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Stage.1 Survival start①

ここからが本編となります。

 俺の名前は高橋智宏。西日本の海沿いにある100万人規模の大都市の1つである平浜市で生まれ育ち、今は市内の私立高校に通う3年生だ。

 一応、“そこそこ頭は良いが、平凡なルックスのオタクな生徒”という形で周囲には認識されているし、それを俺自身も素直に認めていた。ついでに付け加えるなら、教師からはサボリと遅刻の常習犯として目を付けられていた。

「ふぁ~あ……」

 この時、俺は盛大なあくびと共に目を覚ました。そして、寝ぼけた頭をなんとか働かせ、今の状況を確認しようとする。

「……、部室?」

 ゆっくりとした動きで辺りを見回し、自分の居る場所が通っている高校の部室棟で、『映画研究部』と『次世代メディア同好会』の2つが共同で使っている部室だと理解した。

 ちなみに、俺自身は入学当初から一貫して帰宅部だが、映研と同好会の双方に親しい友人がいるので、こうして部室にも自由に出入りできた。

「もしかして、寝過ごしたのか?」

 長年の習慣のようにポケットから携帯電話を取り出して時刻を確認すると、既に5時限目が始まっている時間だった。どうやら、昼休みに購買で買ってきたパンを部室で食べた後、春の陽気に誘われて眠ってしまったらしい。

「あ~、マジ、どうすっかな~。今さら午後の授業を受けるのも面倒だし、このままゲーセンにでも寄ってから帰るか。あ、でも鞄は教室か……」

 そんな独り言を呟きながら椅子から立ち上がり、大きく伸びをして体をほぐす。すると、腰の辺りからポキポキという小気味のいい音が鳴って骨の伸びる感覚が伝わってきた。

 どうするかは後で考えるとして、とりあえずは眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと思い、最低限の戸締まりだけはすると部室を後にして自販機が設置してある学食兼購買へ向かおうと歩き出した。

「なんだ、あれ?」

 そうして学食へと向かう途中、遠くに正門が見える位置に到着した時、正門付近に担当する授業の無い数人の教師と守衛が集まっているのに気付いた。

 しかも、門の向こうにも人影が見えるので多分、その人物と揉めているのだろう。幸い、向こうに居る連中は俺が見ている事に気付いていないらしく、こちらに近付いてきたり声を掛けてきたりする気配は無かった。

 だが、学食へ向かうには正門の方へ近付かなければならず、見付かって色々と訊かれるのも煩わしかったので俺は物陰から静かに彼らの様子を窺い、状況が落ち着いてから移動する事にした。

「あ、倒れた」

 距離があったので何を話しているかまでは聞こえないが、守衛が地面に倒れ、教師達が慌てて彼の下に駆け寄っていくのが見えた。しかも、倒れた守衛は起き上がる気配が無く、教師達もどうして良いか分からずに呆然と見つめている。

『なんか、ますます面倒な事になりそうだな』

 物陰から様子を窺いながら、そんな思考が頭に浮かんだ時だった。事態が突然、全く予想もしていなかった方向に大きく動いた。倒れていた守衛がいきなり起き上がったかと思うと、最も近くに居た教師の1人に襲い掛かったのだ。

「なんだ、あいつ? 気でも狂ったのか?」

 予想外の事態を目撃してしまった為、そんな言葉が反射的に口をついて出た。そして、次の瞬間、どういう訳か俺は躊躇う事なく踵を返して部室棟のある方向へと走り出していた。

 今から考えても、その時、何故そんな風に衝動的な行動に走ったのか分からない。ただ、直感で『ヤバイから逃げろ』という思考が猛然と沸き起こり、それに従って行動していたのだ。

「あ! あんた、こんな所で何してんのよ?」

 少し前は普通に歩いていたルートを慌てて戻っていたら唐突に呼び止められ、仕方なく立ち止まった俺は反射的に声のした方を振り向く。もっとも、その声から俺を呼び止めた人物の大方の予想は付いていたが、案の定、そこには見慣れた2人の少女が立っていた。

