二章 二節
「お前、あの女家に連れ込んだくせに何もしなかったのか?」
仕事場の営業部門でもあるけんたさんにそう言われた滝沢かつき。
めずらしくけんたさんに飲もうと誘われたと思いきや、女の話であった。
けんたさんは仕事場でも、人間性でも尊敬できる人。
女好きだけれども、ちゃんと女をみている。
「好きな人以外の人とはしたくありませんので。」
「…まだ女を知らない?」
その質問に戸惑うかつき。
そしてゆっくりと口を動かした。
「…前に肉体関係を持った女性がいまして、少しトラウマになっているだけです。」
「そか。」
けんたさんは何か言いたそうな表情をしている。
かつきはそのけんたの表情を受け取った。
「俺に何か話したいことがあるのですか?」
かつきは率直にそう聞いた。
けんたは フッと笑い、酒を一口飲んだ。
かつきはもったいぶらないでおくれよと言いたくなった。
言いずらいことなのだろうか。少し胸騒ぎがする。
けんたさんに誘われて、この前の合コンのことを言われ、
彼女のことであろう。だとしたら彼女に何かあるのだろうか。
けんたはコップの余っていたお酒を一気に飲み、話し出した。
「あの持ち帰った女とは初対面ではないよな?」
「はい。例の工場に見学して暴れたあのおじいちゃんの職員の方でして。」
「それ以外にあるだろう。
俺もいろいろな経験をしてきた男だぜ?」
けんたさんには叶わないと悟り、かつきも話し出した。
「実は彼女を初めて見たのはスーパーでした。今思えば一目ぼれです。
スーパーでいつも彼女を見ていました。話かけたかったけど、彼女なかなか忙しそうで。」
「お前、ハタから見たらストーカーだぞ?」
「そんなことないですよ!
だからあの工場で会えたことは奇跡だと思いました。」
「ふーん。」
かつきは少し胸がキリキリしていた。
彼女のことを話したら、けんたさんも彼女について話すだろう。
「彼女…鳴海かずはちゃんはかわいい子だよな。」
「はっ?」
「あずみっちも彼女のこと気に入ってるらしいよ。」
「そうなんですか。」
「佐々木って知ってるか?」
「佐々木さんって、営業部の俺と同期の?」
「ああ。そいつが彼女と同じ中学だったらしくてね。」
「へえ。」
かつきはうかぬ顔をした。佐々木はあまり好きではないからだ。
仕事はまじめにやらないくせに、要領よくて仕事ができる。おまけに人を見下すような態度。
すべてが気に食わない。
「彼女、中学の時ヤンチャしてたらしいぞ。」
「はあ。」
「喧嘩強くて、タバコ吸ったり、万引きしたり…半殺しにしたり。」
「彼女が?」
「彼女には年に離れた兄がいるが、自殺したらしい。」
「えっ…」
「もしな、お前が彼女のことを遊びだと思って付き合いたいならどうでもいい情報だ。
でも、結婚前提で付き合いたいならやめれ。」
「まだ結婚前提なんて。しかも付き合っていないし。」
「まだ だろ?一緒にいたら情が移り結婚前提のお付き合いになる。
そうなる前にやめとけ。遊びで終わらせろ。」
けんたはそう言うと逃げるように会計を済ませ帰っていった。
かつきは彼女に対して恋心にも似た感情がすでにでき始めている。
そこで彼女のとんでもない過去を知らされ、どうにでもできない状態になった。
かつきはアパートに戻った。特別見たいテレビ番組があるわけでもないのだが、テレビのスイッチをつける。そしてベッドに横たわる。
テレビの雑音が丁度心地が良い。かつきは静かに目を閉じた。
かつきは本当に好青年である。スポーツが大好きな青年で、誠実でもある。顔には少し自信がないのだが、スポーツ万能な彼を見たら少しは女性の目線は彼の方へ向けるであろう。彼はごく普通の家庭に生まれ育ち、高校卒業で今の整備士の仕事をしている。年はかずはの一つ上。
けんたが言っていた ヤンチャ というのはどこまでがヤンチャでどこからが不良なのか正直分らない。思い返せば彼は、授業中に寝ていてマンガを読んで怒られる、廊下を走ったり、室内でボールを使ってしまい、ドア・ガラスを破損したら怒られるというようにそういう学生時代を過ごしていた。
彼にとってそれが ヤンチャ ではないのか。万引きしたり、未成年喫煙はもはや法に触れているのではないのか。それを ヤンチャ といったけんたの気持ちが全くわからなかった。
「如月さん、こんにちは。」
「こんちは。」
いつも通り如月さんがかつきの整備を見学しに来た。
「如月さーん。時間です。」
いつも通り彼女も如月さんを迎えに来た。
かつきは彼女をチラっと見た。
「如月さん、今日はどうでした?」
「今日は大きなネジを使ってました。」
「どうだった?」
「すごかった!」
彼女は如月さんと普通に話していて、笑顔がまたかわいく思えた。
そんな彼女の笑顔の裏には半殺し、兄の自殺など、とんでもない過去を背負っている。
如月さんのような障害を持っている人を支える仕事をしている人なのに、そのような過去があるなんてかつきには信じられないのである。
かつきは短く彼女にあいさつをし、そのまま仕事に励んだ。
彼女は如月さんと手をつないで帰ったが、彼女はどこか寂しそうな顔をしていたのを、かつきは遠くからであるが見えた。