転生令嬢は今日も退屈
アイシャ・グロービス侯爵令嬢、花も恥じらう十五歳。どうやらわたしは、このよくわからない中世の西洋風な世界に転生したらしい。
きっかけはささいなことだった。高熱を出し、意識が朦朧とするなか、本当に唐突に前世を思い出したのだ。前世の自分のことは、名前すら覚えていないけれど、アイドルやゆるキャラが好きだったことは覚えている。
この世界が一体何の世界なのか、小説なのか、ゲームなのか、アニメなのかはわからないけれど、前世の記憶を思い出してわかった由々しき問題が一つ。
――娯楽が、ない。
ゼロというわけではない。音楽や絵画はある。でも、あまりにも高尚すぎて眠くなる。侯爵令嬢なので多少の教養はあるけれど、ハマるかと言われれば難しい。その上侯爵令嬢は、あまり出歩くことをよしとされないので、気軽にお出かけもできない。刺激がないのだ、圧倒的に。
「だからみんな結婚するんだなあ……」
前世の記憶で、昔の人たちがやたら結婚しまくっているのを、そんなに生き急いでどうするの?と思っていたけれど、違う、娯楽が、刺激がないからだ。子孫繁栄ももちろん大事だと貴族令嬢なのでわかるけれど、それだけであんなにポコポコ結婚しまくるのはおかしい。
結婚が、一番のエンタメだからだ。
結婚以上に刺激的なエンタメにあふれた前世では、結婚も恋愛も興味の外だった。そんなことより、推しがかっこいいことが大事だったし、限定のグッズを手に入れることに全力を注いでいた。あのころが懐かしい。
そんなことを思っても、ないものは仕方がないわけで。
この世界にアイドルはいないし、婚約者でもない異性を大っぴらに応援していたら、それこそ精神異常者と思われる。もちろん花も恥じらう乙女なので、どこそこのご子息がすてきらしいという話をご令嬢たちの集まるお茶会ですることはあるが、基本その「すてき」は伝聞情報だし、SNSも動画配信もないから同じものを見てあの言いようのないときめきを共有することが難しい。
結論から言えば、わたしはとんでもなく飢えていた。
「え、婚約!?」
今日は、アイシャの一番の親友らしい、ユリアン・カラット伯爵令嬢と二人だけのお茶会だ。前世を思い出してから記憶があいまいなところがあり、ユリアンと親友と言われてもいまいちぴんとこなかった。ただ、ユリアンを見ると、不思議とわたしの心があたたかくなって、侯爵令嬢という肩書を抜きに、ユリアンのそばは不思議と落ち着いた。
ユリアンは華やかではないけれど、一緒にいると安心できるし、彼女がほほ笑むと場が和む魅力的な女性だ。年齢的にも婚約者がいても不思議ではないし、ユリアンの報告に驚きはしたが、この世界ではこれがふつうなのだと納得する。
「ごめんなさい、少しびっくりして」
「ううん。前に少し話していたけど、アイシャが病気になる前だったもの」
気にしないで、とユリアンがほほ笑む。
「ごめんなさい。わたしったら親友の婚約のこともあまり覚えていなくて……。どんな人か、ぜひ聞かせてくれる?」
「もちろん!」
少し頬を赤らめて、ユリアンが婚約者のパトリック・ナザレ伯爵子息のことを教えてくれた。
年齢はユリアンより二つ年上で、騎士団に所属しているらしい。母同士が知り合いということもあり、何度かお見合いを重ねてこのたび婚約が決まったそうだ。ユリアンは、愛のない政略結婚も覚悟していたそうだが、パトリックはユリアンに心を寄せ、またユリアンもパトリックに心を寄せている。貴族の世界ではめずらしい恋愛結婚のようだった。
「なんてすてきなのかしら!本当におめでとう、ユリアン」
「ありがとう。アイシャに祝福してもらえて、本当に幸せよ」
ユリアンの幸せそうな顔に心から祝福するものの、やっぱりこの世界では結婚が一番の娯楽なのだと思い知る。貴族の義務以上に、結婚以外に刺激的なものはないのだ。退屈な世界に転生してしまったと、わたしは心のなかでため息をつく。
それでも親友の惚気話はそんな退屈にはほどよいスパイスで、わたしは根掘り葉掘りユリアンとパトリックの話を聞き出した。初デートの場所やプロポーズの言葉、結婚式にやりたいことを聞いてみる。幸せそうなユリアンを見るのが楽しいが、やはりその話は前世の小説やゲームやアニメを超えるほどのものにはなり得なかった。
親友に対してこんなことを考えてしまう自分に罪悪感を覚える。
いちどその禁断の果実をかじったらもとには戻れない。――いつだったか、何かの物語で読んだことを思い出す。前世の記憶がよみがえっても、この世界はあまりにも退屈で、前世の知識を使って何かチートができるほどの特異な人間でもないわたしは、ただただ自分が享受していたあふれるエンタメを恋しく思うしかなかったのである。
適度な食事と適度な睡眠と勉強に社交の練習をかねたお茶会。これはこれで平和でいいのかもと思い始めていたときだった。
