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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第100話 闘鳥

『さらわれそうな漆黒に囲まれ、この瞳が開いているかも分からずに

 呆然とした恐怖に包まれ、この足がまだ動くのかも分からずに

 闇鳥が闇に鳴く、ギィと泣いて飛んでいく

 蒼い月の匂いがする、紅い光の影が見える』

                 ――ムハ・ツィリル詩集『漆黒』より



「クソッ!」


 部屋を出た途端、口を吐いてしまった言葉。

 その一言ですら、タナトスをイラつかせた。

 目眩を感じたのは、少年から溢れたものにあてられたせいだ。

 青い瞳、白い肌、赤い唇、すべてが色香を帯びて――――


(アホか、俺は。なにを考えてるんだ)


 額に手をあて、呼吸を整える。

 それでも心を落ち着かせるために、数秒ほどかかってしまった。

 あれは魔性だ。

 不用意に近づけば、なにかを持っていかれる。そういう類いのもの。

 屋敷とともに消えた少年もそうだった。あの魔性にやられたせいで、自らを犠牲にするようなバカな真似を。

 彼は屋敷の中の黒いアレを押し戻した。そのせいで屋敷そのものが、あの穴に引っ張られることになってしまったのだ。もしもそんな強引なことさえしなければ……。


(――…あれ?)


 妙なことを考えていると、タナトスは我に返る。

 どうやら現実と想像の区別すらできなくなっているらしい。


(疲れてるか……)


 きっと慣れない環境のせいだ。平気なつもりでも、体はダメージを受けていたのだろう。腹立たしいことではあるがしかたがない。城主の妹に手を出したことが、そもそもの間違いだったのだから。


(けど、ここならまだ望みもありそうだ)


 今まではただ良い暮らしをしたいと思っていたことも、“出世欲”と定義すれば正当な行動のような気がしてきた。

 なんとなしに天井を仰ぎ見る。黄金と水晶でできたシャンデリアが等間隔に下がっている。ロウソクはすべて灯されてるのに、薄暗さを感じるのは高さがある為だろう。両脇に並ぶ大理石の白い柱が、闇に染まっていた。

 アーチ型の天壁には、双世記を題材とした天井画がいくつも描かれて、それぞれ金の装飾が縁取っていた。どれもフォーエンベルガー城のそれよりも遙かに凌ぐ豪華さだ。

 この王宮にあるのは、贅を尽くして富と権力を誇示するためにだけに造られたものばかり。タナトスにとって王族とは、目も眩むばかりの輝きを帯びた栄華なのである。憧れというと少々子供じみてしまうが。

 それなのに、今この宮殿にいるのはその豪華さに見合う存在ではなかった。エルフごときにはこの宮殿も皇帝という称号も、あまりにも分不相応だ。たとえどれほど煌びやかであったとしても。

 その姿が優美であればあるほど、なぜかイラつかせる。

 このイラつきが限界を超えたとき、自分はどうなってしまうのか。


 そんなことを考えたその時、天井画の中の人物とふと目が合った。それは白い羽根を大きく広げ、大剣を片手に見下ろす青年である。

 紛れもなく、この世界を救ったと謂われる神マルハンヌスだ。


(そんな目で見るな。不敬でなにが悪い。俺はあんたに救われたことなんてないぜ?)


 この宮殿にいる少年とは似ても似つかぬ姿のはずなのに、先ほど感じた目眩がふたたびぶり返す。ゾクリとしたものが背中を這い上がってきた。

 まるで輝くような金髪と宝石のような青い瞳が魔性の証かのように。


(いいさ、俺は俺の生き方を貫くだけだ。神罰を下せるものなら下してみろよ)


 天井から視線を離し、足早に歩き出す。

 そんなタナトスを、そばにいた警備兵が怪訝な表情で見つめていた。



 宮殿内を独りでうろつくのはあまり好ましいことではない。ましてや、ライネスク大侯爵がいる本館三階は、ピリピリとした空気が漂っていた。

 剣の柄を握って離さない警備兵の視線を無視し、タナトスは急いで二階まで降りた。ジョルバンニ議長付きになったおかげで、自室も物置部屋から一気に昇格した。今は議長が使っている部屋の二つ隣にある使用人部屋だ。ベッドとテーブルと小さなチェストしかないが、安宿より数十倍は居心地が良い。すきま風もなく、毛布がカビ臭くないだけでも満足だった。

 その部屋に向かいかけたタナトスであったが、ふと気が変わって、主人であるジョルバンニの執務室を訪れることにした。


(なにを考えているか分からない男だが、少しぐらいは本音を語ってもらおうか)


 好きか嫌いか問われれば、嫌いではないと答えるほどの好感度はある。どこか自分と似ている部分があるからだろうというのが、自己分析だ。

 ただしあの男があの魔性にあてられているのなら、話は別。

 摂政を行うつもりであるとしても ――多くの者がそう思っていることだろう―― 彼はあのガキに傾倒しすぎていると感じていた。


(もしも心優しい平和主義者なら、さっさと手を切ってやるだけさ)


