88.魘された姉弟の長い夜
目を覚まし、ベッドの上に飛び起きた。肩で息をするガブリエルは、己の肩を抱いた。怖い、冷たい、恐ろしい……悲しい。悲鳴は喉に張り付いて出てこない。
震えるほど嫌な夢を見たはずなのに、悲しくて悔しくて泣いた涙は頬に残っているのに……なぜか思い出せなかった。両手を組んで祈る。
女神アルティナ様、あの夢が昇華されますように。
窓の外は暗く、まだ夜明けまで時間がありそう。もう一度眠ろうと思ったのに、ベッドに潜った瞬間に恐怖が這い上がってくる。ダメ、泣きそうだわ。ガブリエルはきゅっと唇を引き結び、もぞもぞと起き上がった。体は眠いと訴えるのに、心は怖いと叫ぶ。
「……誰か……」
助けてほしい。この痛みや苦しみを消して? 女神様、私が感じているのはあなたの痛みでしょうか。
「っ、お姉様」
ラファエルの声に驚いたガブリエルの肩が揺れる。顔を向けた扉は細く開いて、ちらりと弟が覗いていた。その不安そうな顔を見た瞬間、自分の感じていた思いが消える。
「ラエル、寝られないの? おいで」
「……はいっ!」
嬉しそうに頬を緩めた弟が駆け寄り、ベッドの中へ招く。貴族の子は産まれてすぐ、個室を与えられる。専属の乳母や侍女がついても、両親と眠る習慣はなかった。もちろん、兄弟姉妹も同じだ。
ちょっとだけ、悪いことをしている気分になる。見つかったら叱られるかもしれない。それでも一人で眠るのは怖いから、一緒にいようと笑い合った。互いの温もりがあるだけで、気持ちが楽になる。つい軽くなった口が、理由を尋ねさせた。
「ラエルは何があったの?」
「怖い夢をみました。皆が消えて、僕だけ残って……だから、お姉様がいるか確かめようと思って」
「そう」
一緒に横たわっても、もう恐怖は湧いてこない。ガブリエルは弟の焦げ茶の髪を撫でながら、嫌な夢を見たと話した。でも内容は覚えていないの、と締め括る。
「お姉様、すごく嫌だったんですね」
思わぬ共感がもたらされ、ガブリエルは驚いた。
「嫌すぎて覚えていられないんだとおも……あふっ」
話しながら、ラファエルが大きな欠伸をする。寝てもいいと言いながら、自分も眠くなって瞼が重い。互いの体温を感じながら、二人は眠りに就いた。
「大変! 寝過ごしちゃった」
飛び起きたガブリエルに、抱っこされて眠っていたラファエルが目を擦る。窓のほうへ目をやり、まだカーテンが閉まっていることに安堵の息を吐いた。のんきな弟が二度寝しようとするのを、焦る姉が阻止する。体を揺すって起こした。
「ダメよ、お昼過ぎてるわ」
「え? うそ!」
二人で飛び起き、カーテンを細く開いた。間から差し込む陽光は、明るく目を差す。間違いなく昼過ぎの光だった。あたふたと自室へ戻る弟を見送り、ガブリエルも身支度を整えた。廊下に飛び出した彼女を、叔父アウグストが捕まえる。
「おっと、お姫様。食堂へお連れしますよ」
「ラエルもお願い!」
「カールが迎えに行ったから大丈夫だ」
にやりと笑う叔父に頬を寄せ、じゃりっとした感触に渋い顔をする。手で撫でて、剃り残しの髭を指摘した。
「おじ様、お鬚が痛いわ」
「ん? ありゃ、剃り忘れたか」
笑いながら、腕に座らせた姪を連れた元騎士団長は廊下を歩く。ふざけて髭をすり寄せるアウグストに文句を言うガブリエルの頭から、昨夜の悪夢は薄れていった。




