118.復讐は果たされ、人々が集う
即効性はなかった。だが間違いなく、ローマンの睡眠と平安を奪う。貴族牢を後にしてから、もう五日が経過した。教会の一室で、ベニートの淹れたお茶が湯気を漂わせる。
「これでよかったのでしょうか」
「ああ。これで良い。罪はすべてこの老骨が背負っていく」
シュテファンへ、気に病むなと言い切ったヴェルナーは微笑んだ。気持ちが楽になった。復讐は進んでいる。可能なら、苦しみ足搔く姿を間近で見つめていたかったが、さすがに望みすぎだろう。このままローマンの訃報が告げられても、物足りないと思わないほどに。ヴェルナーは満たされていた。
「明日、もう一度訪問します」
ヴェルナーに給仕するベニートが一度止まり、何もなかったようにお茶を注ぐ。シュテファンはやや青い顔色ながら、静かにお茶のカップを傾けた。
「とても良い香りです」
「お褒め頂き、恐縮です」
茶葉自体は、教会で一般的に飲まれる品種だ。高価ではないが、粗末でもない。お茶農家が自分達のために育てた茶葉、と表現すれば近いだろうか。品質はそこそこだが、売り物ではない。欠けていたり砕けていたり、何らかの難ありとされるお茶だった。
質素倹約を旨とする教会には、こういった品が多い。それを執事としての経験と腕で、上手に淹れてみせた。ベニートの謙遜に、シュテファンはゆっくり首を横に振った。味わったお茶の深みは、彼の手には生み出せない領域にある。
「素晴らしい香りと味、芳醇で満たされます」
シュテファンは二杯目を半分ほど飲み、カップをソーサーへ戻した。顔を上げた枢機卿は静かに宣言する。
「次の投薬で仇は壊れるでしょう。覚悟はありますか?」
「当然じゃ」
ヴェルナーの声は震えず、信念を秘めた瞳も揺るがない。頷いたシュテファンが口を開くより早く、ノックの音が響いた。
「何事ですか?」
立ち上がろうとしたシュテファンの前で、ベニートが扉を開ける。言葉で応じたシュテファンを見ながら、息を切らせた司教が「王弟殿下がお亡くなりに……っ」と声を詰まらせた。驚いて動きを止めた三人だが、最初に立ち直ったのはシュテファンだった。
「そうですか、知らせていただきありがとうございます」
司教は一礼し、廊下を奥へ進む。他の枢機卿にも伝えるのだろう。足音が遠ざかる中、ヴェルナーが声を絞り出して叫ぶように泣いた。心の底から響く本音は、まるで悲鳴のようだ。扉を閉めたベニートが駆け寄り、主君に断りなく触れた。
抱きしめ、壊れそうな主君をかき集める。粉々にならぬよう繋ぎ留めるベニートに、ヴェルナーは縋った。両腕でしっかりとベニートを掴んだヴェルナーを、シュテファンは何も言えずに見つめる。その頬に一筋の涙が伝った。
「……長らくのご苦労とご心痛が、あの記憶が少しでも和らぎますように」
復讐を果たしても、もう残っていない。守るべきものは消えた。それでも……わずかながら消息のつかめた者がいる。カロッサ子爵家のシュテファン、王都で出会ったアブリル。血と名を繋ぐ者がいる限り、ヴェルナーは領主だった。顔を上げて、泣くことも出来なかった乾いた目で告げる。
「わしは……墓を作ろうと思う」
民一人一人を弔い、かつての領地を縛る血の記憶を塗り替えるために。ベニートは静かに「お供いたします」と覚悟を示した。シュテファンは胸元に掛けた女神のシンボルを外し「では私もご協力しましょう、祈りを捧げる者が必要ですから」と微笑む。
翌日、枢機卿シュテファンは還俗せぬまま教会を去った。その傍らには、二人の老人が付き添っていたという。呪われた地と称される元シーゲル伯爵領に、新たな教会を立てる。彼らの目標が公開されると、各国から様々な人々が集まってきた。鍛冶屋、肉屋、パン屋、掃除夫、娼婦に至るまで。
いつか、枯れた土地が蘇る日を夢見て。




