23.あの子の耳に入れないでくれ
アードルフから事前に聞いていたこともあり、主だった使用人達は『前回』を知っていた。記憶を持つ者は全体に少なく、覚えている内容も処刑のことは抜けている。こちらでの日常が突然途切れ、女神の言葉を聞いて知った。その後、新しく戻った人生を歩み始めた感じだろうか。
状況がわからぬまでも、ケヴィンやカールも『前回』の存在は知っていた。あの時期、二人は領地にいた。公爵家と父の話を聞き、馬を駆っていたところで記憶が途切れている。おそらく間に合わないまま、途中で女神が介入したのだろう。そう結論付けた。
「つまり、記憶の有無だけでなく……内容も個々に違うのか」
ヨーゼフが唸るように呟く。アードルフは、判明している事実を手帳に書き記した。いずれ、彼の手帳が役立つ日が来る。今はまだ穴だらけのパズルも、すべてのピースが埋まる日を信じるしかなかった。女神の想いや考えを、人が推し量ること自体が不遜なのだから。
「まず承知しておいてもらいたい。ガブリエルだけが記憶を持たない。まだ話す時期ではないが、親である私かミヒャエラから説明するつもりだ。それまであの子の耳に入れないでくれ」
「承知いたしました」
代表してアードルフが答える。『前回』に関する記憶の共有をした使用人達の幾人かが、ここで涙を零した。本邸の侍女頭アブリルもその一人だ。孫のように愛し見守るお嬢様が、罪人扱いされて処刑された。さぞ怖かっただろうと泣いたのは、つい数日前だ。アブリルには、やり直した記憶が残っていた。
罪状や処刑についての詳しい記憶はなく、屋敷の廊下を歩いていて立ち止まったところでやり直しとなった。女神の言葉は届いている。だから大事なお嬢様が恐ろしい目に遭ったことは承知していた。その記憶を持っていないことは、お嬢様への恩情なのではないか。アブリルはそう捉えた。
女神アルティナ様は、お嬢様を助けて下さった。あの愛らしい笑顔が曇らないよう、恐ろしい記憶を消したのだ。手を組んで祈りを捧げた。もう一度お嬢様に仕えることができる幸運と、公爵家の皆様が無事であることへの感謝を祈りに込める。王都邸の侍女長イレネも、隣で手を組んで祈っていた。
「小公爵様は、記憶をお持ちなのですか?」
執事セシリオが確認する。頷いたヨーゼフの悲痛な表情に、アブリル以外の侍女達から啜り泣きが漏れた。堪えていた感情が溢れたのだろう。様々な思いが詰まった沈黙が過ぎ、ヨーゼフがぱんと手を叩いた。
「さあ、明日からは普通に頼む。リルを守るために、俺はどんな手段も厭わない」
厭わないつもりなどではない。汚い手を使おうが、後世へ悪名を残そうが、絶対に譲らない覚悟だった。
「それから、王都邸を引き払ったブルーノ達が数日で到着するだろう。受け入れ準備を頼む。騎士団も丸ごと引き揚げるはずだ。アウグストの部屋も掃除しなくてはな」
普段から掃除されているのを承知で、お道化た口調でヨーゼフは場の空気を和ませた。侍女達は涙を拭き、口角を上げて笑みを作る。執事や侍従に見送られ、ヨーゼフは部屋を出た。もう娘達は眠っている時間だ。窓の外は暗く、だが星が明るかった。
「女神アルティナ様、あなた様の気持ちに沿えるよう努力いたします。ですから、リルとラエルをお守りください」
俺と妻は十分生きて幸せを堪能した。可愛い我が子二人が、今度こそ人生を全うできるよう。幸せだと思える日々を掴めるよう、それだけを祈った。