「そろそろアイシャも婚約者を決めないとな」
晩餐の席で父に言われ、思わずスープでむせそうになる。
「そ……っう、ですね」
「いやだわアイシャったら。これからゆっくり探しましょうねって話よ」
「お父様とお母様が選んでくださる方なら心配ないわ」
嘘偽りなくその言葉がするりと出た。前世の記憶を思い出して混乱するわたしを、両親は笑顔で受け止めて、生きていることを喜んでくれた。もしかしたら記憶を思い出す前のアイシャはいなくなってしまっているかもしれないのに。そう思うと、自然と両親を大切にしたいと思えたし、この人たちが決めた結婚相手なら逆らうまいとも思っていた。
「侯爵家と縁を結びたい人はたくさんいるだろうけど、アイシャだって恋愛に憧れるだろう?」
「ええ……」
「ユリアンさんとパトリックさんのご婚約は社交界でも有名よ。本当にすばらしいことだわ」
「そうね。ユリアンが幸せそうで、わたしもうれしい」
「そうよね〜。やっぱり、幸せな結婚をアイシャにもしてほしいわ」
心臓が、妙にどくどくと脈打つ。
そうして同時に、前世の記憶が、わたしの思考を邪魔する。
恋愛も、結婚も、たしかにすばらしいことだと思う。
でも、わたしが心から望むのは、一体何だったっけ?
「ありがとうございます。お父様、お母様」
わたしはこのモヤモヤをうまく伝えることができなかった。両親はわたしの婚約者候補のことで夢中で、適度にあいづちを打ったりあいまいにほほ笑んだりして、わたしは味気ない晩餐をなんとか抜け出した。
「はあ……やっぱり娯楽がない世界って、恋愛とか結婚とかって話になるのね」
わたしはぼそりと自室でひとりごちる。わかっている、わたしにはどうすることもできない。結婚はいずれしなければならないし、それを避けることは不可能だ。でも、それがすべてという価値観にどうしてもモヤモヤしてしまう。
異世界転生できてラッキーと思っていたけれど、わたしのような流されるまま生きてきたふつうの人間にとってはこの退屈な世界は生き地獄に近かった。
「騎士団に差し入れ?」
「そうなの。一人で行くのは心細いから、ついてきてくれる?」
ユリアンの申し出に、わたしはすぐ頷いた。騎士団といえば、剣の腕が立つだけでなく、見目のいい男性もそろっているという。一部のご令嬢は親衛隊なるものを作って追っかけのようなことをしているとか。仮にも侯爵令嬢がそんなはしたないことをしてもいいものかと思っていたけれど、ユリアンの付き添いなら誰に咎められることもない。
万が一騎士団に推しができれば、この毎日も少しは楽しくなるかもしれない。そんな軽い気持ちで、わたしはユリアンに同行することにした。
騎士団は王都の中心にあり、馬車で数刻である。ユリアンは手作りのサンドイッチを愛おしそうに抱きしめ、心なしかいつもより頬が紅潮している。恋する乙女はいつ見てもかわいいなとほっこりしている間に騎士団の訓練場にたどり着いた。
受付で名を告げると、にこにこほほ笑みながら通してくれた。意外に思っていると、「恋人や婚約者はすぐに通してくれるのよ」とユリアンが教えてくれる。男所帯の騎士団にとって、パートナーは心の潤いになるのだとか。その気持ちはわからなくもない。
訓練場に着くと、他にもご令嬢たちが何人かきており、きゃあきゃあと声を上げている。おそらくどこかの子爵令嬢か男爵令嬢だろう。身分が低いと自由がきいてうらやましい。
「あ!いたわ、パトリックよ」
ユリアンが興奮したように声を上げた先には、赤い髪で体躯のしっかりした青年がいた。仲間に囲まれて楽しそうに訓練をしている。
「へえ、すてきな方なのね」
「ありがとう!アイシャにそう言ってもらえてうれしいわ」
はしゃぐユリアンに思わず笑みがこぼれる。推しがいたときは、毎日スマホを見ながらきゃっきゃしていたなと懐かしく思う。
「ユリアン!」
パトリックはユリアンに気づき、こちらに近づいてくる。パトリックの友人だろうか、もう一人の青年も近づいてきた。
「パトリック、訓練お疲れ様。差し入れをもってきたの」
「ありがとう、うれしいよ。……こっちは俺の同僚で、ニック・シュナイダーだ。シュナイダー伯爵家の次男」
「どうも、ニック・シュナイダーです」
ニックは無愛想な人らしく、あいさつも最低限だ。なんでこっちに来たんだろうか、不思議な人物である。
「パトリック、わたしの親友のアイシャ・グロービス侯爵令嬢よ」
「はじめまして、アイシャ・グロービスと申します。アイシャとお呼びください」
「はじめまして、アイシャ嬢。ユリアンからよく話を聞いています。俺のことはパトリックと」
パトリックは愛想よく笑うと、わたしの手を取ってキスをするふりをした。パトリックのほうは、女性の扱いに慣れているらしい。これくらいのほうが、奥手なユリアンにぴったりだ。
