34.街を支える民の流失は止まらず
「うちの犬達を貸してくれ? 絶対に嫌」
頼みに行ったジーモンは、馬に曳かせた荷台に乗っていた。というのも、まだ尻が痛くて歩き回れないのだ。しかし自分が顔を出さなくては断られる、と気合いを入れて呻きながら到着した。即座に断られ、痛みに耐えながら報酬の話をする。
「それっぽっち? 万が一にもうちの子達がケガしたらどうするのよ。盗賊が入るから対策でしょ? 無理」
女性口調のオネエさんは、首を横に振った。その足元には、恐ろしい唸り声を上げる大型犬が並んでいる。娼館の主人であるオネエさんにとって、犬達は家族だった。可愛くて仕方ないし、他人に厳しく吠えるため、娼館へ忍び込もうと試みる阿呆の駆除にも役立っている。
可愛がる母(仮)の役に立つ娘や息子達、そんな認識をするオネエさんが貸してくれるはずはなく。
「それより、あんた。尻を掘られたんですって? 可哀想にね。うちでは雇えないけど、おっさんでも雇ってくれる店を紹介する?」
「いらねえよ! つうか、掘られてねえっての!!」
王都の大通りを一本入っただけの道で、大声でとんでもない会話をしている二人。昔染みの気安さもあるが、意外なつながりがあった。伯父と甥なのだ。親戚だからと安く犬を借りようとして、当てが外れたジーモンは、すごすごと荷台に揺られて帰っていった。
「馬鹿ね、もう逃げ出すところだもの。家族を置いていけるわけないじゃない」
ジーモンには悪いが、もう王都は危険だ。娼館の主として、商品でもある女性の身を守る必要があった。何より、これほど寂れた街では客が取れない。食っていくには金がかかる。女性ばかりの所帯では、化粧やドレスなど必要経費は天井知らずだった。
稼いでもらわねば、全員で心中する羽目になる。オネエさんの狙いは、これから発展するだろうロイスナー公爵領だ。急激に育つ街は善悪関係なく人が集まる。そこに娼館は必須だった。悪人の見極めに長けた女性達の通報は、衛兵にとって役立つ。何より街の治安は裏に慣れた者が相応しい。
発展する光に紛れて影も肥大するのだから、オネエさんの目の付け所は悪くなかった。手配した荷馬車を裏口につけさせ、大急ぎで寝具や衣装を運び出す。本物の宝石ではないが、見た目はよく似たガラスの装飾品も同様に。食器類まで箱に詰めて積み込んだ。
「先に行っとくれ。追って明日、出発するから」
他の商会の移動と同行させる手筈は整えた。そうでもしなければ、途中で強盗に襲われて荷馬車は消えてしまうだろう。自分達の護衛には、騎士団の伯父を使えればよかったけど……無理そう。王都から逃げ出す職人達にツナギをつけておいた。集団が大きければ、襲われる確率も減る。戦える人間が増えるメリットもあった。
「まず、生きること。何もかもその後よ」
オネエさんは深い息を吐いた。着飾ってはしゃぐ女性達に「地味な服にしないとタダで食われちまうよ」と現実を告げ、着替えを促す。慌てて自室に飛び込む彼女らを見送り、鼻を鳴らして甘える犬達を撫でた。
貴族だって没落して地位も家も財産も失う。一瞬だけ過去に思いを馳せ、オネエさんは犬達の荷物を纏めるため歩き出した。十五匹もいれば、干し肉の量も馬鹿に出来ない。可愛い家族にひもじい思いをさせる気はないのだから。