 そんなわけで、自室から回れ右をして、タナトスは警備兵が張りついている部屋の前までやって来た。

 いるのかと扉を指で示す。若い兵士は無表情にうなずいた。しかしタナトスがノックしようとすると、彼はすかさず「待て」と言って制止した。


「なぜ止める?」

「自分がまず中に入って、許可をもらう」

「俺に関して言えば、おまえの手を煩わす必要はないね」

「よそ者のくせにいい気になるな。ここにはここの規則がある」

「俺は議長に直接雇われた者だ。おまえのような一介の兵士とは立場が違う」


 上げかけていた拳で扉を叩き、自分の名を告げる。

 すぐに「入れ」という声がした。

 悔しそうに顔を歪めた兵士を尻目に、タナトスは悠然と中へと入った。



 議長の執務室は、ライネスク大侯爵の部屋よりも一回りほど狭かった。調度品はすべて茶色で華美な装飾もない。しかもライティングデスク、本棚、丸テーブルとその脇にある椅子が二脚だけ。閉め切られたカーテンも濃紺一色のシンプルなものだ。まるで部屋の主そのもののように愛想もへったれもない。

 その部屋主はライティングデスクを前に座り、分厚い本を読んでいた。明かりはデスクの上に置かれたランプと、壁に取り付けられた楼台で揺れる二つのロウソクのみ。そのせいで部屋全体が闇に沈んだ印象だった。

 タナトスの方へと向いた銀の眼鏡が、ランプの炎に鈍く光る。わずかに上がった口角も、辛辣な印象を増加させるに過ぎなかった。


「皇帝陛下との話は済んだのか?」


 先ほど考えていたことを思い出し、タナトスは鼻で笑った。途端、冷えた視線を浴びせられる。しかし悪びれることもなく真顔でそれを受け止めた。


「別に他意はありませんよ。なんとなくです、なんとなく」

「なにを思おうと君の勝手だが、私に対して嫌味な態度をしない方が身のためだ」

「皇帝陛下に対してではなく?」

「あの方はだれかを切り捨てることはしない、いや、できない」

「ほぉ……」


 奇麗に整えられた眉尻が下がったような気がして、タナトスは相手を凝視した。

 やはりこの男はクソガキの庇護者のつもりでいるのか、それともあの魔性にあてられているのだろうか、と。

 しかし薄闇を被っている顔には、表情が変化した痕は残ってはいなかった。


「どうやらなにか気に入らないようだな?」


 凝視するのは、つまり相手にも自分の表情を晒しているのと同じことなのだと、この時になってようやく悟る。ジョルバンニは舐るような視線で、タナトスを見つめていた。


「気に入らないってことではなく、貴方がライネスク大侯爵についてどうお考えなのか知りたかったのですよ。失礼ながら口幅ったいことを申し上げますが、摂政をなされるにしても、少々生ぬるいように感じられます」

「生ぬるいとは?」

「自分は学がないので詳しくは知りませんけど、歴史的には君主の殺害や簒奪(さんだつ)が起こったほど、もっと辛辣な関係であるような気がしますが?」

「簒奪? つまり私がいずれ皇帝になれと?」

「ええ」


 するとジョルバンニは小さく鼻を鳴らす。

 タナトスが始めて聞いた彼の笑い声がそれだった。


「君は“闘鳥”というのを聞いたことがあるかな?」

「闘鳥? ええと、鳥を闘わせるというあれですか?」

「ただ闘わせるだけではない。美しさ、早さ、賢さ、そしてむろん強さも競い合う」

「つまり彼はその“闘鳥”であると?」

「この世はちっぽけでつまらないものだよ、マルハンヌスが作り出して以来ずっとな。そのちっぽけな世界に、強く美しい鳥を解き放つ。心躍るような高揚感を覚えぬか? その鳥が私の育てた鳥であるなら、なおさらだ。だがしかし、今はまだ戦い方を覚えていない。だから私が教えて差し上げるのだよ。美しく囀るだけでは勝ち目がないことを、時には敵を突き殺さなければならないことをな」


 クックックッと口の中で笑う男の様子に、タナトスは畏怖の念を覚えた。

 やはりこの男は自分と似ている。

 そして自分は足元にも及ばないほどに、冷酷かつ冷静な者なのだ。


「では、自分はいったいどんな役回りを?」

「君には剣になってもらう。鋭く尖った闇の剣だ。美しき小鳥が戦いを覚えるまで、君はその剣で密かに敵を突き殺すのだ」

「小鳥が戦い方を覚えなかったら?」

「闘わざるを得ない状況を作るまでだ」

「勝ち目がない戦いであったならば?」

「その時は―――」


 ジョルバンニは一瞬、迷ったように口を閉ざす。

 濃紺のカーテンのむこうで、窓ガラスがカタカタと鳴った。


 やがて口にした彼の言葉は、思った以上に辛辣だった。


「美しく散ってもらおう。闘鳥はその死に方も勝敗の決め手なのだから」


 その時タナトスの脳裏には、黄金の羽根を散らして地に落ちる小鳥の姿が浮かんでは消えていった。


注意:“闘鳥”はアジア諸国で行われているそれではなく、あくまで架空のものです。

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