133.胸糞悪い話
女性は「メルテンス子爵令嬢ソフィー」と名乗った。アウグストが視線で確認すると、受けたクラーラが頷く。心当たりがあるらしい。
「いつも社交をお休みしている方ね」
夜会やお茶会で見かけたことがない。情報を付け足すクラーラへ、ソフィーは静かに頭を横に振った。
「お言葉を返すつもりではありませんが……私は外出を禁じられておりました」
メルテンス子爵は病弱で、跡取りは令嬢のソフィーのみ。先ほどの乱暴な男は、彼女の婚約者でハイモ・テンツラー男爵令息らしい。テンツラー男爵家の三男で、子爵家への婿入りを狙ってソフィーに近づいた。出会った頃は優しかったのだが、いろいろと付け焼き刃のハイモにボロが出始める。
領地運営のノウハウを持っているはずが、まったくの素人だったこと。外で別の女性に愛を囁いていた話が聞こえてきたこと。テンツラー男爵家でも鼻つまみ者で、成人と同時に追い出されるはずだったこと。
病弱な子爵が問いただした途端、豹変した。ソフィーの父であるメルテンス子爵をどこかへ連れ去り、子爵邸で我が物顔で振る舞い始める。その上、ソフィーに結婚を迫った。だが必死で抵抗し、今日にいたる。
「なぜ今日は外へ?」
「……私を高位貴族の愛人として売るためです」
意味がわからず、きょとんとするガブリエルだが……王太子妃教育で滞在した王宮での、黒い噂を思い出した。家の乗っ取り?
はっとした顔のアウグストが、ガブリエルに外へ出ようと持ち掛ける。だがガブリエルは拒んだ。不安そうな祖父母にも笑顔を向け、自ら質問を口にする。
「家を乗っ取ろうとしたのね」
「はい、私と結婚して子爵の地位を得たら、私を売って恋人をソフィーとして振る舞わせると。聞いて、我慢できなかった。お父様が囚われているのに、それでも……もう我慢したくなかったんです」
泣きながら訴える彼女が、ソファーに崩れ落ちる。食事をした店で、ソフィーは引き渡される予定だった。だから、最後のチャンスだと叫んだ。誰かが助けてくれる可能性に賭けて、同時に騒ぎを起こせば購入相手が近づいてこないと計算して。出来れば殴られることで、保護されたい。
逃げるために騒ぎを大きくして注目させ、テーブルをひっくり返して追いかける男の足を止めようと考えた。他人の迷惑を理解していても、限界だったのだ。
すべてを吐き出した彼女の足首に赤黒い痣が残っている。監禁されたときの鎖だろうか。痩せて痛々しい姿、絞り出す悲鳴のような嘆きに嘘は感じられなかった。
「わかった。裁きは王宮に任せるとして……まずメルテンス子爵の保護に動こう」
優先順位は間違えない。いま危険なのは、ソフィーより子爵だった。行方が分からないなら捜せばいい。簡単に口にしたエッカルトが立ち上がる。クラーラは静かに歩み寄り、手前で身をかがめた。
「まず、ソフィーは休むことが仕事よ。いらっしゃい、服を用意しましょう」
胸元を大胆に見せるドレスは、ソフィーに似合わない。クラーラはそう言い切り、宿から手配を掛けた。明日の朝には大量の服が届くだろう。
「じゃあ、男性は外へ出て頂戴。騎士団長様」
クラーラに追い出され、アウグストは扉の前でがしがしと髪を掻きまわした。なんとも腹立たしい話で、あの男を顔の形が変わるまで殴ればすっきりしただろうにと思う。しっかりした扉の奥の音は聞こえないが、きっと泣いているだろう。胸糞悪い話だ。
宿の入り口に護衛騎士はいるが……今晩くらいは俺が守るか。どかっと廊下に座り、慌てる宿の者に毛布を運んでくれるよう伝えた。




