三章 四節
バタン。
ドアが閉まる音が部屋中に響き渡る。
かずはに あたしのアパートの敷居跨ぐな と言われたかつき。
仕方なくかずはを自分のアパートで介抱する。
かつきはかずはをベッドで寝かせ、牛乳を飲んだ。
そして長沼に言われたことについて深く考えていた。
なつみの二の舞になるとは?
かつきだって考えを持って、かずはと付き合っているはずである。
決してかずはのことを遊びと思っているわけない。
けんたさんにもあんなに結婚するなと言われ、そんなに自分が考えていない人間だと思われているのかと、
かつきは己の愚かさを知ることもできず、ただかずはの寝顔を見ることしかできなかった。
かずはの寝顔を見るだけでも癒されていくのを、かつき自身感じているに違いない。
「好きなのはかずはだ…。」
かつきはそう呟き、かずはに軽く口づけをした。
すると、わずかにかずはの手がピクッと動いた。
「…起きているだろ?」
「…うん。」
「いつから?」
「キスされたとき。」
かつきはコップ一杯の水をかずはに渡した。かずははそれをゆっくりと飲む。
「ここホストじゃないじゃん!」
「ホストはここら辺ないんですよ。」
安住は気付いたら長沼の家にいた。
「一応下に親がいるから暴れないでください。」
「あのな。」
長沼は水を安住にあげた。安住はそれを飲み干す。
「あなたに言っておくけど、なつみさんは私たちのところで働かせない方がいいと思う。」
「…それはどうして?」
「普通の企業に入れるわ。」
「もしパニックになったらどうするんですか?」
「私たちの所で働いているところは頭に障害を持っている人たちがメインなの。
一日中、似た作業をするのよ。なつみさんは簿記の資格を持っているんだから事務の仕事がいいと思う。」
「つまり、普通の暮らしをした方がいいと?」
「ええ。彼女を障害者扱いをしない方が今後のためよ。
メディカルチームでもう一度話し合ってみたら?彼女をいつまで閉じ込める気?
本当にかつきに合わせることが幸せなの?」
長沼の顔つきが変わった。そして右手を握りこぶしに変え、歯を食いしばりながらも話し出した。
「なつみはあの日から、なつみの目には俺を見てはくれなくなった。」
「今日会った女性は俺の高校の同級生。」
かつきは淡々としゃべりだした。かずはは黙って聞いていた。
「そして長沼も。でもあまり仲はよくなかった。俺、なつみが好きだった。でも俺が好きだったのはなつみじゃ なくてなつみの体。なつみは長沼と付き合っていたんだ。軽い気持ちで長沼から奪おうと思ってさ。
しょせん、高校生の恋愛事情なんてかわいいもんだろ。今のうちに遊んで、おとなになったらいい恋愛しよう と思っていた。でも遊び相手を間違えたね。なつみと関係を持ってから、あいつすごい求めてきてさ。
あいつは純粋だから、こういう行為をするのは お互い好きだから という考えになっちゃって。
一生懸命、俺のこと好きになろうとしてた。それがすんげぇウザくなって…。
俺たちの会話を長沼が聞いていたのか、長沼にバレちゃって。そこであいつが時々学校でもパニックになっ て、何かストレスを感じると暴れるようになった。
俺、なつみに嫌われたと思ってたけど、まだ俺のこと好きなんだって。でも俺はそう思わない。」
「なんで?」
そこで初めてかずはが口を開いた。
「なつみとは3回関係を持ったが、3回とも俺の名前じゃなくて長沼の名前を言ってた。
本当は会わない方がいいんだと思った。でも長沼が会えって…
俺だって彼女の人生を狂わしたのだから。」
「あなたは彼女がこうなったのも、全部かつきのせいにしようとしているだけ!」
安住にこうストレートに言われ長沼は安住の胸倉をつかんだ。
「俺のせいじゃない!」
「わかってるでしょ?あなた言ってたじゃない!
当時付き合っていた男にひどいことを言われたって!」
そう聞いた長沼は一気に両腕の力が抜けた。
「安住さん、なんで俺に言ったんですか?そんなひどいこと…。」
すると安住さんはやさしい声で言った。
「実はね、彼女の希望なの。事務の仕事に就きたいって。
私はテストする前は無理だと思っていたけど、企業がカバーできるくらいの精神を持っているわ。
多少のカバーが必要だけど、彼女ならやっていける。」
「また…彼女は恋愛をするでしょう。でもまたアイツと同じことをするヤツが出てきたら…」
長沼はそう言うと涙を流した。
「だからかつきに毎年会わせているんだ。もう同じ過ちを犯すなという意味で。」
「かつきさん、そのこと長沼先生に言ってないでしょ?」
かずはにそう言われ、ドキッとするかつき。
「そのこと長沼先生に言ってないから毎年行かされるんじゃないの?」
「何言ってんだ?相手は医者の卵だぞ?医者判断に決まっているだろ。」
「医者でも人間よ。恋愛をしてしまったら誰だって正しい判断かわからなくなるのよ。」
かずはが目を覚めると、かつきの姿は見当たらなかった。
リビングに向かうと手紙が置いてあった。
‘出かけてくる。昼までには着く’と書かれてあった。
かずははその手紙を見ると少し微笑み、二度寝をした。
一方、安住は長沼に見送られて帰ろうとしたところだった。
「世話になっちゃったね。ご両親にもよろしく伝えといて。」
「ああ、駅まで送る。」
「ありがとう。」
安住はそう言い、長沼の車に乗ろうとした所だった。
「ごめん、やぱいいや。アイツの車に乗る。」
安住はそう言い、指をさした。
長沼は不思議そうに見てみるとそこにはかつきの姿があった。
「何の用だ?」
「お前に伝えなきゃいけないことがある。もう、なつみの所に行かない。
なつみが好きだったのは…あの日からずうっとお前だった。」
「何言ってんだ?なつみはお前のことを…」
長沼が全部言いきる前に、遮るようにかつきが言いだした。
「好きになろうと努力をしてただけだ。お前にフられたあの時から。
あいつ、毎回言うんだ。お前の名前を。
言うか言わないか迷った。でも毎年なつみに会うことでなつみとお前に対する俺の償いだと思っていた。
でも違うみたいだったな。」
長沼はコツコツと歩いてかつきの方へ行った。
「安住さんに言われたよ。なつみがお前に会うことがなつみの喜びだと言ったら、それは
喜びとは言わないと。俺は医者なのに彼女のことを全く理解できていなかったな。
これからはなつみの就職先を探すよ。これが医者として、元カレとしてできることかな。」
「…付き合ったりしないのか?」
「…しないな。おそらく。」
長沼はそう言うと青い澄んだ空を見上げた。
そして何かを思い出すように言いだした。
「次は略奪するの俺だったりして。」
「やめてくれ。」
「だったら奪われないようにしてくれよ。」
「ああ。」
安住は長沼の冗談と思っていた。それはきっとかつきも。
しかし半分本気だと悟ったのは2年後の、青く澄んだ空の下でした。