわずかに疼く。

 懐かしい故郷の雪景色が、脳裏に浮かんでは消えていった。


「こっそり帰るんだよ、ブルー。また騒ぎを起こしたくないからね」


 気に病むような表情で、エルフの女が静かに答えた。




――――そして翌朝。


『ゲオニクス、来たぞ!!』


 間近にある木の上でフクロウが叫んだ。

 見上げた先には刃のような新月と、それに重なる黒い影。広げられた輪郭は翼を象っていた。


 ここは森の奥深く。鬱蒼とした木々に囲まれている。目の前には少し開けた空間があり、白い野花がひとかたまりに咲いていた。

 花の群生の向こう側には岩壁がある。人ならば登るに苦労するだろうが、魔身ならどうということもない低い崖だ。

 崖には小さな洞穴があり、入口で淡く光るモノたちが飛び交っている。子竜を穴に隠しているせいだ。

 しかし隠していても意味はない。上空の竜は完全に分かっていた。


『まだ手を出してはならぬぞ』

「分かっている」


 まずは状況を見守れとフクロウは言う。

 親の気配を感じてか、穴の中から子竜が甘えるように甲高く()き始めた。


『ゲオニクス、そなたは下がっておれ』

「了解」


 人の姿なら木の下に身を潜められる。もちろん隠れたところで、やはり竜には気づかれているだろうけれど。

 空はすでに白んでいた。目覚めたばかりの太陽が、木々を緑色に染め始めている。近づいてくる竜の姿も徐々に見えてきた。

 赤い鱗が覆う肢体より、陽炎が沸き立っている。四肢の指にある鉤爪は黒光り、さらに長い尾の先端にも大きな爪が付いている。二枚の翼は胴体の二倍ほどか。牙がはみ出す口からは熱がほとばしり、その波動は地表にいても感じられた。


『そなたの三倍はありそうじゃの』


 正直、まともにやり合って勝てるような相手ではなさそうだ。しかも火竜となれば炎の攻撃も効果がない。できることなら子竜は連れて帰って欲しかった。


「あいつが親なのか?」

『親であるが親ではない』

「つまり?」

『異物でしかないあの子竜は、存在してはならないそうだ』


 その時、竜が急降下を開始した。翼を折りつつ、この空間へと入り込む。囲んでいる木々が震えるように、左右に揺れ始めた。

 洞穴から出てきた子竜は、親を求めてふたたびく。だが降りてきた巨竜はいっさいのためらいはなかった。

 両前肢で子竜を押さえつける。その鉤爪が子竜の背中に深く突き刺さり、悲痛な叫声が森へ、空へと響き渡った。周辺で舞っていた黄色い光が、四方へ逃げ散っていく。


「容赦がないね」


 竜から顔を背け、エルフが呟いた。

 確かにむごい仕打ちだが、竜には竜のやり方がある。

 だから助ける必要なないはずだ。


『仕方があるまい。光ある者に出会ったことが不幸だっただけじゃ』


 その昔聞いた途端、なぜか彼の声が脳裏に蘇る。


“僕と一緒にいたって、ヴォルフに未来はないよ“


 自分は他を不幸にする存在なんだと哀しんだ少年。

 あの時の気持ちを、彼はまだ抱えているのだろうか?

 もしそうなら、子竜がやられたと告げない方がいい。

 そう思った瞬間だった。

 突如、隣に立つ女が前に立つ。

 薄茶色のその双眸は、異様なほど光っていた。


「フェンリル、あんたはいつまで逃げてるんだい?」

「逃げてる……?」

「そう、逃げてる。魔物だった頃のあんたも、人間だった頃のあんたも、ちゃんと意志があった。アタシに逆らってあの子に“束縛の名”を教えたり、あの子を自分だけの者にしたいと縛り付けたり。でも今のあんたからなんにも感じない。あんたはユーリィの命令でここに来たって言ったけど、あんた自身はどうしたい? あの子竜を見捨てるにしても、助けるにしても、自分の中で言い訳を探してるんじゃないの? たとえ魔物になったとしても、感情まで失ったわけじゃないんでしょ? エルフがそうであるようにさ」

「俺は……」


 俺?

 自分自身を認識していないはずなのに。


「いつまであんたはあの子を泣かせるつもり?」

「俺は魔物として、あいつを守らなければ……」

「そんなこと、あの子が望んでるとは思えない」

「しかし……」

『なんでもいいが、もう時間がないぞ』


 フクロウの言うとおり、子竜の息の根を止めるため、巨竜が前肢の片方を上げる。四つの黒い爪が鈍く閃いた。


「ヴォルフ・グラハンス、自分の気持ちをもっと感じなさい!」


 次の瞬間、彼方からユーリィの叫び声が聞こえてきた。


“戦うぞ、ヴォルフ!!”