 2人とも何かのプリントらしき紙の束を抱えていたので、おそらくは教師にでも取りに行くよう頼まれたのだろう。ちなみに、俺と彼女達のクラスは違うので、うっかり部室で寝てしまった事までは知らない筈だ。

「もしかして、またサボったの? まったく……、私達も受験生になったんだから少しは自覚を持ちなさいよね。大体、あんたは昔から――」

 俺を呼び止めたポニーテールの黒髪少女、西嶋春菜は呆れたような表情をすると、こちらが何かを言う前に勝手に決め付けて説教までしてきた。一応、遠縁の親戚にあたる彼女とは同い年なのだが、子供の頃の上下関係が染み付いているらしく、俺に対しては未だに“姉”のような態度で接してくる。

 ちなみに、彼女は成績優秀・品行方正で真面目な上にインドア派な俺と違い、明るくて活動的なので異性だけでなく同姓からも好かれている。そして、やや勝気そうな美貌と同世代平均を上回るスタイルの良さ(主に胸のサイズ的なもの)が彼女の人気を更に押し上げていた。

『さて、どうしたものか……』

 彼女の言葉を右から左へと聞き流しつつ、どうやって無難に切り抜けるかを大急ぎで考える。しかし、これといって良いアイデアは思い浮かばない。そして、その事自体にイラついた俺は、半ばキレ気味で声を荒げる。

「つうか、それどころじゃないんだよ! なんか、ヤバイ事が起きてる!」

「はぁ? あんた、なに勝手にキレてんのよ。それに、言い訳なら、もう少しマシなのにしなさいよね。ぜんぜん意味わかんないし、そんなんじゃ誰も信じないわよ」

 もっともな正論が返ってきた。しかし、俺自身が状況を完全には把握できていない上に、直感で行動しているものだから論理的に説明するのは不可能だ。だが、このまま無駄に時間を浪費したくも無かったので、先程目撃した出来事をそのまま話す事にした。

「正門の所で事件が起きてる。最初は不審者でもいるのかと思ったが、その内、教師同士で殺し合いを始めやがった」

 多少、主観や誇張も入っているのは認めるが、大筋では合っている筈だ。しかし、それでも彼女の反応は変わらなかった。

「さっきよりはマシだけど、この学校で殺し合いなんて起きる訳が無いでしょう。それに、本当に不審者が居たとしても、今頃は警察に連絡がいってるから直ぐに収まるわ。それよりも、あんたが懲りずにサボろうとしてる事の方が――」

「悪いが、今回はマジだ。出来る事なら証拠を見せたいところだが、この状況だと巻き込まれるかもしれないから近付かない方がいい」

「なによ、それ。やっぱり、嘘なんじゃない」

 俺は彼女の言葉を遮って真面目に話したのだが、やはり簡単には信じてもらえない。まあ、今までの自分の言動を振り返ってみれば信用を失うような事ばかり思い浮かぶので、こういう反応を示されるのも当然だろう。

 だから、このまま無視して1人で逃げようかとも考えたが、その結果、幼馴染みが殺されるのも寝覚めが悪い。

 だが、彼女を納得させる理由は思いつかないし、このまま不毛な言い争いを続けて時間を無駄にしたくも無かった。その為、俺が何も言えなくなって黙り込んでいると、小さく溜息を吐いた彼女が立ち去ろうとする。

「ハァ……、あんたに構っていても仕方が無いわね。行こう、優衣」

「え、でも……」

 もう1人の軽くウェーブのかかったセミロングの茶髪と幼さを残す穏やかな表情が印象的な少女、秋月優衣を促して春菜が歩き出す。

 なお、優衣とは高校に入ってから春菜を通じて知り合いになったのだが、どちらかと言えば大人しくて控えめな彼女が活発な春菜と親友になった経緯は俺の中で未だに大きな謎だった。ついでに付け加えるなら、春菜と優衣では優衣の方が背は低いのだが、胸のサイズは優衣の方が大きい。

 その為、一部の男子の間では圧倒的な人気があるのだが、この際、それは重要では無い。それよりも、彼女達が立ち去ろうとするのを見た瞬間、俺の中で何かが音を立てて吹っ切れた。