「俺たちこれから休憩なんだ。よかったら一緒に昼食でもどうですか?」
パトリックの申し出はありがたかったので素直に頷く。……ところで、隣でぶすっとした顔のニックも「一緒に」くるの?とは言えなかったけれど。
パトリックに案内されて、わたしたちは裏庭の簡素なガゼボに座った。騎士団の訓練場とはいえ、貴族の子息が多く所属するのでそれなりに設備が整っているようだ。
「パトリック様とユリアンの結婚式はいつなの?」
「来春の予定なの。そのときは参列してくれる?」
「もちろん!楽しみだわ。……シュナイダー伯爵子息様も、楽しみですよね?」
「……ああ」
さっきから何なんだこの男。
さすがに会話に入れないのもどうかと思い、なるべく話題を振っているのに、大体の返事が「ああ」か「そうだ」である。
そんなに気に入らないなら今すぐどこかに消えてほしい。……そんなこと、言えないけれど。
「そういえば!アイシャもそろそろ婚約者を選ぶ時期じゃないの?」
「えっ」
「ニックも婚約者を探しているところなんですよ!意外と二人はお似合いかもしれません」
「ええ……」
なんとなく、ユリアンがわたしをここに誘い出した理由がわかった。パトリックの友人とユリアンの友人がそれぞれ婚約者を探している。この二人がくっついたらすてきじゃない?みたいなところか。結婚が一番のエンタメの世界だとこういうこともあるのか。結婚や恋愛より推し活!を言えた前世が恋しい。
それに、二人には申し訳ないが、ニックとわたしでは婚約は無理だろう。彼はずっとふてくされた顔をしているし、こちらを見ようともしない。
「そうだわ、よければ四人で出かけない?きっと楽しいわ」
ユリアンはニックの反応が見えているのかいないのか、とんでもない提案をしてくる。思わずニックを見るが、目を逸らしたままうんともすんとも言わない。
こいつ、まじか。
「でも、えっと……シュナイダー伯爵子息様もお忙しいでしょうし」
「そんなことないよなあ、ニック!」
そうしてこの失礼な男は、わたしのほうは一切見ることなく、こくりと頷いた。
騎士団からの帰りの馬車で、わたしは思い切ってユリアンに告げる。
「ユリアン、あのね?幸せのおすそわけはうれしいんだけど……わたしとシュナイダー伯爵子息様は無理だと思うわ」
「え、そう……かしら」
ユリアンが困ったように首をかしげる。逆に、どう解釈したら大丈夫だと思えるのか。
「あの方、わたしのほうはまったく見ようともなさらなかったし、迷惑そうだったじゃない?」
「男性なんてあんなものよ。きっとアイシャがきれいで緊張してたんだわ」
……これが、ユリアンじゃなければただの嫌味なんだれど、ユリアンは本気でわたしのことが「きれい」に見えているらしい。
恋をすると人は変わると言うが、ユリアンは真実を見る目が曇ってしまったのかしら?
退屈だった日常が、ほんの少し動き始めていた。
こうしてあれよあれよという間に、四人で出かける日になってしまった。近くの湖までピクニックである。映画やカラオケがあるわけではないので、集団でデートとなればピクニックが定石だ。今日も大して盛り上がらない会話に時間を使うことになると考えれば憂鬱だが、婚約者を探さなければいけないのも事実である。
それに、わたしにもひとかたの良識くらいはある。さすがに友人とその婚約者の不興を買うようなことはしたくない。今回のピクニックを終えて、ニックとくっつけようとしないでと強く言えばこれ以降は大人しくなるだろう。
わたしたちはシュナイダー伯爵家の馬車に乗り、湖まで向かう。意外にも、ニックのほうが馬車を出すと申し出たらしい。最低限の礼儀は持ち合わせていたのかと驚く。
馬車の中でも、パトリックとユリアンがいろいろ話を振ってくれるが、ニックは相変わらずで盛り上がる様子もない。それでも二人はどういうわけか懲りない。結婚が最大の娯楽になると、全員恋愛脳になる呪いでも発動するのだろか?わたしはただただ気まずくて、ひたすら相づちを打つしかなかった。
目的地に着いて、景色を見ながらゆっくり歩く。景色に集中しているふりをして、なるべく話しかけられないように三人からはかなり遅れて歩いた。ニックは、わたしがいなければ二人と笑顔を見せて話しており、どう考えても邪魔者なのはわたしである。
「帰りたい……」
三人には聞こえないようぽそりとつぶやく。
湖に近づくと、ボートがあり湖面の真ん中までボートで行けるようだ。ユリアンが目をきらきらさせて乗りたいと言うので、わたしはこのまま近くのガゼボで待っていようと思ったのだが、パトリックとユリアンの攻撃は続く。
「アイシャ嬢はニックが漕ぐボートに乗ってください」
ええ……。わたし、これ、死んでしまわない?湖に落とされたりしない?
