第104話 狼たちの密談
ジョルバンニは従者を付けることを、くどいぐらいに念を押して出ていった。だからゲームに参加するのは二人一組となる。
今、客間にいるのは八人。
ユーリィにはタナトス・ハーン、エルナには侍女(以前ユーリィを超速度で着替えさせたあのメイドだ)、フィリップにはカシルダ、アラムには世話係の女。
そして、姉ジークリットには__
「なんでお前がここにいる?」
目の前に立つ男を睨め上げ、ユーリィは言った。
「彼女に用があると聞きましたので」
悪びれもせず、男は和やかに答える。
「たとえそうだとしても、なぜ自分も呼ばれたと心から信じている?」
「ジークリットさんがお部屋の外に出るのが怖いというので仕方なく、です」
「仕方がないって感じじゃない、アシュト」
言っていることが正論でも、男の手に繋がれた幼女の手はそれを裏付ける証拠にはなっていない。しかしアシュトは激しく反論をした。
「なにをおっしゃる! 親族としては当たり前のことをしたまでです!」
「っていうか、なんでその子らの部屋に行った?」
それからは「ご説明します」という言葉からアシュトの言い訳が始まった。聞かなければ良かったと、ユーリィはちょっぴり後悔をした。
長男カミルが病気の為 ――さすがに姉弟の前で気が狂ったと言わないだけの良識はあるようだ―― 兄から隔離された二人の話を聞いて、親族として ――これを何度も強調した―― 慰めようと彼らの部屋を訪れたのが三日前。すると九歳になるジークリットがあまりにも寂しげで、毎日お菓子などを届けているうちに親しくなったのだという。
確かにジークリットは怯えていた。周りにいる大人たちをオドオドとした目で見る様子は、捉えられた動物のようだ。その怖い大人の一人にアシュトが含まれているのか、見た感じでは判断がつかない。アシュトに握りしめられている手を、安心の証と思っているのか、それとも捕獲されていると思っているのかも含めて。
「お前、胸がどうとかって言ってたよな、そういえば」
「胸は好きですが、胸のない少女も好きなんです!」
「今、この部屋にいる女性の、お前に対する評価が、地の底に落ちたぞ」
当惑した表情をするエルナの顔を横目で見て、ユーリィはきっぱりそう言った。
しかしアシュトにはなんの効果もなかった。
「私の優しさをご理解いただけないとは、非常に残念です」
これ以上言っても無駄らしいから、ジークリットには悪さをするなとアシュトに釘を刺し、ユーリィはエルナへと向き直った。
「で、どうするの?」
「その前に、お二人にはきちんと説明した方がいいと思うわ」
「ああ、そうか」
呼びに行かせた者には、詳しい説明をしなかった。ベレーネクの遺児と、ぞれぞれに付添人を連れてくるようにと伝えただけだ。さすがにここで“隠れん坊”をすると噂になっては、貴族たちがいい顔をしないような気がした。しかも生母の結婚式当日に。
「アラム」
ユーリィの呼びかけに、六歳になったばかりの男児はピクッと肩を震わす。
「これから隠れん坊をするつもりなんだけど」
「かくれんぼう……?」
「隠れた人を探す遊びなんだって。知ってる?」
ためらいがちにアラムは小さくうなずいた。
「やる?」
どうしていいか分からないという顔で、アラムは隣にいる姉を見る。
姉ジークリットはそれに答えて、泣きそうな顔で首を小さく横に振った。
「やっぱり無理か……」
ユーリィは諦め気味に呟く。
二人とも衰弱しきった状態で、母親や従者たちの死体と数日間共にした経験があり、傷が癒えるにはまだまだ日が浅いようだ。
すると、フィリップがその言葉にいち早く反応した。カシルダの手を払うように放すと、ユーリィの後ろから飛び出て、アラムのそばへと駆け寄った。
「ねぇ、やろうよ、隠れん坊」
なにも知らないフィリップが無邪気に誘う。
「かくれんぼうってふつうの……?」
「普通じゃない隠れん坊なんてあるの?」
「しらない……」
「なら僕も分からないや」
屈託なく笑うフィリップは、弟ということを差し引いても可愛いなと思ってしまう。
幼児二人はともに金の髪をしている。フィリップの亜麻色と比べるとアラムは茶色に近かった。ちなみにユーリィの髪は、母と同じで白金色。
王宮時代、金髪は支配者の象徴としてもてはやされた時があり、王族たちはこぞって髪を金に染めたそうだ。イワノフ家も数代前まではその風習が残り、ユーリィが育った城には金色の髪をした当主や婦人らの肖像画がたくさん掛かっていた。
「今日やるのはね、普通の隠れん坊。そうだよね、お兄様?」