「駄目だ。行くな」

 はっきりと意志の篭った鋭い声で春菜に告げ、同時に彼女の腕を右手で掴んで引き止める。すると、そんな行動を俺がするとは想像していなかったのか、彼女が驚いた表情を浮かべてこちらを振り向いた。

 もっとも、腕を掴まれた拍子に抱えていたプリントの束が地面に落下して散らばったのだが、それすらも気にならないほど驚いているようだ。

 だが、互いに続く言葉を発する事が出来ず、奇妙な沈黙が辺りを支配する。ところが、ここで持っていたプリントの束を近くにあった箱の上へと置いた優衣が俺を援護してくれた。

「ねぇ、こんなに必死になってるんだし、もう少し話を聞いてみてもいいんじゃない? それに、私には智宏君が嘘をついているようには思えないし……」

「まあ、確かに普段とは違うみたいだけど……」

「じゃあ、決まりね。そういう事だから、もうちょっと分かるように話してくれる?」

「あ、ああ……」

 すっかり優衣のペースになってしまったが、ある意味、これは事情を説明する絶好のチャンスでもあった。なので、俺は必死に頭を働かせて今の状況を説明しようとする。

「あれは、正門の見える場所に近付いた時だった。守衛と教師が集まっていたし、門の向こうにも人影が見えたから俺も最初は不審者が騒いでるだけだと思ったんだ。だけど、いきなり守衛が倒れて動かなくなったんだ。でも、暫くしたら起き上がって今度は近くに居た教師を襲い始めた。で、本能的にヤバイと感じて逃げようとしたら、お前に呼び止められたんだよ」

「ちょっと、どうしてもっと早く言わないのよ!? それって、本当に事件が起きたって事じゃない! 急いで警察に電話しないと……、あ、それから救急車も呼んだ方が良いよね!」

 そう叫んだ春菜が携帯を取り出して電話を掛けるが、一向に繋がる様子は無く、代わりに彼女の困惑した囁きが聞こえてきた。

「なに、これ……。どういう事なの……?」

「借りるぞ」

 そう言って俺は彼女の手から携帯電話を奪うようにして取り、そのまま自分の耳へと押し当てる。次の瞬間、どうして彼女が困惑した表情で囁いたのかが理解できた。

『これは録音です。ただ今、110番通報が集中している為、回線が混み合って繋がり難くなっています。そのままお待ちになるか、後ほど掛け直すかして下さい。繰り返します。これは録音です。ただ今、110番通報が――』

 電話の向こうから聞こえてきた声は、まさに機械で再生しているという表現がぴったりな無機質で事務的な音声だった。

 だが、それ故に俺の頭の中は逆に冷静になり、自分達の置かれている状況が極めて危険である事を認識する。なので、直ぐに電話を切って彼女達に向かって先程よりも真剣な雰囲気で一気にまくし立てる。

「状況が変わった! 今すぐ此処から逃げた方がいい!」

「は!? なに言ってるのよ!? それよりも、職員室や学校の皆にも報せないと――」

 俺から携帯電話を返してもらった春菜が当然のように抗議の声を上げるが、それを強引に遮って話を続けた。

「いいか、よく聞け! 緊急通報が使えないって事は、それだけ多くの事件が日本中で同時に発生してるからなんだよ! つまり、外部からの救援は期待しない方が良い! それに、いま気付いたんだが、最初に事件を目撃した時、怪しい人影は門の外で敷地内には居なかった」

「それがどうしたのよ?」

「ところが、そいつの1番近くに居た守衛が倒れて動かなくなったと思ったら、今度は起き上がった守衛が近くの教師を襲撃したんだぞ」

「もしかして、今は危険人物が校舎内に居るってこと?」

 今度は優衣が僅かに怯えたように震えた声で言葉を発する。だが、俺が想定している最悪の事態とは少し違う。

「それもあるが、こうは考えられないか? ウイルスが人との接触で広がるように襲われた人間が今度は襲う側になり、手近な人間を攻撃する。すると、そうやって襲われた人間が新たな襲撃者となり、また別の人間を襲う」

