02 地獄の始まり
十八歳の迅と十六歳の彩は、両親を失い、二人きりで暮らしていた。頼れるのは兄妹だけ。親が残した一千万円を元手に、迅は株式トレーダーとして稼いでいた。
日中、パソコンの前に座る迅は、画面いっぱいに広がるチャートを凝視している。株式トレードは簡単に思えた——安く買って、高く売る、または高く売って安く買い戻す。それだけのはずだった。迅はローソク足や移動平均線の意味もわからず、経済や企業の知識もないまま、トレードの世界に飛び込んだ。
案の定、開始から半年で九百五十万円を失い、手元に残ったのはわずか五十万円。迅は画面の前で肩を落として、机に拳を叩きつけた。「何が簡単だ……」と、声にならない嘆きが漏れた。株式の世界は甘くなかった。
夜になると、迅は寝る間も惜しんでネット動画やブログを読み漁り、勝っているトレーダーたちの戦術を徹底的に研究した。薄暗い部屋の中、彼の指がキーボードを叩く音だけが響く。だが、連日の連敗は彼の心を蝕み、自暴自棄になりそうだった。
そんな彼を救ったのは、彩の一言だった。
夕食の席で、彩は無言の迅にちらりと視線を向け、ぽつりと静かに言った。「お兄は、俊敏だから、逃げ足早そう。下落したときに、損害が少なくすることができるので、負けなければ、結果、勝ちにつながると思うよ。大丈夫だよ! 絶対大丈夫!」その一言が、まるで沈みかけた船に射し込む一筋の光のように迅の心に響いた。
彩の真剣な眼差しに促されるように、迅は小さく頷いた。「そうか……そうかもしれない」。その後、迅は大きな損失を避けながら、小さな勝利を重ねるようになった。彩がいなければ、迅はこの厳しい株式市場の中で生き残ることなどできなかったに違いない。
次第にトレードは軌道に乗った。集中する迅の目は、利益のチャンスを見逃さず、カチャカチャとマウスの音を立てて着実に資産を増やしていった。気づけば、再び一千万円にまで回復していた。
それから少しずつ、生活にゆとりが生まれ、穏やかな時間が二人の笑顔を増やしたのだが――。
* * *
新宿、歌舞伎町。
新宿・歌舞伎町の夜。
その日は彩の誕生日だった。久しぶりの外食に、二人の笑顔が自然とこぼれる。選んだのは、我が家の外食隊長である彩の決定で小さな焼肉屋。店の雰囲気は古びていたが、カルビが絶品だという情報を聞きつけたらしい。
彩の食に対する貪欲さは、毎回脱帽だ。店をはずしたことがない。うまいモノを口に入れるためには手間を一切惜しまない。百件の候補店を調べ上げ絞ったようだ。十六歳の女子高生は恐るべしだ。
食事を終え、二人は夏の生暖かい風に吹かれながら、新宿駅に向かってだらだらと歩き出す。狭い路地に差し込む街灯の光が、汗ばむ肌をほんのりと照らしている。そんな時、後ろからすっーと一台の白いワゴンが近づいてきた。
車が止まり、助手席の窓がビィーンという音を立てて開く。タンクトップ姿の男が顔を出した。街灯に照らされた額の蠍の刺青が怪しく光っていた。男はゆるく微笑みながら。声をかけてきた。
「なぁ、にいちゃん、ちょっと道を教えてくれないか?」
迅は彩をちらりと見て、守るように少し前に出た。一瞬警戒しながらも、自然を装って助手席に近づく。
運転席の男に向かって口を開こうとした瞬間、後方のスライドドアが開き、二人の巨漢の男が飛び出してきた。男はあっという間に迅を抑え、彩を車内に引きずり込んだ。迅もまた、その強引な手に捕まり、抵抗する間もなく車内へ。
迅は手足をガムテープでぐるぐる巻きにされた。口もガムテームで開かない。そのまま荷台へと転がされた。荷台は薄暗く工場でよく嗅ぐ油の臭いがした。普段は重工具を積んでいるのだろうか。
その前方、運転席のすぐ後ろには三人がけのベンチシートがあり、彩はそこに二人の巨漢の男にぴったりと挟まれるように座らされた。
やがて、車はゆっくりと動き出した。荷台に転がされた迅は、背中に感じる硬い床の冷たさと、ブーっといったエンジンの低い振動を感じた。
外は暗く、車窓から見える街の明かりが次第に遠ざかっていく。どこか遠い世界に引き込まれていくような不安が迅の胸を締めつけた。
ベンチシートの両側に座っている二人の男の手は、彩のミニスカートから出ている生足の上におかれ、二人とも無言で前後にゆっくりと動かすようにしてさすっていた。彩は無抵抗で小刻みに震え、声を押し殺しながら泣いていた。
車内の空気は重苦しく、くちゃくちゃといったガムを噛む不気味なリズムだけが車内にこだましていた。
十分ほど走った後、車はガランとした工事現場に到着。ライトが煌々と照らし出す場所には人影はなく、ただ機材やコンクリートが無造作に置かれている。スポットライトの光が刺すように強烈で、まるで舞台の上に引き出されたような感覚が二人を包んだ。
ここが彼らにとっての“宴会場”、そして彩と迅にとっては地獄の幕開けの場所となったのだ。