第5話 私とお嬢様の至福のティータイムです!
私はうまく気持ちを切り替えることができたと思います。
ランス様のことは、大変申し訳ありませんが一旦、忘れる事にしました。そうしなければ、仕事に支障が出てしまうからです。あの方のことは、全ての仕事が終わったあと、じっくりと考えることにしました。
お嬢様へ会いに行く前には鏡の前で笑顔の練習を行うことにしました。そして、気合を入れるため、自分の両頬を思いっ切り叩きます。思いのほか、いい音が鳴ります。つまり、いいことです。かなり、痛いですが、これも全てはお嬢様のためなのです!
「リッカ、頭は大丈夫?」
どうやら、同じメイド仲間のミオさんに心配をかけてしまったようです。
しかし、仕方がありません。
これも全て、お嬢様のためなのですから!
私の作戦は上手くいっております。
お昼のお食事の時間はいつも通り、和やかに時が過ぎます。
ティータイムは、お嬢様とお庭を散歩したあと、庭園にあるガゼボで行います。
今日は天気もよく、お花たちも喜んでおります。
本来、椅子に座り――お茶とお菓子を楽しむのはお嬢様おひとりの特権です。しかし、昔から私も席に付き、お嬢様と二人っきりのお茶会を楽しみます。
たかがメイドがお嬢様と一緒などと――そんなのは本来ありえないのですが、旦那様は許してくれています。本当に、心の広い方です。感謝しかありません。
「リッカは、本当に美味しそうに食べるのね」
お嬢様の言葉で、お菓子に夢中となった自分に気づきます。そんな愚かな私に、お嬢様は優しげに微笑んでくれます。
「も、申し訳ありません。油断しておりました」
私は立ち上がり、頭を下げました。
気をはらねばならぬ立場なのに――私は、なんて情けないのでしょうか。これでは、メイド失格です。どうやら、先程の頬の痛みだけでは足りなかったようです。
「リッカ、いいから座りなさい」
「し、しかし――」
「二度も同じことを言わせないでね」
「申し訳――」
「謝るのも禁止」
「は、はい」
私は椅子に座ります。
恥ずかしさで、今すぐにでも逃げ出したい気分です。
「お菓子、食べないの?」
「た、食べません」
「あんなにも好きなのに?」
「もう、十分いただいたので大丈夫です」
「本当に?」
お嬢様は手に持ったクッキーを揺らして見せます。
「ほ、本当です」
嘘です。本当は、目茶苦茶食べたいです!
それを分かっているからか、お菓子を揺らしながらニヤニヤとしています。
何だか、今日のお嬢様は少しだけ――意地悪かもしれません。
私の口元にお菓子を近づけてきます。
「リッカ、これは罰。だから、お菓子を食べなさい」
「ば、罰ならば仕方がありません」
そう言って、お菓子を手に取ろうとすると、叱責を受けてしまいます。
「駄目よ、リッカ。手を使って食べたら駄目」
「え? でも、それでは食べられませんよ?」
「私が持っているから、口だけで食べなさい。最後まで、綺麗によ」
私は戸惑ってしまいます。このようなことは、初めてですから。
「もしかして――本気で怒られていますか?」
「そんなことないわ」
「本当でしょうか?」
「しつこいわよ、リッカ」
「す、すみません」
「いいから、ほら。食べなさい」
お菓子が、さらに口元へと近付きます。
「ほ、本当に、食べますからね」
「いつでも、構わないわ」
私は意を決して、目の前のお菓子を一口だけいただきました。
その瞬間、口の中にバターの風味が広がり――私の心を癒してくれます。
「リッカ、美味しい?」
お嬢様は凄く嬉しそうに笑っています。ここまで上機嫌なのは珍しく、私はつい、首を傾げてしまいました。
「えっと、はい。凄く美味しかったです。お嬢様、ありがとうございます。後は、自分でいただきますので」
「駄目よ」
「え?」
「私、言ったわよね。最後まで、綺麗に――と」
「し、しかし、このままではお嬢様の指に触れてしまうことになりますから!」
「嫌なの?」
「な、何がですか?」
「私の指に触れるのが。やっぱり、汚いわよね」
先程までかなり楽しそうでしたのに、私のせいで悲しげな顔になってしまいます。
私の前に差し出されたお菓子が、離れていきます。
「そ、そんなことはありません! お嬢様の指は大変に美しく、可愛らしいです。汚いなんて、そんなことは絶対にありえませんから!」
「……本当に?」
「本当です! お嬢様、私を信じてください」
「じゃあ、食べてくれるの?」
上目遣いのお嬢様、可愛すぎて卑怯すぎます!