「いくらなんでも、それは映画やゲームに影響を受けすぎよ。大体、そんな非現実的な事が起こる筈ないもの」

「ああ、俺だってそう信じたいよ。だけど、そう考えると俺の目撃した光景も上手く説明できるんだ。それに、そうやって加速度的に襲撃者の数が増えるんだと仮定すれば、緊急通報の回線がパンクするのも納得できるだろう」

 そこまで言うと、ようやく彼女も観念したのか少し大人しくなった。そこで俺は、改めて2人に脱出を提案する。確信がある訳では無いが、外部からの救援が当てに出来ない以上、大人数で立て篭もるのは得策では無いからだ。

 もし、最悪の想定が現実となった場合、いつライフラインが停止しても不思議ではないし、水や食料の問題だってある。そして、ウイルスが拡散するように襲撃者が増加するのであれば、まだ自由に動き回れる内に人口密度の少ない場所へ移動する。それが俺の導き出した結論だった。

「とにかく、まずは俺達自身の安全確保が最優先だ。こんな状況だと電話やネットは使えなくなってると考えた方が自然だし、直に警告を伝えにいくのはリスクが大きい上に信じてもらえない可能性もある」

「でも……」

 やはり、真面目な春菜は自分を優先する行動に迷っているようだった。すると、ありがたい事に、ここでも優衣が上手く彼女を誘導してくれる。

「私は智宏君の言う通りだと思うわ。みんなに危険を伝える前に私達が襲われたら終わりだもの。確かに、少し遠回りで姑息な方法かもしれないけど、しっかりと準備を整えておいた方が確実でしょう」

「はいはい、分かったわよ。私の負け。もう、優衣ってば大人しそうな顔してるくせに、意外と強情なんだから……」

「そういう訳だから智宏君。次の指示、よろしくね」

 そう言って優衣が俺に微笑を向けてくる。しかし、今のやり取りから推測すると、どうやら春菜は優衣には弱いらしい。だが、これで懸念は無くなった。なので、俺は無駄にした時間を取り戻すかのように新たな指示を出し、部室棟に向かって走り出す。

「とりあえず、映研の部室に行って必要な物を揃えよう。全てはそれからだ」

「うわ、ある意味、行きたくない場所ベスト3の1つじゃない」

「春菜ちゃん。あんまり、そういう事を大きな声で言っちゃだめだよ」

「聞こえてるっつうの……」

 映研の部室がオタクの溜まり場になっているのは周知の事実だが、こうやって露骨に嫌悪感を示されると流石に少し傷付く。

 だが、一刻も早く目的の場所に行って次の行動に移りたかった俺は感情的になりそうになるのを堪え、ここでは小声で囁くだけに止めた。そして、部室棟に着いた俺達は2階へと階段を一気に駆け上がり、俺が持っていた鍵で部室の扉を開けて飛び込むようにして中へと入った。

「俺は武器になる物を探すから2人は水と食料、あれば傷薬や包帯なんかを適当な袋に入れて持ち運びがし易いようにしてくれ! 教師か職員の誰かに状況を伝えた後、ここから直ぐに脱出するから、その為の準備だ!」

「分かったわ」

「うん、任せて」

 春菜と優衣が口々に了承の言葉を言い、それぞれに雑多な物が散らかる中を動き回り、たまに文句を言いながらも俺から指示された物を探していた。

 勿論、その間に俺は武器になりそうな物を急ぎながらも必死に探すのだが、そうそう都合良く使える物が見付かる訳が無く、長さ1,5m程のスチール製パイプが2本とゴルフクラブ(5番アイアン)1本を探し出すのが関の山だった。確かに、何も無いよりはマシだが、あまりにも心許無い。

『それにしても、これは誰の持ち物なんだ?』

 苦労の末に発見した武器候補の中で唯一、この場にそぐわない5番アイアンを見て心の中で感想を漏らす。一応、スチール製パイプについては粘着テープの跡などから映研が撮影に使っている代物だと直ぐに分かったのだが、1本しかないゴルフクラブで何をするかなんて見当もつかない。

 しかし、俺は時間の無駄でしかない詮索は早々に切り上げ、工具箱の中から他に必要となりそうな物を片っ端から選び出し、手近な場所に置いてあったリュック(映研が屋外撮影時に使っている物で、中は空だった)へ詰め込んでいく。

