132.広がる袖の陰に隠れた色
物欲しげに厨房へ向いた視線に気づいたのは、祖母クラーラだった。孫娘が欲しいと望んだなら、手に入れるのが祖父母の甲斐性だ。先に店を出て馬車に乗り込んだ夫に、やれやれと首を横に振る。クラーラはそっと店の者に申し付けた。
泊る宿の情報とデザートの注文。二つを店に残し、エスコートしない夫を呼ぶ。
「あなた、私一人では馬車まで無理ですわ」
歩けないと胸を張って言い放つ。淑女がエスコートなしで馬車に乗れと? そんな怒りの声に慌てたエッカルトが駆け寄り、恭しく手を差し伸べた。
「大変失礼した。シェンデル公爵夫人、わしのエスコートではいかがか?」
「よいでしょう」
仰々しい芝居のようなやり取りに、ガブリエルはくすっと笑った。それから祖母と同じ位置に立って待つ。クラーラが乗り込んだのを見て「おじい様、私も!」とエスコートを強請った。来るときは叔父アウグストの手を借りたが、今は別の淑女がいる。
アウグストを彼女に譲るなら、ガブリエルのエスコート役が必要だった。馬車は見える距離で、走っていけばすぐなのだけれど……。妻の真似をした孫娘に、頬を笑みで崩した好々爺の顔でエッカルトは迎えに来た。
可愛い淑女をエスコートしながら振り返り、ふふんと得意げな顔をする。アウグストは肩を震わせて笑い、その後……立ち尽くす女性に手を貸した。
「お手をどうぞ」
筋肉が脳に根を張った、と揶揄されるアウグストだが、礼儀作法や人への接し方は叩き込まれている。騎士団長という役職をこなした男は、スマートに女性を馬車まで連れて行った。
「おじい様、大きな馬車で良かったわね」
「当然だ。我がシェンデル家の紋章を付ける以上、立派でなければ」
何事も高位貴族らしく、立派に豪勢に! エッカルトの主張に、馬車の中の雰囲気は柔らかくなった。ただ、助けられた女性だけが身を小さくして震える。気の毒に思うが、事情を知らなければ何も言えない。彼女がとんでもない悪女である可能性もあるのだから。
宿泊先に到着し、御者席の騎士が外から扉を開けた。公爵夫妻、アウグストとガブリエル。最後に降りた女性を、騎士がエスコートする。逃げることも考えつかぬまま、彼女は素直に従った。
最上階を貸し切っているため、部屋は二つほど余っている。階段に近い一つを護衛の騎士の詰め所として利用するため、残ったもう一つの部屋が女性に宛がわれた。
「さて、事情を聞こうか」
豪華な部屋に恐縮する女性には悪いが、何も聞かずに終わらせるのは難しい。はっきりと突きつけた。アウグストはガブリエルを部屋に返そうとするが、嫌だと拒否される。五人がソファーに落ち着き、お茶が並べられた。
静かな部屋の空気が重くなり始めた頃、女性は静かに口を開いた。
「見苦しい喧嘩をお見せし、申し訳ございません。ただ、私はあの場でなければ言えなかったのです」
意味ありげな言葉と同時に、七分丈の袖を捲って見せた。フレアスリーブと呼ばれる裾へ向けて広がる袖の下は、青紫や治りかけて黄色に染まった痣が大量に残っている。
「これは……」
アウグストが険しい表情になり、僅かに身を乗り出した。じっくりと確認してから、溜め息を吐く。ここ数日の傷だけではない。古い切り傷も見つけたアウグストは「痛かったであろう」とそれだけを口にした。




