48.種を腐らせたのは女神か
せっかく撒いた種が、実る前に腐りかけている。巷で噂の『前回』の記憶は、彼にはなかった。ゆえに、噂を集めて形を作り上げる。女神により断罪をなかったことにされたロイスナー公爵家が逃げ出し、独立した。国内貴族も逃げたが、王都へ戻される。
「種を腐らせたのは、女神か」
愛と豊穣を司る女神アルティナは、この世界では多くの信者を持っている。他にも関与する神はいるが、彼女ほど有名ではなかった。だから、足元でじわじわと信仰を奪ってきたのに……まだ盤をひっくり返す力があるのか。
神殿の奥、誰にも見せない小さな祠へ手を組んで祈った。女神を退け、我らの信仰でこの世界を満たせるよう……いつもより長く祈って立ち上がる。振り返った男の服は、彼が大司教であると示していた。教会の奥に沁みついた黒い穢れは、女神の衣の裾に垂れたインクのように広がる。
「女神様がここで暮らせと仰るなら、仕方ない」
「働き口が広がるなら、商家より城勤めをしたい」
諦めを含んだ年寄りのぼやきが聞こえる。若者は変化する世界を感じていた。貴族でなくとも働く気があり、能力が足りていれば城で働ける。それは素晴らしい改革に思われた。実際は人手が足りないだけなのだが、未来が拓けたと喜ぶ者が声高に叫んだ。
「王は変わった、国も変わる!」
盛り上がる若者がこぞって城を目指す。記憶が戻ったばかりの頃、不満をぶつけて壊した門をくぐった。略奪を免れた城の机で仕事を申請する。侍従、侍女、下働き、文官、騎士、兵士……衛兵に至るまで。様々な職種の募集があった。
料理人など、技能を求められる仕事も含まれる。様々な人材が集まる様子を見ながら、騎士団は荷物をまとめ始めた。これ以上、アードラー帝国に付き合う義務はない。
アウグストは兄から届いた手紙を、部下達にも披露した。引き継ぎを終えたら帰ってきてほしい、控えめな要望が記された手紙に歓声が上がる。早く戻りたいと騒ぐ部下に「先に引き継ぎだ。新しい騎士候補が来たら、すぐに帰る!」と宣言した。
ゆえに、彼らは「いま、これから帰る」と言われても困らないよう、荷造りを始めたのだ。騎士は荷物が少ないと言われるが、さすがに長く暮らせば私物が増える。それらを器用に箱詰めし始めた。要らない物は処分するため、広場に積まれていく。
「どうするか……」
「使う奴がいたらやればいいんじゃないかと」
「……置いていくと、兄上に叱られる気がする」
最後まできちんと片付けろ。そう叱る兄を思い浮かべ、アウグストが唸った。いっそ燃やすか? そんな意見が出るも、新しい騎士候補が揃ってから考えようと後回しにされた。
ヴィリが渋い顔で「だから叱られるんですよ」と呟く。文句を言いながらも、ヴィリは荷造りを終えて不用品を積んでいた。同類の自覚なくぼやいた副官は、豪快に椅子を積み上げる上司を見ながら肩を竦めた。