「やったことがないから、普通が分からない」
「僕はカシルダや他の召使いと三回もやったことがあるから、よく知ってるよ」
得意そうに鼻をヒクヒクさせ、フィリップはユーリィを見上げた。
「隠れん坊はね、狼が隠れた人を探して、全員見つけたら狼の勝ちなんだ」
「なら隠れた人が勝つには、ずっと隠れてなければいけないのか?」
「隠れた人が一人、狼に見つからずに狼の巣に入れたら、隠れた人たちが勝ち」
言ったのち、フィリップは室内をぐるりと見渡した。
「このお部屋を巣にする?」
「巣って?」
「巣はね、狼が隠れた人を捕まえて連れてくるところ」
「狼が探しに出ている間に、この部屋に戻ってきたら勝ちってことか」
「正解!」
その大人びた言い方に、しばらく合わないうちにずいぶん成長したんだなとユーリィは実感した。
「ね、やろう?」
「ぼく……」
カミルは明らかにやりたいという表情をして、まだ怖がっている姉の方を見た。
「やりましょう、ジークリットさん。このお兄さんが――」
「おじさん、だろ」
「お兄さんがそばにいるから大丈夫ですよ。ね?」
このオヤジは!
無視したアシュトをユーリィは睨みつけた。
とはいえ、シュトはそれなりに自制心があるし、小心者なので大丈夫だろう。それに今のジークリットは、これぐらい強引な誘いをした方が心を開きやすいかもしれない。少女は渋々という顔で、本当に小さくうなずいた。
どうやら予定どおりに始められそうだ。
気が変わらないうちに狼を決めようとユーリィが言いかけたところで、エルナが慌てて口を挟んだ。
「その前に提案があります」
「提案?」
「夕食までそれほど時間がありませんし、この階だけとはいえ、お部屋も二十以上もありますから、子供たちの組と私たちの組で分かれませんか?」
「えっと、それはつまり……」
「子供たちが隠れる人で、私たちが狼になるんです」
「狼が二人ってこと?」
エルナはにっこりと微笑むと、フィリップに直接話しかけた。
「フィリップ君も、隠れる人と狼と両方やりたいでしょ? だから最初は私たちが狼になって、次は三人が狼になるの。そうしたらどちらもできるわ」
「うん! 僕ね、隠れるのも好きだけど、探すのも得意なんだよ!」
フィリップはエルナの提案にすぐに乗り気になった。
エルナは子供の心をつかむのが上手いなとユーリィは感心してから、彼女には年の離れた弟がいて、領民の子供たちとも遊んでいたんだっけと思い出した。
「ではそうしましょう。付き添いの皆さん、子供たちにはベッドの下や家具の中には隠れないようにさせて下さいね。複雑な場所に入ると探すのも大変ですし、事故に繋がるかもしれませんから」
カシルダとアシュトと世話係の若い女が、エルナの言葉にそれぞれ同意の返事をした。
「それ以外のことは自由にさせてあげて下さい。それから――」
エルナが扉の方を見る。まるでタイミングを計ったかのように、短いノックが三回鳴り響いた。
扉のそばにいたハーンが開ける。彼は相変わらず斜に構えた態度を崩さない。
開いた扉からは、シュウェルトが羽根をパタつかせるような様子で中へと入ってきた。
「お言いつけ通り、この階にあるお部屋の明かりは点けておきました。ですが、いったいなにを……」
みなの注目を浴び、チョビ髭男は狼狽しつつ、嘴ならぬ唇を閉ざした。
先ほど遺児たちを呼びに行くついでに、エルナの機転で彼にそうするように伝言を頼んでおいたのだ。
「ありがとう、シュウェルトさん。さっき言いかけたのは、明かりの点いていないお部屋にも入らないようにと。それで宜しいですよね、ライネスク大侯爵」
同意するとうなずいたユーリィは、心の中で感心しきりだった。
(何から何まで、エルナは気が利くなぁ……)
これが本によく書いてある“女性の細やかな気遣い”というものなのだろうか。しかしそういう女性には一度も会ったことがなかったので、おおよそ信じていなかったが、エルナが良い意味で覆してくれた。
けれどこのままでは立派だと称賛してくれた弟に、兄としての威厳が保てない。
ユーリィは未だ落ち着かない様子のシュウェルトに向き直ると、
「これから隠れん坊をするんだ。シュウェルトは子供たちがちゃんと隠れたかどうか確認して、狼の僕らに報告して欲しい」
「なるほど、隠れん坊でしたか。ようございます。こう見えても、私、子供の頃には“隠れん坊の王様”と呼ばれるほど得意でして。喜んでその役目をお引き受けましょう」
まさかそんな称号を持つ強者が現れるとは!
