明日への魔法
魔法というのは難しい。
また作業台を消し炭にしてしまった。先日などは、生クリームを造り出すはずが生身のクレーマーを造り出してしまい、間違えて作り出したことに対して二時間くらい罵声を浴びせられてしまった。
「あたし、やっぱり才能ないのかな……」
少女が呟けば、親友ローゼは軽く叫んだ。
「マコが馬鹿でグズでノロマで、魔法の素質なんてこれっぽっちもないことなんて、今さら確かめるまでもないでしょ!」
「ひどい……」
「でも私はアンタと一緒に卒業するんだ! だからアンタは死ぬ気で頑張んなさい!」
ローゼはもう何日も、夜中まで彼女の課題に付き合っている。マコはこのままでは三年生に上がれない。
「あと一ヶ月しかないんだから、せめて課題の一つくらいはクリアしてくれないと!」
「わかってるよ……」
「わかってるなら「才能がない」とか言って手を休めてる場合かぁぁぁ!!!!」
実際、魔法学校においての留年は、退学に近い意味を持つ。「あなたは素質がないから、これ以上の課程は踏む必要がない」という学校からの通告であり、一度留年した者は次年も留年するし、卒業もできないのが暗黙のルールとなっている。
「だからぁ! この魔法は薬指と人差し指をくっつけながら、中指でこう! 小指を躍らせながら、それを三回繰り返すの!」
そんなの指がつるよ……手元が不器用なマコが、異生物を眺めるような目でローゼの右手を見ている。真似をしてみるが、彼女の方には次々に花が咲き乱れていくのに、自分のほうはミミズがのたくったような茎が怪しげに蠢くのみだ。
「わかった。生物学は諦めよう。このままじゃ、先生に見せられるレベルになるまで一世紀はかかるわ」
「……」
マコはつらい。なにより、ローゼがこんなに付き合ってくれているのに、その期待に応えてあげられないことがつらい。
そんなマコにも、好きな人がいる。
一つ年上、三年生のフィック=エイブラムズ。軽薄ではない素地と落ち着いた笑顔が魅力の好青年である。
ただ、あまり自分の気持ちを表現することが得意ではないマコにとっては、お堀の向こうにある生垣のそのまた向こうで輝いているだけの存在であった。
しかたないからおまじないをする。
金色の折り紙に二人の名前を書いて、くっつくように折りたたむ。それをいつも肌身離さず持ち歩くのだ。
魔法学校の生徒なのだから、これに魅惑の魔力を込めることもできる。だけど……
(絶対できない……)
彼女は折り紙を胸に抱きしめて深く思う。
まかり間違って、彼に久遠の呪いがかかってしまったりしたら……。
本来ありえないことでも、自分の魔法ならやりかねない。
それが怖くて絶対にできないし、もちろん誰かに手伝ってもらうことなんてとんでもない。最奥手な彼女は、彼のことを親友であるローゼにすら明かせないでいた。
だから彼女のほのかな想いはずっと、折り紙に折りたたまれたまま、胸の内にある。
フィックとの接点は、彼女が劣等生が故であった。
魔法学校は性質上、大気中に魔力が停滞しやすく、それが魔法使用時に共鳴するとさまざまな誤作動を起こすため、日に一度、それを散らして空気を澄ませる作業を行う。
この作業は在校生のアルバイトとなっており、最終下校時刻である二十時から、仕事を請けた学生達が校内外を回るわけだが、マコはいつも補習や居残りでの実習を行っているため、彼に出会える機会があった。
「下校時刻だぞ」
声をかけられ、ハッとなって立ち上がり、掛けかけの魔力が暴走して、何かを壊す。そのたびにフィックは無言で指を動かして、それを直しては、
「気をつけて帰れよ」
と去ってゆく。
彼女はその背中を、見えなくなるまで見送るのだ。
それだけの接点。それだけで……ちょっと繋がった気になっている。
