表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたくしは何も存じません  作者: 綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢をよろしく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

109/134

109.故郷の懐かしい味

 用意された蒸かし芋に懐かしさがこみ上げた。辺境領は小麦の栽培に向かない気候だった。雨が少なく、芋を中心に育ててきた。蒸かすと甘くなり、色も濃くなる。同じ種の芋が出されたのは、偶然だろうか。


 ヴェルナーの前に置かれた芋に、たっぷりとバターがのせられて……溶けながら染み渡っていく。王都の貴族なら粗末と言われる芋だが、故郷の味だった。ヴェルナーの目から零れる涙が、ぽろりとバターの上を滑る。


 幼い頃はこんなにバターをのせることはなかった。バターは遠いロイスナー領の特産で、高額な贅沢品なのだ。さほど裕福ではなかったから、息子には自分の分を足して食べさせた。孫が生まれる頃、ようやく領地は豊かさを享受し始めたのだ。


 たっぷりとのせたバターが溶けて、柔らかく黄金色に光る。嬉しそうに頬張る孫の頬にべったり残るバターを指で拭った。この記憶は優しく、温かく、心の底にしまった一番柔らかな部分だ。復讐のために蓋をした。


 汚い手で触れてはいけないと、記憶をしまい込んで。その蓋が開いてしまった。ヴェルナーの口に入った芋は、あの頃と同じ味がする。孫の声が聞こえた気がして、老伯爵の手が止まった。アブリルが二階で叫ぶ声がする。


「老紳士なら預かってるよ。そこの扉から入っとくれ」


 執事ベニートの到着を知り、胸ポケットのハンカチで涙を拭き取る。もう形も残らないほど溶けたバターが、芋に艶を与えていた。もう一口、とヴェルナーが口に入れた芋はほろりと崩れる。


「旦那様、お待たせいたしました」


 穏やかな声で挨拶するベニートを見つめ、こやつはこんな声だったか? とヴェルナーは目を瞬いた。復讐に巻き込まれたというのに、どこまでも透き通っている。濁ったのは己だけか。


「よかったよ、あんたもお茶を飲んでいきな。まだ芋も残ってるし、さ」


 にっこり笑ったアブリルが、柄の違うカップを置いた。遠慮するベニートの前でお茶を注ぎ、淹れたのだから飲んで行けと笑う。頷く主君に後押しされ、ベニートも席についた。


 ヴェルナーの赤くなった目元や鼻を、誰も話題にしない。アブリルは自分のお茶も用意すると、当然のように同席した。なんてことはない世間話をする。騎士団の隊長をする夫の話、彼から聞いた異教徒のこと……。アブリルには、深い意味のない会話だった。


「ご馳走になった。これはお礼に」


「あら嫌だよ、芋でそんなにもらえるもんかい。教会に寄付しといておくれ」


 差し出された硬貨を受け取らず、二人を外へ送り出す。無理に押し付けるのも失礼に当たると、ヴェルナーは引き下がった。歩き出せば、石畳でかつんと硬い音が響く。義足と杖が鳴らす音がふっと止まる。


「わしは、間違っていたのだな。あの子らの記憶まで血に染めるところであった」


 ぽつりと呟いた言葉は、力強く続けられた決意に繋がる。


「シュテファンと手を組むぞ」


「……はっ、はい」


 再び、かつん……と硬い音が鳴る。信頼できるベニートを従えたヴェルナーの心は、孫の笑顔と声に埋め尽くされていた。あの子達に恥じない生き方をして、誇れる死に方をしよう。そう思えたことに感謝する。


 老シーゲル伯爵の深い記憶が蘇った奇跡は、アブリルを通じた女神の采配だったのかもしれない。救えなかった悲しみを和らげる、小さな光の欠片を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
昔食べた記憶のあるものをもう一度食した時に、昔の思い出が鮮やかによみがえるのはごくたまに自分にもあります。 こんなに深刻ではありませんが、香から食感からぶわっとよみがえるんですよね。 まっとうな方向に…
ウテシュ王国がね…やつらが大体悪い…王兄やローマンが引き起こしたことですから。それを放置していたウテシュ王国すべてが同罪です。
良かった…女神様、ありがとう!!素敵な縁ですね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