「やっぱり、嫌?」
「そんなことありません!」
お菓子が再び、差し出されます。
「で、でも――私の口は汚いですよ?」
「私は構わないわ、リッカ」
私は恐る恐る、お菓子を小さく――ついばみます。
「うふふ、リッカ、顔を赤くして、本当に――」
私の唇が、お嬢様の指に触れます。
目線を上げ、お嬢様の顔を見ます。
何か、いつもと違います。
今まで、見たこともないような笑みを浮かべています。私は、少しだけ――怖い、と思ってしまいました。
「リッカ、まだ残っているわよ」
私は、舌を出して――お嬢様の指の中にあるお菓子を取って食べました。
「いい感じよ、リッカ」
褒められると、嬉しくなってしまう私は――つくづく単純だと思います。
「でも、まだ駄目。私の指を舐めて綺麗にしないと」
「え? でも――」
「嫌なの?」
そんな悲しそうな顔はなさらないでください!
私は一生懸命、お嬢様の指を舐めて綺麗にしました。でも、本当に綺麗になるのでしょうか? 逆に汚しているような気がするのですが……。
しかし、上目遣いで確認したお嬢様は恍惚な表情? をされているので、これで良いのかもしれません。
お嬢様の指を舐め終えたあと、もう1枚――お嬢様の手に追加されました。
「さぁ、リッカ、もう1枚あるわよ」
そう言って、お嬢様は私の頭を撫でました。
少し――躊躇する気持ちはありましたが、お嬢様の嬉しそうな顔を見てしまえば、私は拒否することなどできそうにありません。
私はお嬢様が求めるまま、彼女の手にあるお菓子を口にしました。
「リッカ、もういいから。このままだと、私の身が持ちそうにないわ」
そう言われて、私は身を乗り出していた体を元に戻します。
お嬢様の嬉しそうな顔を見て、私はこれで良かったのかなぁーと思いました。
ただ、一瞬だけとはいえ――お嬢様のことを、怖いと思ってしまったことだけは、とても申し訳ない気持ちとなります。
「……何だか、自制が効かなくなってきたわね」
お嬢様は小声で呟いたあと、自分の指を眺められます。私の唇と舌が舐めた指を。
私はすぐに、ハッとしました。
「す、すみませんでした! 今すぐ、手を拭きますね!」
私は席を立ち、ポケットの中にあるハンカチを取り出します。
「別に構わないわ。それより、今日のお茶会はもうこれでお終いにしましょうか」
「分かりました。それでは、お部屋にお戻りとなりますか?」
「部屋にはひとりで戻るわ。リッカは、ここの後片付けがまだ残っているでしょ?」
「お嬢様を送ったあとでも全く問題ないですよ」
「それでは、2度手間になるでしょ。リッカは気にせず、片付けを済ませなさい。私はひとりで帰るから」
「お、お気遣いありがとうございます」
「別に、構わないわ。それと、1時間以上は集中したいことがあるから、部屋の鍵はかけておくわね」
「分かりました、それでは――その間、お嬢様のお部屋へ近づくのは止めておきます」
「ええ、よろしく頼むわ」
そう言って、お嬢様はひとりでお屋敷の方に向かわれます。
今まで何度も、お庭でお茶会をしてきましたが、今回のようにひとりでお屋敷へお戻りになるのは初めてのことです。
そもそも――お菓子を手づかみで食べさせられたのも、今回が初めてのことではありますが。
私は首を傾げたあと、人差し指で自分の唇にふれます。
しばらく、その指を離せないまま――立ち尽くすこととなりました。