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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第102話 エルフという魔物

 薄闇に沈む浜辺には、薪が積み上げられていた。

 そこに丸坊主の大男が火をくべる。ほどなくして陸風に煽られた炎が立ち上がり、煙が海へ散っていく。不規則に繰り返される潮騒が、悪天候を予告していた。

 焚き火の周りには数人の男たちが集まっている。丸坊主と同じような体格の男たちだ。船乗りである彼らは、まさに浴びるように何度も酒をあおっている。明日は出航がない為だろうか。野太い笑い声は、風ですらかき消さないほど大きかった。


 そして、なぜ自分はここにいるのかと考える。

 もちろん親竜を倒すためだ。

 決して酒を飲むためでもなく、結婚祝いに来たわけでもない。

 けれどそんなことはお構いなしに、丸坊主は半透明の液体が入った木製カップを押しつけてきた。


「兄貴、今日はたくさん飲んでくれ」


 結婚式前夜に、仲間が集まって新郎を祝うのはこの島の習わしなのだという。それに誘われて、拒絶する理由を考える暇も与えられず、浜辺まで連れてこられた。


「酒を飲むような状況じゃないから……」

『今夜も明日も闘いはない』


 言いかけた言葉を、図々しく頭に乗っかっているフクロウに遮られる。


「なぜだ?」

『竜は新月にしか現れないからのぉ。つまりあと三日は酒を飲めるぞ』


 フクロウはホーホーと耳障りに鳴く。

 腹が立って手で振り払ったが、舞い上がった鳥はふたたび頭へと降りてきた。


『そう怒るな。お前には悩む時間が必要だと言ったはずじゃ』

「悩んだところで結論は同じだ」

『あの者の結論は同じではないかもしれぬがのぉ』


 唐突に投げられた言葉の刃は思いのほか鋭かった。

 分かっている。

 彼が望んでいること。

 守護ではなく愛だということ。

 もちろん愛は心にある。

 しかし以前ほど強くないのは、異界から来たモノの魂が熱を奪い去っているから。

 我はもう人ではないのだと__


『ヴォルフよ……そういう名であったのぉ? 大いに悩むがよい。中途半端な魂では、あの者の未来を汚すだけじゃ』

「あんたはなぜ、そうまでしてあいつに執着する? あいつはやっぱり神なのか?」

『前にも言ったであろう、ワシらには“神”という存在など理解できぬ。分かるのは、この世の秩序と法則を司る力が、あの者にあるということだけじゃ』

「秩序と法則とはなんだ? まさか正義か?」

『はてさて、この世界に生まれ、この世界に消えること以外に秩序と法則があるのかのぉ? この星が存在する限り、ワシらはそれが途絶えぬように守るのみ』


 羽音がした。

 次の瞬間、鳥の爪が頭皮に食い込み、痛みが走る。

 フクロウは浮き上がると同時に、体を水平に倒し、闇を切り裂くように飛んでいった。

 その先にあるのは地の精霊が帰る場所だ。

 あの森で秩序という名の杭を打ちつけている。彼らのような存在がなくなればどうなるのか、もう一つの世界が証明していた。

 火山から吹き下ろす陸風が、ますます強くなった。狂ったように乱される髪を手で押さえ、ふと脇を見れば、丸坊主の偉丈夫が決まりの悪そうな顔で立っていた。


「あのフクロウって、まさかリュット様?」

「ああ」

「なんと、おいたわしい姿になってしまったのか」

「前より見栄えがいいぞ」

「あ、そういやオイラ、見たことないや。前はどんな姿だったんっすか?」

「爺さんだ」

「フクロウより年寄りの方が威厳はある感じがしますぜ?」

「言い間違えた。ぼろ切れをまとった汚らしいジジイだ」

「あー……」


 丸坊主はそれ以上なにも言わなかった。

 見た目に似合わず自制心はあるようだ。ないのは髪の毛と服の袖だけ。相変わらず、たくましい腕は丸出しで、薄汚いズボンを履いている。明日の結婚式でもこんな格好だろうか。

 もしそうなら、あいつに話して聞かせよう。

 彼が笑顔を浮かべなくなってからしばらく経つ。

 もっとも笑うことなど滅多にないのだけれども。


(そういえば昔、そんなことを言っていたな……)


 彼は泣きながら訴えた。


“金なんていらないのに、地位なんていらないのに、僕はただ笑っていたいだけなのに”


 今も願っているのだろうか。

 だとしたら、あの地から彼を連れ去るのが、守護者の役目なのか。

 だが彼はもう逃げないとも言っていたではないか。


(ダメだ。自分が何をすべきか、それすら分からない……)


