135.大丈夫ではなかったの
熱に魘される夜が明けて、ソフィーは驚いていた。自分の手を握った女性が、シェンデル公爵夫人だったからだ。こんな風に心配され、看病された記憶はない。
産褥で母を失い、父は病弱だった。家の社交を含めた領地経営に着手したのは、僅か十歳の頃だ。必死で領民のために尽くしても、文句ばかりだった。子供に何が出来ると協力を拒否されたこともある。病床の父が謝るたび、笑顔で「大丈夫」と乗り切った。
あの「大丈夫」は大丈夫ではなかった。誰かに助けてほしかったし、守ってほしかった。まだ子供なのに、と何度思っただろう。亡くなった母を恨み、仕事の出来ない父を憎む。でも……最後は諦めた。そこへ仕事を手伝えると飛び込んできた男。笑顔で「守る」と言い切った男にソフィーはすべてを託した。
結果はこの通り。呪われた存在なのだとソフィーは悲しくなった。それでも売られる扱いは納得できないし、娼婦のような格好も嫌だった。父はもう殺されたに違いない。自分も死んだことにされる。そう思ったら、すべてを投げ出したくなった。ソフィーは自暴自棄になっていたのだ。
「お前のような女でも買ってくれる奇特な人がいてよかった」
嘲笑する男の言葉に、かっと頭に血が上った。いつものソフィーではない。まるで誰かに操られるように、立ち上がって叫んだ。
「っ、どういう意味よ!」
「そのままだ!!」
舌打ちした男が「面倒くせぇ」と添えた瞬間、両手でテーブルを叩いた。その後はよく覚えていない。興奮状態で抵抗し、殴られそうになって……。大人しい淑女を捨て、素のソフィーが現れる。誰でもいいから助けて!
「あら、起きていたの? おはよう、ソフィー。具合はどう?」
「タオルを交換しますね」
穏やかに微笑んで私に話しかける公爵夫人、当たり前のように世話をしてくれる侍女達。言葉を返そうとして、ソフィーの喉が張り付いたように固まった。言葉より先に涙が零れ落ちる。王族に次ぐ高位貴族の夫人が、自ら看病してくれた。
どんな理由があっても、この事実は覆らない。公爵夫人の手を握り、額に押し付けた。感謝を捧げる仕草に、クラーラが目を細める。
「あらあら、もう大丈夫よ。あなたはシェンデル公爵家の保護下に入ったわ。もうすぐメルテンス子爵も見つかるはず……何か食べられそう?」
こくこくと頷いた。ベッドの上に身を起こせば、いつも痛みで息を呑むほどつらい体が楽だった。冷えたタオルに包まれた手が、昨日より軽い。深呼吸してベッドの上に座ったソフィーは、パン粥をゆっくりと味わった。濃い味のポタージュも、その後の冷たいプリンも。
「プリンはね、孫が好きなの。お店から取り寄せてよかったわ」
その言葉に、昨夜の無礼を思い出したソフィーが謝る。それを遮ったクラーラは笑った。
「こういう時はね、謝るよりお礼のほうが嬉しいものよ」




