18.目指した豊かさは幻だった
王は自室、宰相や大臣は客間に監禁された。各部屋の見張りは、有志が交代で行う。
民のために仕事に打ち込んだのに、真逆の結果を招いていた。宰相職まで上り詰めたのは、若い頃に出会った老人の影響が大きい。ヤンは侯爵家の三男に生まれ、父や兄のような強さを持たなかった。腕っぷしだけでなく、体も弱かったのだ。
母はあれこれ気遣って、末息子へ過保護になった。兄二人と年が離れていたため、身近な比較対象がいない。私は随分と傲慢な貴族の坊ちゃんだったはずだ。ヤンは自嘲した。
ある日、視察で街へ出る兄を追いかけて、勝手に屋敷から出た。まだすぐそこにいると思った兄がいない。そこで戻ればよかったのに、ヤンは愚かにも街へ向かった。視察で街に行くのなら、街で会えると思ったのだ。この頃のヤンの世界の狭さが窺える。
まだ二桁になったばかり、若いと言うより幼い。考え方も甘く、身なりのいい貴族の子が街中を一人で歩く危険性も知らなかった。話しかけられ、兄を探していると素直に口にする。案内してあげると手を引く女性に、ヤンの警戒心は働かなかった。
素直についていく子供を、ある老人が呼び止めた。
「坊ちゃま! このようなところで何をしておいでか。あちらで皆様がお待ちですぞ」
きょとんとするヤンの手を掴み、女性を睨みつける。慌てて手を離し、笑って誤魔化しながら彼女は逃げて行った。あの時、もし老人が助けてくれなかったら……宰相ヤンは誕生しなかっただろう。ともあれ、老人の機転で助けられた。
貴族の従者をしていたという老人は、ヤンを衛兵のいる塔まで案内した。その際に話をしたが、平民の生活に驚く。風呂はなく、食べ物もパンだけ。スープがあれば上等なのだと。引退した老人は、雇っていた貴族に屋敷から放り出された。それもごく普通の扱いだと言う。
驚きすぎて、ヤンは言葉を失った。何らかの礼をしたいと考え、袖のボタンを引き千切る。前にボタンを引っ掻けて落とした際、探す侍女が「これ一つで一か月分の給金に値する」と口にした。その言葉を思い出したのだ。
老人に手渡そうとして断られた。盗んだと誤解されるから、そう言われたら無理に渡せない。二人のやり取りを見ていた衛兵が、数枚の銀貨を立て替えた。迎えに来た執事が衛兵へ返し、ボタンは彼に回収される。屋敷に戻ったヤンは、兄と母にこってり叱られた。
あの経験が、ヤンの生き方を決めた。平民がもっと豊かな暮らしの出来る国にしよう。少しずつ出来ることを増やし、母親の庇護下から独立する。決意し、必死に勉強して権力の頂点を目指した。
侯爵家の息子が目指せる最上位の地位は、宰相だ。権力の集中を防ぐため、公爵家は除外される。
宰相として必死で仕事をすれば、民が豊かになるはず。そう信じてヤンは邁進した。灌漑設備を整え、穀物生産量を増やす。平民も医者にかかれるよう、金銭面で補助する。減税で苦しくなった国庫を、外交努力で支えた。
寝る間も惜しんだ結果、誰かに中抜きされていたのか。民の生活は困窮し、税が払えず苦しんだ。何も知らず、王城に籠って「やってやった」気になった、愚か者が私だ。ヤンは唇を嚙み締めた。
施したと考えている時点で、何も出来ていなかったのだろう。こうして民が怒りを爆発させるまで、気づきもしなかった。王も大臣達も、同じ志を持って頑張ってきたのに。
怒りや悔しさより、情けなさがヤンの胸に満ちる。涙が一粒落ちると、堪えきれずに号泣した。監禁という形ではあるが、反省する時間を与えられたことに感謝する。膝をついて女神様へ祈りと謝罪を捧げた。
『前回』の記憶はある。あの時点で、ヤンは宰相の地位を追われていた。倒れた王の代理を務める王太子殿下に反論し、謹慎を命じられたのだ。すぐに罷免はされなかった。しかし、処刑の話を聞いて屋敷を飛び出す。あの時の恐ろしい光景と、眩しい光から放たれた女神様の声がヤンの胸に蘇った。
「私の罪は、贖いきれない……」
項垂れた宰相ヤンは、静かに目を伏せた。断罪を待つ身だ、勝手に死ぬことも許されない。民が納得する形で死ぬのが、宰相として最後の仕事になるだろう。用意された食事が冷えていくことに罪悪感を覚えるが、食欲は皆無だった。