「いや……あの………シュナイダー伯爵子息様にご迷惑だし、わたし別にボートに乗らなくても平気よ?」
「ご迷惑なんて、そんなことないわよ!ねえ、ニック様?」
ニックは聞いているのかいないのか、相変わらず目線を逸らしたまま「ああ」とあいまいな返事をする。
それは否定なのか肯定なのかどっちだよ!?
わたしの疑問はよそに、パトリックとユリアンに促され、渋々ニックの漕ぐボートに乗った。
「……」
「……」
ニックは相変わらずの仏頂面だが、意外にもボートからわたしを突き落とすことはなく、静かにボートを漕いでくれている。とはいえ、パトリックとユリアンがいなければ何一つ共通の話題のないわたしたちの間に会話はない。わたしは現実逃避するように、ぼんやりと景色を眺めていた。
こんなときスマホがあればなあ……。
「……アイシャ嬢」
「は、はい!?」
ニックに突然名前を呼ばれ、わたしは淑女にあるまじき声を上げてしまう。そもそもなんで下の名前?わたし、許可したっけ?
「あの、ユリアン嬢から聞いたんだが、あなたは記憶がなくなっているとか……?」
高熱を出して前世の記憶を思い出したことをきっかけに、熱を出す数週間ほどの記憶があやふやになっていた。幼いころからの知り合いはしっかり覚えているが、その数週間であった出来事は今もあいまいである。
「ええ……」
「じゃあ、俺と会ったことも覚えてないのか?」
「えっ」
咎めるようなニックの言葉に、わたしは心から驚く。わたしはニックと以前会ったことがあるのだろうか?
「あなたが熱を出す数日前の夜会で、偶然言葉を交わしたんだ。お互い、婚約者を探していると」
「はあ……そうでしたか。それはそれは」
「俺は、あのときあなたと話せてうれしかったのに、あなたはそれをすっかり忘れてしまったのか」
ニックがため息をつき、わたしは脳内が「?」でいっぱいだった。忘れていたことは申し訳ないけれど、別に好きで忘れたわけではないし、責められることってある?
「俺を見ても思い出さないし……」
「いや、あの、わたしが言えた義理じゃないですけど。思い出すような特徴ってないですよね?」
「……え」
「あなたがとてつもなく美男子でとか、とてつもなく優しくてとかあれば、わたしもがんばって思い出そうと思うんですけど」
「アイシャ嬢……?」
「あなたにとっては再会か知らないですけど、わたしからしたら初対面であんな嫌な態度取られたら、思い出さなきゃって気も起こらないです」
「いや、それは」
「というか、なんですか?その話ししてどうしたいんですか?俺が傷ついたから謝れってことですか?まあ、謝るのはいいですよ。……大変申し訳ございません」
わたしは深々と頭を下げる。
「そんな、謝ってほしいとかじゃ」
「じゃあどうしてほしいんですか?申し訳ないですけど、今のわたしはシュナイダー伯爵子息様はまったく好みではないですし」
「……」
「えっと、お手数なのですが、もう戻りませんか?」
「……はい、すみませんでした……」
ニックは呆然とした様子で、ボートをUターンさせる。逆恨みされて落とされることを覚悟していたが、さすがにまともな教育は受けているらしく、感情に任せてということはなさそうだ。
……いや、感情に任せて、意味不明なことは言われたけれど。
ボートが無事岸辺に着くと、わたしはさっさと降りてベンチに座りユリアンとパトリックを眺める。ニックはベンチに座ることもなく、わたしをちらちら見ているがもう何も言ってこなかった。
やっぱり、恋愛は退屈だ。
「ねえねえアイシャ、どうだった?」
パトリックとのデートをたっぷり楽しんだユリアンが、わたしにこっそりと耳打ちする。パトリックとユリアンはわたしたちが夜会でいちど出会っていることを知り、運命を感じたのかもしれない。こんなことで運命を感じていたら、わたしはどれだけ運命の人と出会っていることになるんだと心の中でため息をつく。
しかし、わたしは努めて明るく、にっこりと笑みを浮かべ、二度とこんな事案に巻き込まれないようこう答えた。
「すっごく、退屈だったわ!」