第76話 悪い子
頭の上に置かれた手の重みで、顔が沈みました。
「ぁ――」
うめくような音。
「かぁ――」
カスレた音。
「りぃ――かぁ」
え?
「ぁ――ぁえ――たぁ」
それは――言葉?
手の重みがなくなり、私は顔を上げました。
お人形には、顔がありません。
顔がなくても、それは――。
「ぃ――き――ぇ」
人形は自分の胸元に手を勢いよく突っ込むと、黒い何かが大量に飛び散りました。そして、その手を胸元から離すと、何かを持っています。
それは、異型な形をした黒い、真っ黒い石。
それは禍々しくも脈動しています。
それを――握り、潰しました。
すると、人形の身体は崩れだし、黒い液体となります。
私は――。
私は、知っている?
でも、知っているって何を?
理由のわからない感情が押し寄せ、私は自分の胸を押さえ込みました。
息が。
息が苦しいのです。
本当に苦しくて、私は膝をついてしまいました。
黒い液体が、衣類に染み込んでいきます。
それでも、動けそうにありません。
つらい。
つらくて、胸が痛いのです。
でも、何がそんなにつらいのか――私には分からなくて、どんなに掻きむしっても、苦しみの先までは決して届かない。きっとこの痛みは、身体の外からでは取り出せない――そんな、気がしました。
「私はいつまで、気づかないなふりを続けるの?」
後ろから、声がしました。
いつのまにか、辺りは暗闇。
だから、何も見えません。
でも、振り返った先にいる私? だけは、普通に見えるのです。
そもそも、もうひとりの私がいる時点で――それは、おかしな話? な、気がしました。
?
??
「私は、何よりもいい子で居続けることが大事だった」
そう言って、私? が、一歩、二歩、ゆっくりと――足を動かしました。
「だって――そうしなければ、私は、いらない子だったから」
何を――言っているのでしょうか?
「……こっちの世界でも、あっちの世界でも、いい子でなかったなら、私なんて――すぐに捨てられていたもの。だから、相手の悪意には気づかないふり。みんないい子なら、きっと私は大丈夫」
私が、私の前に膝をつき――私の顔を眺めてきます。
「でも、全然大丈夫じゃなかった。あの時、私は自分を誤魔化しきれなかった。だから、私は無意識に力を使い――記憶を誤魔化した」
わかりませんわかりません。
あぁ、きっとそれは――わたしがばかなこだから。
「でもね――誤魔化してはいけなかった」
??
「だってあの子は――誰よりも、私のことを大事に思ってくれていたんだから」
わかりませんわかりませんわかりません。
「旦那様の優しさを、私は振り払うべきだったんだよ?」
でも、わたしは――。
「逃げるべきではなかった」
だって、それは――。
「全て、終わったと思った? あれで、もう大丈夫だと思った?」
そう――だって、すべてをこわしたんですから。
「でも、少し考えれば分かったこと。だって、あれを壊したぐらいで、すべてが終わるはずがなかったのだから」
わからないわからないわからない。
「分かっているから、そうやって耳を塞ごうとする。でもね、残念ながらそれは無意味だよ。だって私は私だから。そして――私は私が大っきらいなの。だけどね、私は私が凄く大事。それってすごく矛盾していると思わない?」
こえがひびいている。
そしてあしおとが。
きっと、それは――わたしのからだのなかから。
「本当、醜いよね、私は。だから、私は悪い子だ。お嬢様の言うように、私はなんて悪い子なんだろ」
――――。
わたしのてがのび、わたしのひたいへとふれる。
「また、そうやって逃げようとする。でも――いいよ。昔みたいに全部嫌なこと、私に押し付ければいい。だって、私は私だから。悪い私がいて、良い私がいる。悪い私は嫌われてしまうけれど、良い私のことは――好きでいてくれるのかもしれない」
そういって、わたしがわらう。
「あぁ、それはなんて――都合のいい夢なんだろ?」
わたしが――ないているようにみえた。
でも、それはなんで?
だって、わらっているのに。
ふれたてのひらから、ひたいへと、まりょくがながれていきます。
すると――すこしずつ、いしきが――――。
――――――。
――――。
――。
◆ ◆ ◆
私は、顔を上げた。
「ありえない! こんなの、ありえない!」
あぁ、煩わしい声。
「人形の分際で、勝手に動くわけがない!」
私は、この声が嫌いだ。
だってこの声はあの子たちを傷つけたから。
そいつは、あの子のいた場所に向かって、頭を抱えている。
「あ、あれは、聖女のなりそこないとはいえ――現存の、最高の兵器だったんだぞ!」
目が、合った。
「お前――その額の印――」
驚いた顔をし、ゆっくりと頭から手を離した。
「いや――ありえん。そんなことは、ありえん!」
男は私に杖を向けた。
だけど一向に、マナが杖の先端に集まる気配はない。それはありえないといった感じで、男は自分の右手に視線を向けた。
「無駄だから」
と、私は言った。
目の前の相手は眉を顰める。
「この空間にある、マナは全て私のもの」
目だけが、ギョロギョロと動いている。
「き、貴様――何をした!」
「空間と私を繋いだだけ」
相手が息を呑んだのが――自分のことのように感じられた。
「あなたと私の距離はざっと2mほど」
私はゆっくりと、彼に近づいた。
「今――私から半径3mは、私の体の中と同じ」
男は、口を小刻みに揺らした。
「その中で、あなたに自由はない」
私は彼の心臓に向かって手を伸ばした。彼の胸に触れる手前で指を止め、軽く握った。
男が顔を歪め、苦悶の声を上げる。
私は――それが、凄く不愉快だった。
そのため、マナで彼の口を閉ざした。
私の手は何もない空中を掴んでいるだけ――でも、その動きと連動するように、彼の心臓が潰れていく。何も触れていないはずなのに、私の手には不愉快な感触がつきまとう。
冷や汗が流れる。
耐えられずに、手を緩め――彼から少しだけ距離を取った。
彼が苦しんでいることがよく分かる。そう――手に取るように。
私は――悪い子だ。
だから、彼を * * * ないといけない。
* * して、そして――あの子の無念を晴らすのだ。
目の前にいる男は、私たちがどれだけ止めてとお願いしても、決して止めてくれなかった。
だから、彼と同じことをするだけだ。