 それだけで十分だった。

 潜めていた木陰から躍り出て、二本の足で大地を蹴った。

 いつものごとく、駆けながら魔身へと姿を変える。四肢となった躰は加速して、見る間に竜が迫ってきた。

 巨竜は首を巡らせ、鋭く光る双眸でこちらを見ると、 “邪魔をするな” と唸るように咆哮した。

 しかし止まるつもりなど一切ない。

 前足で地表を掻き、攻撃態勢に入っていない竜の横腹へ体当たりを喰らわせる。むろんそんなことで吹き飛ぶような相手ではなく、岩のように固い体にはじき返された。

 咄嗟に空中で体勢を整える。


――まだだ!


 下草の生える地面へ着地をすると、もう一度竜へと向かう。

 避けられる自信はあった。

 俺の知らない向こうの世界で、この魔身は幾度となく戦っている。

 我の知らないこちらの世界で、この人間は幾度となく戦っている。

 敵の前肢を狙い、ふたたび駆ける。狙いは子竜を押さえる前肢のみ。押し退ける力はなくとも、あれならば。

 しかし敵の速度は想像以上に早かった。

 懐に飛び込み、右前肢に食らいつこうとした直前、後ろ肢の付け根に激しい痛みを感じた。と同時に、突き上げられるようにして肢体が浮き上がり、地表へと叩きつけられる。刹那、意識がわずかに飛び、気がつけば鼻先で白い花が揺れていた。

 己の肉からなにかが抜けていく。

 遠くからフクロウが叫ぶ声が聞こえてきた。


『ゲオニクス、避けろ!!』


 痛みを無視し、咄嗟に立ち上がり、前方へと飛び退く。それと同時に後方で土が弾ける音とともに白い花弁が辺りに飛び散った。

 間一髪だったが、振り返る余裕はない。一気に空中へと駆け上がり、敵との距離をとる。傷口から流れ出た体液が、右後ろの足先へと伝わるのが感じられた。

 尾が届かないだろう高さまで昇るとそのまま旋回し、竜の姿を確認する。土に刺さっていた尾爪が、胴体の方へと戻っていくのが見えた。

 諦めろと魔身の魂が叫ぶ。


――このまま終わらせられるかっ!


 内にある(ほむら)を呼び覚まし、一気に吐き出す。炎など効く相手でないことは分かっている。逃れるチャンスを子竜に与えるためだ。

 放った火を追う。

 炎が竜に直撃するその瞬間、その中に飛び込んだ。まだ子竜を押さえつけている前肢を狙う。歯が立たない相手かどうか、やってみるまで分かるものか。

 渾身の力を込めて、牙を突き立てる。

 けれど厚い鱗はあまりにも硬く、傷すら付けている歯ごたえはなかった。

 その時、肩から背中にかけて、先ほどとは比べものにならないほどの強烈な痛みが走った。

 炎が消えていく。

 瀕死の子竜が、洞穴の中へと必死に逃げる姿が見える。その周りを光るモノたちが守っていた。


――なんとかなったぜ、ユーリィ。


 まだ俺は人であることを忘れてはいないようだ。

 自分がどんな状態にあるのか分からぬまま、意識が薄らいでいった。




 それからどれくらいの時が経っただろうか。だれかがそばで話す声がした。

 死なずに済んだようだと安堵しつつ、瞳を開ける。

 最初に見えたのは薄紫色の小さな花弁。それが自分の体液に染まった花だと分かったのは、そのすぐあとだった。


『どうやら気がついたようじゃの、ゲオニクス。ああ、起きなくても良いぞ。起きられるような状態ではないじゃろうがのぉ』


 返事をしようとしたが、魔物の唸り声しか出なかった。

 まだ魔身の姿でいるらしい。


『竜は去ったぞ、一時的にではあるが。次の新月にはまた現れるはずじゃ。それまで傷を癒やせ』

「まさか、次の新月までこの姿のままなのかい?」


 そばにはジュゼもいる。


『ある程度治るまでは変化(へんげ)は無理じゃのぉ』

「それじゃまた騒ぎになって、ハイヤーが気をもむかもしれないねぇ。アタシは別にかまわないけど。フェンリルと暮らしていた昔に戻ったようで嬉しいからね」


――しばらく魔身のままなのか……。


 嫌だというわけではない。

 ただしユーリィを抱き締められる腕だけは恋しく感じた。


「それにしても、あんたはイイ男だよ、ヴォルフ」


 その名を付けてくれた父が帰る前に傷は治るのだろうかと、全身に痛みを感じながらも、俺はそんなことを考えていた。


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