 ちなみに、それは金槌・バール・ドライバー・ペンチ・カッターナイフ・手動式ドリル・ライター&マッチ・各種テープ類・懐中電灯&予備の電池といった泥棒でもしそうな感じの物ばかりだった。

 そして、最後に電子機器が使えなくなった場合でも大丈夫なように紙製の街の地図(ありがたい事に最新版)と昔ながらのコンパスも持ち、こちらの準備は何とか完了する。

 すると、ほぼ同じタイミングで水と食料の確保を行っていた春菜と優衣の方も準備が完了したらしく、1歩前へと進み出た春菜が代表して声を掛けてきた。

「準備完了。いつでも行けるわよ」

「よし。で、どのくらい詰め込んだ?」

「まず、飲み物は――」

 俺が確保した物の詳細を尋ねると、彼女は簡潔に纏めて答えてくれた。そして、それによると水(飲み物全般)はペットボトル(500ml)で5本、食料関連はレトルトカレー1袋にカップ麺が3個とスナック菓子が2袋、医薬品の類は虫除けスプレー1本と中身が半分ほど残った絆創膏が1箱だけらしい。

 決して充分とは言えない量だが、雑談したりマンガを読んだりアニメを見たりする程度にしか使ってない部室の現状を考えれば、これ以上の結果は望めないだろう。余談だが、この部室を使用している生徒の数自体が少ない上に今は連休明けなので、それも関係しているのかもしれない。

「ここの状況を考えれば上出来か……。じゃあ、2人はこれを使ってくれ」

 そう言って俺は即席の武器として2人にスチール製パイプを1本ずつ手渡し、工具類の入ったリュックを背負うとゴルフクラブを右手に持って部室の扉に手を掛ける。

「よし、行くぞ」

 こうして全ての準備を整えた俺は、扉を開ける直前に後ろを振り返って彼女達に行動開始を告げる。だが、扉を開けるよりも先に校内放送用のスピーカーが耳障りな音を立てた為に3人とも動きを止めて反射的に放送内容に耳を傾けた。

 ところが、スピーカーの電源が入った事を報せる耳障りな音に続いて聞こえてきたのは、今までに聞いた事も無いぐらいに切迫した様子の中年男性の声だった。

「全校生徒・職員に連絡します! 全校生徒・職員に連絡します! たった今、校内に不審者が侵入して暴れるという事件が発生しました! 全校生徒は教師の指示に従い、慌てずに落ち着いて避難を――」

「ようやく気付いたのか……。だが、これで手間も――」

 放送を耳にした俺が呆れながらも小声で呟いた途端、それまでの雰囲気から一変して恐怖に満ちたものとなる悲痛な叫び声がスピーカーから聞こえてきた。

「ひっ! や、やめろ! く、来るな、こっちへ来るんじゃない! くっ、来るなっ! 誰か助け――、ぎゃあああああっ!」

「う、嘘でしょう……」

「そんな……、酷い……」

 俺が春菜と優衣の方を僅かに振り向いて様子を窺うと、彼女達は青ざめた表情で喉の奥から搾り出すような声で短く呟いただけだった。やはり、あまりに現実離れした出来事に衝撃を受けて酷く動揺しているのだろう。

 しかも、スピーカーからは未だに何かを食い千切るような不快な音が聞こえてきているので、それが余計に俺達の不安と恐怖を煽る。だが、そんな風に彼女達の混乱と恐怖に怯えた表情を見た事で逆に俺の方は少しだけ冷静さを取り戻せたのかもしれない。

「状況が変わった。いま直ぐ、ここから脱出しよう」

 どこまで誤魔化せるかは分からないが、俺は出来る限り落ち着いた口調と表情になるよう意識して2人に声を掛け、今後の為にも一刻も早く次の行動に移るよう促す。しかし、当然のように2人には自分達だけが逃げ出す事に対して迷いがあったようだ。明らかに戸惑ったような表情と声で尋ねてくる。

「でも、私達だけが逃げるなんて他のみんなを見捨てるみたいで、ちょっと嫌かも……」

「やっぱり、きちんと状況を説明した上で全員で一緒に逃げる方が良くない?」

 困っている人を放っておけない優衣と責任感の強い春菜の性格が奇妙なバランスの下で合致し、そんな事を言ってきた。確かに、彼女達の意見は正論であり、本来なら誰からも“勇気ある人”として賞賛される行為なのだろう。