 早く魂を一つにして、揺るぎのない決断を下さなければならないという焦りは、虚しいほど空回りをしている。

 それなのに、無駄なことは考えるなと魔物が内側で呟いた。


「そういえば兄貴、ユーリィ……、いや、ええと皇帝陛下はお元気ですか?」

「元気だよ、たぶん」

「たぶん……?」


 大きな目、丸い鼻、分厚い唇という無骨な顔を曇らせて、男が心配そうな表情をした。

 苦手なタイプではあるが、その心根が優しいことは知っている。だから、真実を語るなど野暮なことをできるはずもなく。


「昨日は元気だったという意味さ」

「そりゃそうだ!」

「それより、こんな辺境まで皇帝の噂は入ってきているんだな」

「本土の情報はそれなりに来ますぜ。ただ最近はお城の連中がピリピリして、船も三日に一度にしろと言われちまってね。ま、島の連中は魚を獲ってるし、芋も自分らで作ってるから、食うには困らないけどよ。でもやっぱ、パンは毎日欲しいだろ? 小麦粉は本土に行かないと手に入らないからよォ」

「一度にたくさん買えばいい」

「それがダメなんすわ」


 酔ったせいではないだろうが、大男は尻餅をつくように腰を下ろす。持っていたカップから飛び散った酒が、白砂を点々と黒く汚した。

 焚き火の近くでは、船乗りたちがゲラゲラと笑っている。ここに主役がいることもお構いなしだ。その仲間たちを、男はどこか冷めた瞳で眺めている。

 そんな彼の隣に腰を下ろした。

 この男と、こうして冷静に会話を交わしたことは今までにない。彼はいつだって無鉄砲な変わり者であり、受け入れられない存在だった。


「ダメというのは?」

「船に乗せられる粉の量が決められてて、そんでダメなんで」

「それはつまり……」

「密輸するからだって、お役人は言ってたなァ。オイラたちはそんなことするつもりはないって、何度も言ったンっすけどね」

「ああ、なるほど」


 リカルド・フォーエンベルガーは、前々から小狡く、抜け目のない男だった。領主として悪いことではないにしても、情には欠ける。それがきっと気に入らないのだろうと思ったが、仲間たちを漠然と眺める男の横顔には不満げな様子はなかった。

 それなのにどこか沈んだ気配があり、多少なりとも興味を覚えた。

 こちらから尋ねようか、それとも言うまで待つべきか。迷っていたその最中、幸いにも相手から語り出してくれた。


「結婚式の前夜祭てぇのは、人が大勢集まるもんなんっすよ。だけど今日来たのは、船乗り仲間の六人」

「なにか都合が悪かったのか?」

「いやぁ……」


 大男がひざに顎をつき、背中を丸めて縮まっている姿はあまりにも惨めだ。あれだけ威勢が良かった男を、こうまで落ち込ませるのはなんなのか、ますます気になった。


「ジュゼは今、家にいるンっすけどね、あっちはオイラの婆さんと、近所の娘がひとり来てくれただけでね」


 返事の代わりに軽くうなずいてみせると、男はハァーという長いため息で、内にあるものを吐き出し、それから改めてこちらを見る。遠くで揺らぐ炎が、その瞳を黒く光らせていた。


「あの娘はホントに良い子なんっすよ。ただね、目が見えないって言う欠点があるだけで」

「盲目なのか」

「そのせいで、島にはあまり馴染めなくて。でもジュゼにはすげぇ懐いてる。エルフだってそのぐらいの親切はちゃんとあるし、それに目が見えるようにできる魔法なんて、あいつは知らないっすよ」


 もう語るに任せた方が良いと判断した。

 こちらの相づちなど邪魔なだけだ。その内に秘めていた悩みを吐き出すことが、この男がしたい一番のことなのだと。


「エルフは魔物でもねぇし、医者でもねぇし。人間とちょっとだけ違うだけなんっすよ。だけど、この島にはエルフなんて一人もいねぇし、それにあの戦いがあったんで。あ、ここは大きな被害はなかったんですけど、本土に親戚がいる連中は……。だけどよぉ、エルフの血が入ったユーリィが皇帝陛下になったら、ちょっとは違ってくるかもしれねぇなって。小麦だって島人に遠慮しねぇで、好きなだけ買えるんだろうなってさ」


 逃げないと彼は言っていた。

 それは確かに正しい判断らしい。

 そんな彼を守護するのが、我が役目。

 愛という情緒は、人だった頃の甘い想い出なのだと___


「あぁっ!!」


 それまで沈んでいた大男が唐突に雄叫び、立ち上がった。

 見上げた夜空には、霧のような薄い雲が逃げるようにして島から去っていく。

 その雲を割くようにして、黒い魔物が島へと飛んできている。


「やべぇ、逃げないと……。おい、お前ら! 魔物が――」


 だが、大男が太い指でさした空にはもう魔物の姿はなかった。

 海上を滑るようにして、それが近づいてきた時、背中に乗る者が目に入ると、一瞬にしてだれであるのか理解した。


「心配するな、ハイヤー。あれはソフィニアの、いや、ユーリィの部下だ」


 風が声を消し、長身のエルフが手を振り、騒ぎはますます大きくなるばかり。

 今夜は海も陸も荒れた夜になりそうだ。


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