「お前は審判役だから、格好いいところとか見せようとしちゃダメだぞ」
「はいはい、分かってますよ」
なにが可笑しかったのか、エルナがクスッと笑った。
それから子供たちは部屋の隅で、作戦会議と称して、顔をつきあわせ話し合いを開始した。傍目から見ても、アラムはフィリップに打ち解けてきているようだ。ジークリットも連れられてきた頃に比べ、表情が和らいでいた。
やがて三人はそれぞれの従者を伴って出ていき、審判役のシュウェルトもそのあとに続いた。あとはシュウェルトが戻ってくるまで待機するしかないのだが、子供たちを真似したのかエルナが作戦会議を開きたいと言い出した。
「とっても良い作戦を考えついたのですが、付き人の二人が知ってしまうと上手くいかない作戦なんです」
「えっ、なにその作戦!?」
「ええ。ですから、そちらの二人は廊下で待ってて下さいね」
エルナににっこりと微笑まれ、ハーンと侍女は逆らうこともなく廊下へと出て行った。もっともハーンは渋々という表情がにじみ出ている。きっと子供の遊びに付き合わされている自分を、大いに嘆いているのだろうとユーリィは考えた。
「で、どんな作戦?」
隠れん坊初心者には考えつかないような、スゴいことを思いついたのかと内心期待した。
幼い頃は遊ぶなんてことは考えたこともなく、同じ年頃の子供と話したこともなく、そればかりか罵りと皮肉と命令以外の言葉は滅多に耳にしなかった。だからフィリップ以上にワクワクするものが心にある。
毎日がこういうことばかりだったら楽しいのに、と。
しかし、ユーリィの期待に反して、
「ごめんなさい、ユーリィ君。作戦というのは嘘です」
「嘘?」
「ブルー将軍から伝言があって、それをお伝えしようと思っていたのです。彼は従姉妹の結婚式でベルベ島へ行くそうです。お戻りは明後日の朝だとおっしゃっていました」
「そっか。ジュゼがいよいよ結婚するのか」
作戦でないことはガッカリしたものの、それを聞いてユーリィは嬉しくなった。
実母よりジュゼの方がずっと母親のような気がしていたので、彼女が幸せになるのは本当に喜ばしい。
「でもどうして、ブルーはエルナに伝言したんだろう」
「将軍は、貴方がベルベ島に行きたがるのではないかと心配されて、私に」
「バカだなぁ。僕だってもう自分の立場ぐらい分かってるよ」
「でも、その島にはあの方がいらっしゃるのでは?」
「あの方? ああ、ヴォルフか。うん、そうだよ」
あいつは今ごろなにをしているのだろうと考える。
もう親竜とは戦っているのだろうか。
けれどジュゼの結婚式には、自分の代わりに出席して欲しいと、そう思った。
「会いたい?」
「ヴォルフと? それはもちろん。でも信じているから大丈夫」
「信じているって?」
「色々。だって今まで何度も離れたことはあったし、二度と会えないって思ったこともあるけど、やっぱり僕たちはそばにいるから。それに近くにいることだけが、信頼する理由じゃないよね?」
「ええ、そうね」
エルナは優しく微笑んでくれた。
なんでも言える友達がそばにいるのは嬉しい。
反面、彼女もいつか不幸にしてしまうのではないかという不安がある。
お前は友達を持ってはいけないのだ。
想い出となった者たちが哀しげな顔でそう訴えていた。
彼女が哀しい思いをするぐらいなら、いっそ無理にでも領地に戻してしまった方がいい。
絶対にその方がいい……。
「ユーリィ君?」
「あ、ごめん。また考えてたみたいだね」
「あのね、もう一つ話があるんだけど、いいかしら」
「なに?」
「前に会ってくれってお願いされた人たちがいるわよね?」
「うん」
エルナはその頼みをきちんと熟し、一人一人と何かしらの理由を付けて面談してくれた。
その報告も何日か前にユーリィは受け取っていて、満足するというほどではなかったものの、おおむね納得する内容だった。