 だが、さっきの校内放送を何の事前情報も無しに聞かされればパニックになるのは火を見るより明らかで、それを抑える力が俺達に無いのも事実だった。

 それに、もし俺の推測通りに被害が広がるなら、パニックが起きている中に飛び込むのは完全に自殺行為だ。なので、はっきりとした確証が得られるまでは、他人との接触は極力避けるべきだし、そこだけは絶対に譲れない。

「残念だが、俺達に出来る事は無くなった。そして、そうなった以上は急いで自分達の安全を確保するのが最善なんだよ」

 俺は2人の目を正面から見据え、はっきりと宣言する。しかし、いま俺達が置かれている状況を伝えたにも関わらず、春菜は何かを言いたそうに口を開く。

「でも、それでも――!」

「春菜ちゃん。もう分かってるとは思うけど、確かに、これは私達の手に負える状況を遥かに超えてるわ。だから、それ以上は智宏君を困らせるだけだと思うな」

 ところが、そんな風に感情的になりかけた春菜を優衣が穏やかだが、はっきりと意志の篭った声で制した。すると、流石の彼女も大人しくなる。当然、その姿を見た俺は改めて此処から脱出する事を宣言し、扉を少しだけ開けて周囲の様子を探る。

「話を遮るようで悪いが、さっさと脱出するぞ。あんまりモタモタしてると、こっちの身動きが取れなくなるんでな」

 あんな放送があったにも関わらず、ありがたい事に部室棟周辺は静かなままだ。そこで俺は扉を完全に開け放つと、いつも扉近くの壁に立て掛けて置いてある映研の備品の脚立を抱えて歩き出す。そして、そんな俺の後を彼女達が付いてくる。

「ほら、行こう。春菜ちゃん」

「うん……」

 こうして俺達は脱出に向けた行動を本格的に開始した。ちなみに、移動する時の隊列は部室を出た際の並び順の関係から俺・優衣・春菜となった。

「周囲の様子はどうだ?」

 階段を下りて1階に着いた所で俺は一旦立ち止まり、進路の安全を慎重に確認しながら尋ねる。すると、僅かに間を置いて優衣が答えた。

「近くに人の気配は無いみたいだけど、それが逆に不気味で怖い感じがするの」

「そんなに心配しなくても優衣には私達が付いてるわ」

「ありがとう。やっぱり、春菜ちゃんは優しいね」

「も、もう……。こんな時に何を言ってるのよ」

 さっきまでの暗く重苦しい雰囲気は何処へ消えたのか、すっかり普段通りの調子に戻った感のある2人が俺の背後で会話を交わしていた。

 まあ、考えようによっては『順応性が高い』とも言えるのだろうが、こんな状況下で最低限の緊張感まで無くしてもらっても困る。なので、俺はタイミングを見計らって軽く注意を促しておいた。

「移動するから少し静かにしてくれ」

「あ、ゴメン……」

「こんな時に騒ぐなんて不謹慎だよね……」

 すると、直ぐに2人から反応が返ってきた。そして、それを受けて俺は次の行動に移る。出来るだけ物音を立てないようにして外に出ると、そのまま部活棟の建物の裏手へと向かって壁際を慎重かつ迅速に歩いて行く。

 その途中、校舎のある方向からガラスの割れるような音と悲鳴のようなものが聞こえたが、自分達だけで脱出すると決めた以上、俺は余計な感情は押し殺して無言のまま移動を続ける。なので、それに影響されたのか状況をはっきりと認識したのかは知らないが、今回は後ろの2人も静かだった。

「もしかして、ここから外に出るの?」

「ああ、なにかと都合が良いからな。それより、こいつを準備してる間の見張り、しっかり頼むぜ」

「はいはい、分かってるわよ。じゃあ、優衣はそっちをお願いね」

「うん。何かあったら直ぐに報せるね」

 倉庫のあった名残でコンクリートの土台があり、周囲の地面よりも少しだけ高くなっている場所に脚立を置いた俺に春菜が声を掛けてきた。

 しかし、俺は彼女の方を振り向きもせず、作業を続けながら短く指示を出す。すると彼女は、ぶっきらぼうに返事をしたが優衣との話を聞く限り、とりあえずは指示に従ってくれたみたいだ。

