117.毒ではなく、正しく薬だ
傷の悪化による激痛より、心を蝕むほうが効果的だ。そう決めたヴェルナーが手配させた薬は、青い薬瓶の中できらりと輝く。陽に透かした瓶を握り、ヴェルナーは久しぶりの祈りを捧げた。
女神アルティナ様が一族を助けなかったことを恨んだ時期もある。だが戻らないはずの時間が逆流し、あの頃に届かないまでも、復讐の機会を得た。異教徒を保護し、操り、利用して人々を不幸に陥れる。悪魔のような男を滅ぼすチャンスは、きっと今回限りの恩情だろう。
気持ちがすっと軽くなる。復讐を果たしたとき、この胸はさらに軽くなるのか。それとも重石を抱えて闇に沈むのか。どちらでも構わない。どうせ、孫のいる眩しい場所に手は届かないのだから。
「参りましょう」
促すシュテファンに一礼し、ヴェルナーは静かに斜め後ろについた。教会内では杖を使わず、ベニートがその役目を果たす。木製の義足を布で包み、ベニートの腕を借りて歩いた。硬い木の音は響かず、代わりにくぐもった低い音が聞こえる。
耳慣れない音を伴い、二人はシュテファンの背に従った。王宮の門をくぐり、難なく貴族牢へ到着する。マルクス王の許可を得た枢機卿を阻む者はいなかった。従者らしき二人が同行することも、特に確認はされない。貴族階級に置き換えるなら枢機卿は侯爵以上、従者や護衛が付き添うのが当然と考えられた。
あまりにもあっさりと進み、ヴェルナーは拍子抜けしてしまう。もちろん、シュテファンの地位と手腕あってこそだが、罪人に気遣いは無用とも受け取れた。騎士が先頭に立って室内へ誘導され、用意された椅子にシュテファンが座る。
従者の立場となるため、ヴェルナーとベニートは椅子の後ろに控えた。お茶が用意され、侍従と騎士が下がる。懺悔は神へ届けるものであり、人が耳にしてはならない。これが懺悔に関する不文律だった。神職者は神の代理人であるため、人の数に入らない。
「ローマン様、再び参りました」
微笑んで、懺悔を促す。ゆっくりと口を開いたローマンは、先日より頬がこけた。落ちくぼんだ目が動き、ヴェルナー達を映す。だが、すぐに興味を失った様子で懺悔を続けた。シュテファンしか目に入らない様子で、徐々に早口になり最後は捲し立てる。
頷きながら聞いたシュテファンが立ち上がり、そっと……抱擁するようにローマンの頭を引き寄せた。母親が子を宥めるような動きに、ローマンは目を伏せる。その隙に薬がお茶へと垂らされた。このために義足に布を巻いた。誰かの手を介してではなく、自ら注ぐために。
音を立てず、静かに薬はお茶の表面を揺らす。
「ローマン様に祝福を……」
微笑んで離れるシュテファンの動きに不自然さはない。お茶の上で、控えめに手を揺らして小さく指先で印を描く。それからカップを手に取って、彼の前へ差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとう」
ローマンが礼を口にした瞬間、シュテファンの指先が震えた。ほんの一瞬で、見落としそうな動きだ。作った笑顔でお茶のカップを手渡した。お茶は躊躇いなくローマンの口に流れ、喉を通って吸い込まれていく。
後ろでヴェルナーは拳を握った。見えない場所で爪が食い込むほど強く。懺悔で楽になるのは許さない。孫も我が子も嫁も……領民達も、そんな赦しは与えられなかったのだから。




