110.差し伸べられた手の意味
訪ねてきた老シーゲル伯爵ヴェルナーの明るい表情に、シュテファンは驚いた。再会したときは、復讐に固執していた。険しい表情で、瞳は濁っていたのに……。顎髭を剃ってさっぱりした彼は、一回り若返ったように見受けられる。
「お加減はいかがですか?」
「気持ちが軽くなった分だけ、体調も整ったようだ」
枢機卿として与えられた部屋は、質素な木製の家具ばかり。贅沢をきつく戒めた教会の在り方は、このような場所に現れた。代わりに、大聖堂の女神像の装飾は華やかに仕上げる。金をかける場所と絞る場所を、教会は良く知っていた。
アブリルが用意したのと大差ない、安い茶葉が丁寧に淹れられる。一口飲んで、ヴェルナーは目を瞬いた。斜め後ろに控える執事ベニートに座るよう促し、彼にお茶のカップを手渡す。怪訝そうな表情ながら一口含み、ベニートは目を見開いた。
「同じお茶ですね」
「ああ。懐かしい味だ」
バターをのせた蒸かし芋に気を取られたが、お茶もかつてのシーゲル辺境領で飲まれた品種だった。もしかしたら……あの女性は、辺境領の民に繋がる親族かもしれない。探る必要はないが、生き残った可能性に胸が満たされた。
シーゲル伯爵家が消えても、辺境領の民は繋がっていた。真相がどうかは関係なく、前向きにそう捉えられる自分に驚く。
「同じ、ですか?」
事情を知らないシュテファンの疑問に、ベニートが丁寧に答えていく。ヴェルナーも言葉を足した。もう一度カップを手元に引き寄せ、ふと柄が気になる。アブリルの出したカップは、三つとも柄が違った。貴族としての生活が身に付いたヴェルナーには、考えられないことだ。
「カップ、でございますか。貴族は揃いのカップを使用しますが、セットが欠けると残りは下げ渡します。頂いたカップが売りに出されることもあり、平民は柄の違う数の足りないカップをよく使用します」
ベニートの説明に納得する。質のいいカップだったので、そこそこ裕福なのだろうと考えたが……事情を知れば、見え方が変わった。安い茶葉、蒸かした芋、柄の違うカップ。アブリルの生活は裕福とは程遠い。それでも、たっぷりとバターをのせて出した。
客人への精いっぱいの持て成しであろう、と。あのような心遣いの出来る女性が住む地を、自分の身勝手で滅せるはずがない。かつての復讐があったとして、アブリルには無関係なのだから。ヴェルナーとベニートの会話を聞くシュテファンは、変化の理由を知った。机の下で手を組む。
女神アルティナ様、あなた様が差し伸べた手は間に合いました。主君と仰いだお方と忠誠を尽くす執事、この二人にお慈悲を頂きましたこと……深く御礼申し上げます。
祈りを捧げ、顔を上げた。
「復讐なさるなら、当事者がよろしいかと。以前申し上げたように、異教徒であったセブリアンは排除いたしました。ですが、彼に指示を出した者がおります。ウテシュ王国の……王弟ローマン殿下ではないかと」
教会は様々な人種と階級の人間が交じっている。当然、元貴族や王族といった高貴な人も含まれた。俗世を離れても、彼らの影響力は残る。そちらから手繰った情報を、シュテファンは口にした。今の二人になら、告げても問題ないと信じて。
考えを巡らせるように目を閉じたヴェルナーは、ゆっくりと深呼吸した。
「詳しく聞こうか」
その落ち着いた声に、シュテファンは再び女神に感謝を捧げる。広くない室内で顔を突き合わせ、詳細を語る声は小さく響いた。




