31.危険はいつだって隣にある
王都邸を引き揚げた時、ある程度の覚悟はしていた。騎士団長でありロイスナー公爵家次男だった弟アウグストは、引き留められるだろう。考えるより動く人間なので、いずれはうんざりして逃げてくるはずだ。それまでは口出しする気はなかった。
王族が簡単に崩れてしまっては、こちらの対処が間に合わない。ヨーゼフはそう考えた。これからロイスナー公爵領には、多くの人が流れ込んでくる。アードラー王国の一部である以上、領地を跨っての移民を断り切れないのが現状だった。
早く独立する必要がある。そうしなければ国内の移動で、望まない人材も入り込む。盗賊や罪人、公爵家に悪感情を持つ者、この領地を食いつぶそうと考える者まで。『前回』の記憶があるからこそ、懸念で終わらないことを知っている。
人の悪意はどこまでも肥大するのだ。貴族の頂点に立つ公爵家一家を、冤罪で貶めることができるほど。感情で動く者は恐ろしい。理詰めで動くのなら、対応の方法はあるが……。
ヨーゼフの懸念を、ミヒャエラもよく理解していた。最愛の娘を王家の婚約者に取られ、可愛い時期を共に過ごすことができなかった。加えて『前回』の仕打ちだ。
亡くなった王妃と交流があったミヒャエラは、情に流された。彼女の一人息子ならと、耳障りな噂を否定した。その結果が、一族滅亡の引き金となる。首を落とされる寸前、泣きながら「お母様」と呼んだ我が子の声が忘れられない。二度と繰り返さないため、『前回』の記憶があるのだから。
王都から引き揚げたブルーノを追って領地へ入った商人達を、しっかり見極める必要があった。賄賂を贈るような者なら、領地追放するべきだろう。金で片づけようとする者は、金で裏切るのだから。もし誰かの権力を振り翳すなら、領民にも同じように振舞うはず。こちらは公爵家の権威で叩き潰せばいい。
護衛を連れた商人の同行は、ブルーノ達の安全に寄与したけれど。それだけを免罪符に、すべて受け入れるのは危険だった。ゆったり構える公爵夫妻だが、見極めようとする視線は鋭かった。
商人がこの領地にもたらす恩恵を尋ね、今後懸念される状況を確認する。すらすらと答える商人が合格し、領地への本店建設が許された。だが次の商人は落とされる。全部で四つの商会から本店建設の申請が出された。
歓迎する気持ちより警戒心が先に立つ。それでも全部を拒絶したら、領地の物流や他国との交易に影響が出てしまう。調整しながら慎重に見極める必要があった。残る二つの商会は保留とし、ひとまず支店の建設が許される。
「……あの子達はどうしている?」
尋ねられたアードルフは、お茶を交換する侍女の動きを見ながら答えた。
「カール様、ケヴィン様と林へお出かけです」
「あと数日で時間が取れそうだ。そうしたら、リルやラエルと過ごしたいな」
「そうね、頑張りましょう。あなた」
ヨーゼフとミヒャエラは頷き合い、目の前に用意されたお茶に手を伸ばす。疲労回復のハーブが使われた懐かしい味に目を見開き、口元を緩めた。『前回』でも疲れた時に用意された味だ。アードルフの気遣いに礼を言って、公爵夫妻は気を引き締めた。
商人の次は、王都から流れてきた文官や騎士の見極めがある。騎士はカールとケヴィンに任せるとして、文官は実務を取り仕切るアードルフの立ち合いも求めよう。自分達の力を過信し、我が子を再びの危険に晒すことがないよう。危険はいつだってすぐ隣にあるのだから。