「ふふっ、やっぱり2人とも本当に仲がいいよね」

 そんな中、何を思ったのかは分からないが、優衣が少し楽しそうに呟く。ところが、次の春菜の一言で緊張感が一気に増大する。

「ちょっと待って。誰か来るわ」

「なに、どこだ?」

「ほら、あそこ。彼女よ」

 ちょうど脚立の設置作業が終わった事もあり、俺は反射的に振り向いて彼女が指差す人物に目を凝らす。すると、確かに手に長い棒のような物を持った1人の女子生徒が近付いて来ていた。ただし、それが普通の人間か敵なのかを判別する手段は無い。

 その為、俺達は無意識の内に寄り集まり、警戒態勢を取っていた。しかし、次の瞬間、俺達は近付いて来ている人物が知り合いだという事に気付く。ただ、何処で見付けたのかは知らないが、彼女は手に金属バットを握っており、それには少しだけ違和感を覚えた。

「なんだ、沙希かよ」

 別に俺の呟きに反応した訳ではないのだろうが、こちらの正体に気付いた向こうの動きにも変化が表れた。そして、やや駆け足になって近付いて来ると開口一番、なんとも彼女らしい一言を口にする。

「どうやら、あんた達は“まともな”人間みたいね」

「そう言うお前こそ、“まともな”人間なのかよ?」

 だから俺も“それなりの言葉”を返してやる。多分、この場合の『まともな人間』と言うのは、敵として攻撃してこない人間の事を指しているのだろう。

 なら、事件の発生直後から3人だけで行動している俺達は大丈夫だし、こうして見る限りは目の前の沙希にも不審な点は見受けられない。だが、それでも俺は訊かずにいられなかった。

「こいつは大事な事だから隠さず、正直に答えてくれ。敵に襲われた時に噛まれたり、引っ掻かれたりしなかったか?」

「はぁ!? そんなドジをあたしがするとでも本気で思ってんの? 無傷に決まってんでしょう」

「本当だな?」

「ちょっと、なんなのよ、もう! そんなに気になるんだったら、今すぐ裸にして隅々まで調べればいいでしょう! もっとも、あんたに見られるぐらいなら死んだ方がマシだけどね!」

 重要な事なので再確認の為に訊き返したのだが、それが彼女には気に入らなかったらしい。怒りの表情を浮かべ、感情のままに食って掛かってきた。なので、ここは素直に自分の非を認めて謝罪する。

「悪い、ちょっと疑心暗鬼になってたらしい。でも、お前の事が心配だったのは本当だ」

「そ、そうだったんだ……。ま、まあ、それなら仕方がないわね」

 そう言って俺が頭を下げると、あっさりと彼女(片瀬沙希)は許してくれた。ちなみに、こうして俺達は普通に話しているが、彼女は1つ年下の後輩である。ただ、俺と彼女の母親の仲がとても良く、その関係で知り合い、今年の春からは通う学校まで同じになったのだ。

 そして、そんな彼女の外見的特徴と言えばツインテールにした明るい茶髪(地毛)に、ネコ科の動物を連想させるツリ目が似合う整った顔立ちで、それだけでも充分に美少女に分類できる。

 もっとも、身長こそ平均より少し高いものの春菜や優衣と比較すればスタイルが良いとは言い難く(早い話が年相応)、それが本人のコンプレックスにもなっていた。

 しかし、それより問題なのは本人の性格で、素直になれない為に高飛車になりがち(友人曰く、典型的なツンデレに違いないらしい。ただし、俺はツンデレ説は否定)で特に初対面の相手には誤解を受けやすい事だった。

 勿論、実際の彼女は面倒見が良く、色々と細やかな気配りも出来るので一緒に居ると心が安らいだ。それと、これは余談だが、彼女には剣道の経験もあった。

「ねえ、時間は大丈夫なの?」

 俺と沙希が話していると、周囲の様子を気にするようにして優衣が声を掛けてきた。当然、その言葉で俺達は自分達の置かれている状況を再認識し、改めて全員で周囲の様子を窺う。

