19.自分を含めて全員を疑った
寛容で民を思いやる主君が、世界にどれだけいるのか。稀有な王に仕える己の幸運に感謝したのは、ほんの数年前だった。忙しく、なかなか休暇も取れない。大量の書類に埋め尽くされた日々だった。それでもグスタフ王に不満はない。
財務大臣として必死に財政をやりくりした。民のための減税に賛成した以上、苦労は望むところだ。これで民が楽になると信じていた。誰もが必死で国に人生を捧げてきたのに、騙されていた? 誰かが民から搾取し、国に嘘をついて金を呑み込んだ。
「何を信じたらいいのか……」
もうわからない。押しかけた民衆の姿に嘘はなかった。怒りと憎しみを湛えた眼差し、身支度に金をかける余裕のない切迫振り、厳しい指摘の声。どこで、いつから、何を間違えたのか。財務大臣を務めるボルマン子爵は肩を落とした。
ヤン宰相が話していた『前回』を知らない。記憶にないと表現するのが正しいだろう。ヤンが説明した話に驚き、何も言葉が見つからなかった。公明正大なロイスナー公爵が、家族も含めて処刑された? 公爵令嬢は王太子殿下の婚約者だったはず。
茫然としながら事実を確認するボルマン子爵に、外務大臣を務めるプロイ伯爵が説明を始めた。プロイ伯爵は『前回』の記憶を持っているという。女神様の断罪とやり直しを命じる声、まばゆい光、どちらもボルマン子爵には与えられなかった。
「俺は選ばれなかったんだろうな……それもそうか。数字に長けていると思い込み、税を誤魔化された事実を見落としたのだから」
おそらく『前回』も同じ事件が起きたのだろう。それらの罪をロイスナー公爵家に負わせた犯人がいる。この騒動の原因となった人物……王太子殿下ではない。あの方はそれほどの知識も知恵も持たない。そこまで賢ければ、グスタフ王も悩む必要がなかったのだから。ならば、誰だ?
監禁された部屋は、客間が使用された。用意された食事を押しのけ、見つけたペンにインクを吸わせる。一緒に引き出しに用意された便箋に名前を記した。
善悪関係なく、税収に関与できる立場の者を並べる。グスタフ王から始まり、部下の文官まで。ずらりと並んだ名は数十人程度だ。さらに、強要して動かせる立場の強い者を書き連ねた。騎士団長や外務大臣など、普段は財政に関与しない人物を中心に。思い浮かんだままに書いた。
ロイスナー公爵も記す。全員出たかわからないが、不要な人物は消し込んでいく。さらに思いついたら足せばいいだろう。ボルマン子爵は真剣に作った名簿と向き合った。
子供が生まれたばかりの部下は、誰かに脅迫されていないか? あの場で驚いた顔をしていたが、ヤン宰相に疑わしい点はなかったか? 騎士団長バーレ伯爵はロイスナー公爵の弟君だが、家督争いはなかったか……。思いつく限りに徹底的に疑った。
半分ほどを削除して、横線で消し込む。一番下に記したボルマン子爵自身の名は、まだ残っていた。今の自分は関与していないと断言できるが、『前回』がある。そこで関与していないと言えるか? 不安が残る。もしかしたら、来年あたり脅されて中抜きに手を染めたかもしれない。
自分すら信用できないまま、新しい名前に向き合う。侍女長や執事などの使用人に至るまで、すべてを疑い尽くせば……誰かが残るはず。
脳裏に浮かぶのは、四年後の恐ろしい未来だった。『前回』の処刑の光景を口にしたのは、半分近い大臣と宰相だ。まだ十六歳の公爵令嬢に、どんな罪があったのだろう。それより幼い小公爵様は、父母の死にどれだけ衝撃を受けたのか。
冷えた料理が視界に入り、申し訳ないことをしたと眉尻を下げる。押し寄せた民衆は食うに困るほど貧しいのに、こんな立派な料理を残してしまった。冷え切ったスープは脂が浮き、固まっている。少し迷ってかき回した。料理人が気に病むだろうから、何とか食べ切ろう。
ゆっくりと口に流し込む。ひどく苦く感じられた。




