92.ボルマン子爵のリスト
命を奪う側に、その痛みすら意識させない。処刑方法として間違っていると言い切ったアウグストは、腕を組んだ。その姿勢が「話はここまでだ」と切ったように感じられる。頬の涙に気づいたのは、部屋を出てすぐだった。
アードルフは静かに頬を拭い、濡れた面を隠すようにハンカチを畳む。胸ポケットに戻しながら、大きく息を吐いた。気持ちを切り替えたつもりで振り返り……どきっとして動きを止める。
「旦那、さま……」
「アードルフ、少しいいか?」
執務室まで静かに移動し、机ではなく応接用のソファーに座ったヨーゼフは、向かいに座るよう家令を促した。一度は着座を辞退したアードルフだが、二度目は跳ねのけられない。浅く腰かけて背筋を伸ばす。
叱咤だろうか。勝手に探るような真似をした罰ならば、甘んじて受けよう。覚悟したアードルフに、ヨーゼフは思わぬ話を始めた。
「これを見てくれないか」
ポケットから取り出したのか、一個の小さな塊がテーブルに置かれる。すっと指で押す仕草に一礼し、アードルフは塊を手に取った。何度も畳まれた紙のようだ。破かないよう注意しながら開き、広げて目を通す。
「これは……」
「誰かが記したリストだ。名前が並んでいるが、王侯貴族ばかりだ。一部に王城の使用人も記されていた」
ヨーゼフはそこまで語り、眉根を寄せる。半分ほどの名前に横線が引かれ、騎士団長だったアウグストの名も並ぶ。不規則に空欄も残され、その部分が妙に気になる。誰かの名を記すつもりだったとも、役職などで分けた際の目印とも受け取れた。
「一番下にボルマン子爵の名がある。彼は殺された。だが横線で消されていない」
アードルフは主人の言葉に頷いた。死んだ人のリストではないだろう。まだ生きている人にも横線が入っている。ならば何のリストだ? 誰が何の目的で? 疑問が膨らみ、ふっとアードルフは肩の力を抜いた。
「旦那様、アウグスト様にお見せしてはいかがでしょうか」
「そうだな。そうしよう」
呼んできますと立ち上がり、アードルフは食堂へ戻る。少し気まずいような感覚を持ちながら、ノックした。応えがなく、もう一度ノックしてから様子を窺う。どうやらいないらしい。そう判断して少しだけ扉を開いた。
誰もいない部屋にほっとしてしまう。先ほど涙を見られたからではなく、嫌な話をさせたからでもない。淡々と語ったアウグストが少し……怖かった。あのまま壊れそうで、いつもは明るい人が深淵を覗いたように黒く染まっていた。
「女神様、どうぞ哀れな我らにお慈悲を」
咄嗟に出た祈りに手を組み、アウグストを探すために食堂を出た。その後ろ姿を、執事ブルーノが静かに見送る。女神への信仰が高まる一方、陰で何かが動き出そうとしていた。