 すると、この辺りは大丈夫だが、校舎のある方は明らかに先程よりも悪い意味で騒がしくなっていた。そこで、俺は彼女にも脱出行に付き合うよう命令する。

「詳しい話は後だ。まずは、ここから脱出する。沙希、お前も一緒に来い」

「そこまで言うなら仕方がないわね。あたしは別に1人でも構わないんだけど、今回だけは特別に付き合ってあげるわ」

「また、そんな言い方して……。さっき智宏に『心配してた』って言われた時、凄く嬉しそうだったのにね。でも、沙希ちゃんが無事で本当によかったわ」

「うん、そうだね。実は、私も気になってたし」

 相変わらず沙希は回りくどい言い方をするが、春菜と優衣は知り合いの無事が1人でも確認できて嬉しそうだ。ほんの少しだが、口調や表情も明るくなっている。

「よし、行こう」

 決して大きな声では無かったが、はっきりと彼女達3人に向かって断言すると、俺は学校の敷地を取り囲むフェンス(下部はコンクリートで上部が金網)の脇に設置した脚立を上り始めた。そして、最上部を跨いだところで敷地の外の様子を窺う。

 そんなに高くないとは言え、地面に居るよりは遥かに見晴らしの良い此処からでも付近に俺達以外の人影は視認できず、脱出に問題の無い事が分かった。そこで俺は、下で周囲を警戒しつつも俺の動きを心配そうに眺めていた3人に合図を送る。

「こっちは大丈夫だから順番に上がってこい」

 それだけを告げると俺は金網にぶら下がるような体勢になり、地面との高さを小さくしてから飛び降りた。実は、この学校の敷地の方が周囲の地面よりも低い位置にあり、この方法であれば無理なく降りる事が出来るのだ。

 こうして外への脱出に成功した俺は、後に続く3人の安全を確保する為に周辺を警戒する。しかし、結果的に俺の心配は杞憂に終わり、沙希・優衣・春菜の順に全員が無事に外へと脱出してきた。

 なお、これは少々複雑な気持ちになるので普段は考えないようにしてるが、この4人の中で最も運動が苦手で体力も無いのは俺だったりする。

「で、この後の事は勿論、考えてるんでしょうね?」

 すると、早くも沙希が挑戦的な目付きで睨むようにして尋ねてきた。だが、俺だって何も考えずに脱出した訳じゃない。

 ここを脱出場所に選んだのには2つ理由があり、1つは敷地の中と外を隔てる壁の高低差が小さくて乗り越えるのが容易な事、もう1つは長距離移動にあると便利なオートバイを扱っているバイクショップ(個人経営)が近い事だった。なので、当然のように次の目的を告げる。

「ああ、このまま移動手段を確保しに行く。今後の事を考えれば必要になるからな」

「ふ~ん、少しは考えてるみたいね。でも、考える事はみんな同じなんじゃないの? たとえば、使えそうなのは全部、無くなってるとか――」

「うっ――」

 彼女は俺の考えを直ぐに察してくれたのだが、それと同時に痛いところも突いてきた。実際、同じような考えに至った連中によって使えるバイクを全て持って行かれ、既に1台も残っていない可能性だってあるのだ。

 その為、次に続ける言葉に詰まってしまう。ところが、その彼女の口から思いもよらない言葉が飛び出した。

「まあ、そんなのは実際に行ってみないと分からないんだし、ここで無駄に時間を費やしてても仕方ないわ」

 そう言って彼女は真っ先にバイクショップのある方向へと歩き出す。おかげで一瞬、その行動に反応するのが遅れたが、俺は直ぐに彼女を追い抜くようにして先頭に立ち、さっき壁を乗り越えた時と同じ順番で隊列を組んで目的地へと向かうのだった。


本当に“よくある展開”で始まりましたが、いかがだったでしょうか?

なにぶん、オリジナル作品は初めてなもので、どうにも手探り感が拭えずに不安で一杯です。

なお、次回はこのエピソードの続きとなります。

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