第10話 闇と炎と
薄闇にふたりの男が沈んでいた。
ひとりはがっちりとした体格で、白銀の胸当てを装着している。短く刈られた髪と、顔を覆い尽くす髭はどちらも赤。片隅で揺れるロウソクの光が、その色をさらに燃え上がらせていた。
もうひとりはセグラス・ジョルバンニ。まるで彼の一部であるかのように、その痩けた頬に影がさす。
膝を突き合わせ、彼らは椅子に腰掛けていた。交わされる会話は、同じ部屋にいたとしても聴き取ることは難しいだろう。くぐもる声はただボソボソと、耳障りな音でしかなかった。
「ジョルバンニ殿、本当によろしいのですな?」
大柄の男が言った。
「ええ、打ち合わせ通りに。それともアーリング士爵は、やはりお嫌ですか?」
「嫌というわけではなく、我らイワノフ家の近衛兵が主君である公爵を捨て去るのは、やはり遺憾なのでな」
アーリングは赤い髭をひくつかせ、口元を歪ませる。
「捨て去るという言葉は正確な表現ではありませんよ、アーリング士爵。あの方はもう舞台を降りられたのですから。それに一方を罰するならもう一方もしなければなりません。今回のことでお分かりの通り、現在のギルドは貴族のための組織。もう百年以上前から、ギルド革命など無意味になっています」
「それは分かる」
言葉に反してその厳つい顔を強ばらせたのは、迷いがまだあるためだろう。そんなアーリングを前にして、ジョルバンニは眼鏡を押し上げつつ見返した。
「貴族が支配しながら、形の上ではギルドが統治している。だから不正が生まれるのです。さらに言えば、イワノフの暴走を止める力も、市民を守る力も、ギルドにはなかった。そのような組織が存在している意味はありません」
やや声のトーンを上げ、ジョルバンニは正論を振りかざした。
「思うに、貴殿がギルドの組織再編をすれば良いのではないか?」
「侯爵にも言われましたよ」
ジョルバンニの口角がやや上がる。それが彼にとって最大限の笑みのようだ。
「士爵はフェンロンの現状をご存じですかな?」
「フェンロンか……」
そう呟いて、赤毛の英雄は片隅に眠る闇へと視線を落とした。
フェンロンとはこの大陸の北部に位置する都市国家。かのマインバーグ提督がギルド革命を起こした場所でもある。ソフィニアとは違いフェンロンは、旧王国の貴族を廃絶し、ギルド統治を完成させている。世襲制は許されず、全ギルド組員、つまり全市民には頂点に立つチャンスがあった。ギルドが充実していることもあり技術革新が盛んで、鋼鉄や合金の生成、印刷技術、火薬など、さまざまな技術力は他国とは比べものにならないほど高かった。
しかしフェンロンギルドには悪い噂がつきまとう。世襲制が許されない代わりに、一代で財を築こうとする者が後を絶たず、暗殺と陰謀が繰り返されている。裏ではエルフや人の売買もあるといるという。まさに光と闇に彩られた国、それがフェンロンだった。
「士爵は、ソフィニアをフェンロンと同じ色に染めたいですか?」
「いや」
アーリングは即答した。暗躍や陰謀を好まないソフィニア人気質、それが誇りであるとでも言うように。
すると、ジョルバンニは軽くうなずき、
「私はソフィニアおよびガサリナを一つの国にしたいのです。それも自由と平等という幻想の上に建てるのではなく、縦と横の秩序が守られた国家。それこそが永久の平和を保つ社会だと考えているのですよ、アーリング士爵」
抑揚のない声で言い放った男を、アーリングは探るような目で見返した。
彼でなくても勘ぐったであろう。それほどジョルバンニの表情にも瞳にも、その主張に値するだけの熱はなかった。
「貴殿の言う縦の一番上に、ライネスク侯爵を据えようというわけか」
「あの方はまさに生ける宝石。初代皇帝として、あの方ほどふさわしい者はないでしょう」
「つまり貴殿が、台に乗せようという意味なのだな?」
「私と貴方が、です。それとも貴方ご自身が台にお乗りになりたいと?」
「どうだろうな……もし必要とあらば……」
瞬間、男たちの視線が交差する。しかし探り合うにはロウソクの炎は弱すぎて、互いの気配は判然としなかった。
「しかし台など作らずとも、必ずやあの方はお乗りになりますよ。我々はただ周りのゴミを排除するのみです」
「貴殿の言うゴミとは、いったいどこまでを指すのか?」
「皇帝陛下ご誕生を邪魔するものすべてです」
ロウソクの灯火と片隅の暗闇が、わずかに薄らいでいる。
空が明けてきたのだ。
だがいくら光が射そうとも、炎も闇もこの部屋には存在していた。
「まずは今日、最初の障害物を取り除きましょう、貴方と私で」
アーリングの顔を見すえ、ジョルバンニはそう言った。
今回は少し短めなので、明日の夜11話をアップします。