14.穏やかな日常を取り戻すため
「お嬢様、ご無事で何よりにございます」
アードルフはいつもの冷静沈着な顔を脱ぎ捨て、ガブリエルの姿を見て泣き崩れた。『前回』の記憶が中途半端なこともあり、事情を詳しく知るわけではない。冤罪の内容すら、曖昧ですべて把握できていなかった。それでも、王太子妃になる予定だったガブリエルが処刑されたことは理解している。
女神の言葉は脳裏に焼き付いていた。
いつも笑顔で出迎える家令が泣く姿に、ガブリエルは困惑した。どうしよう……そんな表情で立ち止まる。ただ、泣いたまま放置する気はなくて。蹲る形のアードルフの頭を抱える形で抱き着いた。温もりが心地よい。
仕事が忙しい父の代わりに、屋敷の中でダンスの練習に付き合ってもらった。屋敷で初めての誕生日会で踊るため、何度も踊ったわ。当日はお父様と踊ったけれど、アードルフとの大切な思い出だった。
「取り乱し、失礼いたしました」
起き上がるアードルフに両手を伸ばし、抱きしめてと強請る。迷ったあと、片膝をついたアードルフは、小さなお嬢様の願いを叶えた。ガブリエルを強く抱きしめ、ぽんぽんと背を叩いてから離す。使用人としての立場を越えているが、公爵夫妻は咎めなかった。
娘ガブリエルが望んだこと、アードルフも『前回』を知るのだと気づいたこと。涙で潤んだ瞳を忙しなく瞬き、ミヒャエラは明るい声で言い放った。
「領地へ向かう馬車で疲れたの。お茶を飲んで休みたいわ。いつも通り、お願いね」
大半の使用人は泣き腫らした赤い目をしている。直接『前回』を知らずとも、使用人同士の情報交換で聞いた恐ろしい未来に震えた。屋敷の女主人の言葉に、慌てて仕事に戻る。アードルフが気になるのか、ガブリエルは手を繋いで離さなかった。
「一緒に行きましょう!」
促すお嬢様に承諾を返し、アードルフは公爵夫妻に一礼する。ラファエルは我慢できずに泣き出し、ミヒャエラにしがみついた。久しぶりの本邸に目を輝かせるガブリエルは気づかない。手前に並ぶ客間や応接室を抜けて、家族が過ごす食堂や居間のある奥へ向かった。
絨毯も家具も変わっていない。壁の絵画が入れ替わっており、飾りの壺も違った。季節に合わせて交換する調度品は、棚の飾り食器も含む。きょろきょろしながら、居間のソファーへ腰かけた。手前まで手を繋いでいたアードルフが、微笑んで指を解く。
「ただいま。アードルフ」
「おかえりなさいませ、お嬢様。旦那様、奥様、若様もごゆっくりなさってください」
侍女がお茶を用意し始め、ベルガモットの香りが広がる。王都では香りが強いと嫌われる紅茶だが、隣国の特産品だった。国境を接するロイスナー公爵領では、好んで飲まれている。
「この香りが好きなの」
にこにことお茶のカップを手に取るガブリエルに、ミヒャエラも穏やかに「そうね」と相槌を打つ。屋敷内で家族が飲むことはあっても、客には出さなかった。ラファエルは、ふぅふぅと冷まして口をつける。お茶菓子も並んだところで、ヨーゼフが切り出した。
「もう王都へ戻る必要はない。ガブリエル、婚約も破棄しよう。これからは領地で自由に過ごしていい」
「本当? もう王太子殿下の相手をしなくていいの?」
嬉しそうに尋ねる娘の笑顔に、どれだけ我慢させてきたのか察した。ヨーゼフは情けなさに唇を噛む。暗くなった場を変えるため、ミヒャエラが明るい声で提案する。
「明日はゆっくり休んで、お昼まで寝ていましょう。午後は庭でお茶を飲んで、明後日に街へ遊びに行くのはどう? ガブリエルやラファエルの服も新調したらいいわ」
「いい考えだ」
立ち直ったヨーゼフが同意し、ラファエルははしゃいで姉の手を握った。お茶を飲み終えたガブリエルは、手を取り合った弟と歓声を上げる。ロイスナー公爵家の穏やかな日常が戻りつつあった。




