15.こっちに王がいるぞ!
「なんという、愚かな……」
我が子だからと許してきた自分が原因だ。グスタフは即座にそう考えた。この国を守護する女神を怒らせるほど、その罪は深く重い。ニクラウスとリリーの命で贖える範囲を超えていた。
宰相ヤンを含めた大臣達は、国王グスタフへ同情的な視線を向ける。王妃亡き後、必死で国を支えてきた。彼らの目から見れば、献身的な王である。誰しも、己以外の立場でものを見ようとしないのだから。
「国民が押し寄せております!」
告げに来た侍従は『前回』を知らないらしい。困惑した顔で、王や宰相の判断を願った。比較的穏やかなアードラー王国の民が、あれほど激昂して城へ押し寄せる事態は歴史にない。知らない者は恐れ、知っている者は加わろうと動き出した。
城門を守る騎士や衛兵はおらず、代わりに押し留めようとする侍従や兵士と外の国民の間で押し合いになる。ところが、内側にも民の味方がいた。女神の怒りを買うくらいなら、王や王太子を倒すべきだ。そう考える侍従や侍女が、門を押さえる兵士を後ろから襲った。
持ち堪えられず、城門が開く。軋んだ音を立てて壊れた門から、雪崩れ込んだ民は手に武器を持っていた。こん棒を振り回す者、包丁やカトラリーを握る者もいる。そんな民の先頭に立つのは、街の治安を維持する警備隊だった。
長い木製の警棒を携え、入城を拒む兵士たちと対峙する。
「今のうちに、王太子と偽聖女を探し出せ!」
「簡単に殺すな。捕まえるだけだ」
あちこちで呼応する声が返り、人々はわっと散開する。砂糖に集るアリのように、城の内部へ侵入した。豪華な調度品に眉をひそめ、不快さを示す。それでも強奪は起きなかった。目的がはっきりしていたからだろう。元から温厚な民だったことも影響しているか。
略奪より先に、目的の人物を確保する。その点で人々の意識は共通していた。片っ端から扉を開け、邪魔をする者を空き部屋に閉じ込める。人の血が流れない形での反乱に、宰相達は困惑した。
「ヤン、これは……あの者らに記憶があるということか」
「おそらく、記憶を持っているのでしょう」
確証はないが、記憶があることで目的が一つに絞られていた。グスタフは一つ息を吐き、己の頭上に輝く王冠を外す。会議と謁見の際に載せる王冠は、嫌みなほど美しく光を弾いた。黄金と宝石で固められた権威の象徴を、テーブルの上に置く。
「この命は国に捧げたものだ。民が退位を決めたのなら、従おう」
「陛下!」
咎めるように呼んだ大臣の一人が、ぽろりと涙を零す。グスタフ自身は『前回』毒を盛られ、我が子に殺された被害者だ。そう考える彼にとって、諦めたような主君の言動はつらかった。
「いたぞ! こっちだ、国王がいる」
叫んだのは、肉屋の主人だった。肉切り包丁を振り回し、発見したと周囲に知らせる。彼はあの日、処刑場にいた。いつも肉を納品する公爵家の処刑と聞き、駆けつけたのだ。愛用の包丁を手に、いざとなったらお子様達だけでも逃がしたいと考えていた。
優しく美しいお嬢様や賢い若様。どちらもまだ幼い。肉屋の主人にも、同年代の子供がいた。我が子を見るようでつらかったのだ。親に咎があっても、子供は許されるのではないか。そんな幻想は打ち砕かれた。若様の首が落ち、周囲から歓声が上がる。その状況が信じられなかった。
毅然としていたが、頬に涙の跡があった。怖かっただろう。想像するしかできないが、肉屋の主人は持ってきた包丁の柄を握る。せめてお嬢様だけでも。その腕を掴んだのは、妻だった。悲しそうな顔で首を横に振る。もし夫が罪人となれば、妻子も同じように処刑されるだろう。
我が身可愛さに躊躇った。直後の激しい光、慈愛の女神が怒りと悲しみに満ちた声で命じた『やり直し』は、断罪のようだった。記憶が戻って最初に祈りを捧げた彼は、今度こそ最前線で戦うと決めている。その覚悟で、城を走り回った。
目指した王太子ではないが、これも元凶だ。肉切り包丁を耳の横まで持ち上げて威嚇し、豪華な衣装をまとった王侯貴族を睨む。目の前にいる奴ら、すべてが敵だった。




