16.食い違う主張が示す大きな嘘
斬りかかろうとした肉屋の主人を、大臣達が押さえにかかる。といっても、文官中心だ。腰に剣を下げている者はなく、本や椅子を武器に立ち向おうとした。止めようと声を張り上げたのは、国王グスタフ自身だった。
「やめよ! 誰も傷ついてはならん。わしの命一つで済むなら差し出そう」
「王太子はどこに隠した!」
「あの阿婆擦れ女もいないぞ」
殊勝に告げた国王へ向けられたのは、元凶二人の行方を尋ねる声だった。肉屋の主人は、同行した民衆に宥められて刃を下げる。だが威嚇のため、握った包丁は離さなかった。一部貴族の横暴な振る舞いを知る国民は、手にした武器を護身用と考えている。その様子に、グスタフは項垂れた。
民の税を軽減し、暮らしやすい国を目指した。妻と何度も話し合い、目指した未来は明るい絵図だったはず。いつから狂ったのか。実務に追われて、書類処理で一日が終わっていく。民の暮らしを目にすることなく、机の上で数字と対峙した。
直接、民の暮らしを見るべきだった。貴族の不正を見つけ、不当に税を上げる者らを処分する。出来るのは、貴族の頂点に立つ王だけだったのに。
「陛下、反省はいつでもできます。今は民の要求を聞きましょう」
宰相ヤンの進言に、グスタフは深呼吸して顔を上げた。見つめ返す民の表情は険しく、衣服や痩せた腕から生活の苦しさが見える。不正を暴く決意をした王の隣で、宰相も眉をひそめた。これほど民が困窮していると、知らなかったのだ。
目にした彼らの体は臭う。気を遣う余裕がないのだ。王妃が生きていた頃、宰相は視察に同行した経験がある。孤児院への慰問が主目的だったが、街を歩いて民の生活も確かめた。その頃は人々の表情は明るく、笑いが満ちていた。高価でなくとも洗濯された身綺麗な民が、ごく普通にいたのだ。
あれから十年余り。国の税収は増えていないのに、何が起きている? むしろ、税率は下げたはずだ。公共事業や慈善活動への支出を増やし、財政は収支がぎりぎりの状態だった。民が困窮する理由がわからない。
「国王様か? あんたらが贅沢な生活をする金のために、俺らがどれだけ苦しんだか……」
「待ってください。我々は税を下げ、公共事業を増やしたはずです」
ヤンが遮った言葉に、民衆がざわりと揺れた。隣の者と顔を見合わせ、首を傾げたり横に振ったり。どちらも肯定の仕草ではなかった。きょとんとしたのは民だけでなく、大臣達も同じだ。
「嘘だ」
後ろのほうで一人の男が声を張り上げた。周囲からも「そんなはずはない」「税は毎年上がっている」と聞こえ始める。再び刃をかざして、嘘をつく貴族を排除しようとする空気が生まれる。混乱した状況に、飛び込んだのは……騎士団長バーレ伯爵だった。
「この場は預かる! 必ず公正な裁きを受けさせるから、一度引いてくれ」
「あんたも貴族か?!」
嘘をつく貴族など信じられるか! そう突き付ける民衆へ、バーレ伯爵は淡々と告げた。
「女神様のお怒りはもっともだ。この中に処刑の記憶を持つ者がいれば、思い出してほしい。俺は騎士団長バーレ伯爵アウグストだ。喉を潰され、両手足を壊された当事者の一人だ」
処刑を待つ身だった。兄の一家が次々と殺されていくのを目の当たりにして、狂いそうになりながら女神の慈悲を乞うた。アウグストの叫んだ内容に、グスタフは目を見開く。まさか、これほど近くにさらなる被害者がいたとは……。我が子の為した罪の大きさに震えた。
「あたし、知ってる……この人……あの場所に、いた」
掠れた声で訴えた女性は、泣きながら隣の夫に支えられる。他の声も上がったことで、民衆は凶事に走る寸前で落ち着き始めた。あの処刑の被害者がいる。彼の言葉なら、少しくらいは信じてもいいのではないか? その雰囲気は、じわじわと広がり始めた。




