深淵の追跡者-4
男は拳を収め、立ち上がった。
「今日はこのくらいにしておこうか。」
男はそういうと立ち上がり、龍二を見下ろしながら笑顔を見せる。
「またね。」
と言い、男は踵を返し去っていく。
男が去った後、龍二のその顔には汗がびっしりと浮かんでいた。
息も荒く全身で呼吸をしている。
(なんなんだ、いったい!?)
あの男はいったい何者なんだという疑問に頭は埋め尽くされていた。
男から放たれる圧力は尋常ではなかった。
明らかにただの一般人ではない。
それもかなりの実力者だろう。
極道だったころの自分に似ている。
そんな人間がなぜ榊原翼に襲い掛かってきたのか?
この榊原翼という人間は人畜無害な一般の高校生だ。
白昼堂々、いきなり殴りかかられるような生活などしていない。
ではなぜ突然の襲撃を受けたのだろうか?
一つ心当たりがあるならば、悠亜を助けたときに足を叩き折ったチンピラの仲間。
だが、これも疑問が生まれる。
もし、あの出来事の報復ならば、もっと痛めつけられこの程度で済むはずがない。
徹底的に殴られ半殺しの目にあっていただろう。
ではあの男は何者なのか?
謎に思えば思うほど龍二に怒りがこみあげてくる。
喧嘩で負けるなど、龍二の人生でありえない。
一発でも拳を喰らわせてやろうと思い、起き上がるがすでに男の姿はない。
通り過ぎる人々は、怪訝な顔で龍二を一瞥しながら足早に歩いていく。
まるで何もなかったかのように。
龍二はもう再び地に寝転ぶ。
両腕が腫れ上がり痛みすら感じない。
大の字になり空を見上げる。
蘇る記憶。最後に頭を撃ちぬかれた氷室龍二としての最後の記憶。
まさにこんな状況であった。
ただ違うのは見える景色。
暗闇の倉庫の天井が絶望を確信させたあの時と違い、今は夕暮れの赤い空。
龍二は思わず空に手を伸ばす。
意味などない。ただ、それをすることで榊原翼の体を借りて生きていることを実感させられる。
(また来るって言ってたよな、あの男…。)
龍二は様々な謎を抱えた中、真っ赤に燃える空を掴みながらこの体に宿った意味を真剣に考えていた。