「もし良かったら、なぜ彼らが気になったのか教えてくださらない? もちろん私が知るべきことではないのなら、そうおっしゃってね」
「別に大した理由じゃないよ。建国宣言をした時に、僕の姿を見て驚いた顔をしたのを見たから、それがどういう意味だったのか知りたかったんだ。反抗心なのか、不満なのか、それとも寝耳に水ってことだったのか。もしも本当に知らなかったのだとしたら、彼らは他の貴族とは繋がりが薄いってことかもしれないだろ? あまり期待してないけど、可能性はゼロじゃない。運が良ければこちら側に引き寄せられるかもしれないって思ったのさ。何しろ僕は味方が少ないからね」
「そうでしたの。それであのお三方で、どなたか気になった方はいらっしゃいました?」
「うーん」
エルナの書いた箇条書きによれば、二人は“新皇帝は素晴らしいだ。とても期待している”などと、お世辞としか思えないようなことを言ったらしい。
けれど残りの一人は、そういった類いの言葉を一切吐かなかったようだ。
「バルターク子爵っていうのがちょっと気になったかな。どんな人?」
「なんとなくボンヤリとした感じで、つかみどころがない人よ。悪い人とは思えないわ。時々冗談もおっしゃるし。バルターク家はリマンスキーの遠縁だけど、一番上の姉のご主人と仲が良いので、姉のところに行った時に二回ほどお会いしただけ」
「歳は?」
「三十にはなっていないと思うわ」
「僕のことは、他になにか言ってた?」
「姉や義兄たちの話をしたいからという理由でお茶に誘ったので、貴方のことをあまり持ち出せなかったの、ごめんなさい。それに彼も“お若いのにお忙しそうだ”とおっしゃっただけで、それ以上はなにも言わなかったから」
「ふぅん」
当面は味方に付けられるような相手ではなさそうだ。
けれどエルナの口調から、彼女自身は親しみを感じているようだった。
「少し時間ができたら一度会ってみたいので、お茶会みたいなのを開いてくれる?」
「ええ、そうね。考えておくわ」
彼女の返事を聞いて、また友達を巻き込むことになりそうだとユーリィは少々後悔した。
その後戻ってきたシュウェルトが、子供たちは隠れ終わったと報告をした。そこでユーリィとエルナは二手に分かれて捜索することにした。
タナトス・ハーンは始終無言のままだ。時々小さな舌打ちをしたが、ユーリィは聞こえないふりを装った。彼がどういう意図で、その嫌味な態度をしたか分かっている。ユーリィが迷ったからだ。
ガーゼ宮殿は、他の城などに比べて複雑というほどでもない。基本的には各部屋は大廊下に沿って並んでいる。しかしすべての部屋がそうだというわけではない。大きな部屋を取り囲むように小さな部屋がいくつかあったり、大廊下に繋がった細い廊下の奥に部屋があったりで、グルグル回ることが何度もあった。
エルナは“この階にはある部屋は二十ぐらい”と言ったが、小部屋を合わせればその倍以上はある。しかも似たような構造の場所がいくつかあって、ユーリィにとっては迷路より少し簡単という程度だった。
結果、ユーリィとエルナの狼組は敗退した。ジークリットはエルナがすぐに見つけたが、散々探し回ったユーリィがカミルを見つけた時には、フィリップが巣に入ってしまっていたのだった。
「お兄様、どっちかが巣の近くにいないとダメだったんだよ」
得意げになってフィリップがそう言った。
「そうかぁ。だったらエルナに守っててもらって……」
背後にいたハーンが鼻で笑う。シュウェルトまでもが、「それでも負けていたかもしれませんね」としたり顔で呟いた。
「ああ、そうだよ! 僕は方向音痴だよ、悪いか!」
むきになって反論すると、ジークリットが小さく笑った。
「いいさ。次は隠れる番だから迷わないし、絶対に負けない」
こうして隠れん坊大会の第二回戦が始まったのだった。