コーヒーの糸
「あなた。本当に清水さんの彼氏なの?」
原田先生がかったるそうに保健室の椅子に腰を掛けて言った。
結局あの後、数十名の無言の中をチャイムの音が駆け抜けて、緩い坂道を水が流れるように、ゾロゾロと全員が教室へと帰って行った。
原田先生としては「何があった」とか生徒から追求されまくると思っていたらしく、俺のお陰で何事も無かったとお礼を言われた。
……複雑だが。礼は礼だ。
そのまま立ち上がれない俺を保健室に連れて行き、あくまでも清水清羅のことが心配そうな夏輝を教室に帰らせて今に至る。
「……まぁいいわ。言いたくないなら言わないでも」
机に頬杖をつき、先生は窓の外を眺める。
外ではC組がサッカーをしていて、賑やかな声がこちらまで聞こえてくる。
「今、彼女連れ戻されそうみたいよ」
カップに入ったコーヒーを一口飲んで、原田先生が話し始めた。
「あの子、家出してきたらしいわね。それも、地方では有名な豪族の娘らしくて。何が気に食わなかったんだか知らないけどさ」
少しコーヒーの苦かったのか、顔を歪めてガムシロップを足す。
「取りあえず、この前の騒動の話を家の人に電話したら、怒鳴り散らされちゃって。今日直接頑固オヤジが乗り込んできてるわ」
……じゃあ、担任のあんたはなんでここにいると思うのは、俺だけだろうか。
「私はあなたが職員室前で倒れていたので、担任として緊急措置をすることになったけど」
ニヤリと笑って言うあたり、絶対確信犯だ。
……そんなことよりも、清水清羅のオヤジさんが来ている。しかも、連れ戻すって何だ?
「あら? 気になるって顔してるわね。流石、彼氏といったところかしら」
少し意地悪く笑いながら、先生はコーヒーカップを持って立ち上がる。
「別に私がちょっとコーヒーをこぼしている間に、職員室に入ってもらっても構わないわ」
そう言いながら、先生はわざとらしくコーヒーを空中で傾ける。
カップから黒い一本の糸を伸ばし、その向こう側には、ニヤリと笑う原田先生の顔があった。
黒い糸が地面へぶつかるのを見届けるまでもなく、俺は振り返って保健室のドアに手を掛ける。
水が地面にぶつかり、飛散する音を背中に受けながら、走り出した。
夏輝のせいで全身が軋むが、そういう場合じゃない。
なんだよ、オヤジに連れ帰らされるって。
結局、あの告白はなんだったんだよ。
……っていうか、俺、何も答えてねぇぞ。
嫌な予感が駆け巡る中。それを振り払うように、力を込めて職員室のドアを開けた。