なお、名前だけはこっそり調べた。表面が風も吹かぬ水たまりのような性格でも、水面下ではとても精力的に活動する少女なのだ。
だから、マコはショックだった。
「三年のね、フィック=エイブラムズって人」
ローゼは、名前を口にするだけで楽しそうだ。
「かっこいいんだよー。声とかも、聞くだけできゅんきゅんした」
「へぇ……」
進級の考査が終われば春休みだ。三年生の彼は卒業であり、心情としてはその前になんとか告白をして、気持ちを繋ぎ止めたい。
と、まさに……マコ自身が思っていることを……ローゼが代弁したのである。
「あ、もちろんマコのことは引き続き手伝うよ。だから私のことも応援してね」
「うん……」
うなずいてしまう。マコは、言い出せない。
ローゼはマコ以上に精力的だった。
マコのタイムリミットが一ヶ月なら、ローゼのリミットも同じなのだ。進級、卒業……空色のフレアスカートを揺らす少女たちは、それぞれの青春をひた走っている。
マコはその真っ青な道を走りながら、一本向こうの、ローゼが走っている道が気になってしかたない。今日もまた魔法に失敗しながら、何かを壊しながら……自由に羽ばたいて彼の元へと向かっていく鳥を、ただ……見つめている。
その姿がいくらうらやましくても、自分はまず進級しなければならない。進級を本気で心配して、いつも付き合ってくれる友達のためにも、わがままを言っていられなかった。
実は先日、マコは担任マルクとの面談を行っている。ローゼが設定してくれたもので、彼女も隣に座っていた。
ローゼはマコが魔道に関してひたむきであることを切々と語り、海より深く頭を下げて、情状酌量を願い出た。
「おねがいします! まじめさって何より大切だと思うんです!」
「……」
マコの方を向く担任。うつむいて黙ってしまっている彼女は、確かに実技は酷くても教養の成績はトップである。まじめさは誰もが認めるところだ。
しかしその上で、ここは魔法学校なのだ。例えば料理学校でいくら野菜に精通しても、料理ができないのでは太鼓判が押せない。それと同じだった。
が、あまりに懇願するローゼに、マルクも最後にはうなずいた。その上で彼は提示する。
「何か一つでいいから、実技で俺達教師を驚かせてくれ。そしたら俺が上に掛けあってやる」
「自由課題でもいいですか!?」
「いいだろう。マコ。どうなんだ?」
「……」
「必ずやります。いいぇ、やらせます! よろしくお願いいたします!!」
指導室を出て二人。並んで、しばらく無言で廊下を歩く。
「ローゼ」
うつむいたままのマコ。
「ありがとう……」
ローゼは笑顔だ。
「いいんだよ。魔法ろくに使えなくたって魔術師稼業はできるんだから」
「……」
実際、魔法知識を生かした仕事ができる。免許さえあれば、魔道具を取引することもできるのだ。
マコの故郷は貧しく魔術師さえいない。微々たる量でも魔力を備えていた彼女は、故郷の期待を一身に背負って送り出された存在であった。
留年をしてドロップアウトしました……では、おめおめと帰ることすらできない。
「でも……どうしたらいい?」
「なに言ってんの。アンタのやることは一つ。高等魔法を完成させる。それだけよ」
「無理……」
「お前は本当に魔法学校の生徒かぁ!!」
ローゼの剣幕にマコは思わず鼓膜を塞ぐが、その両手を取って、彼女は言った。
「とにかく進級するよ! 手伝ってあげるから!」
「ありがとう……」
マコは、目頭を熱くした。魔法の素質もない自分に、こんなにも親身になってくれる人がいる。
充分じゃないか。その幸運が、幸運のすべてで構わない。
「ローゼ」
「ん?」
「フィック先輩とうまくいくといいね」
「あはっ」
ローゼは、その名前が出てきただけで色めきたつ。
「ありがと!」
はしゃぐ彼女から、マコは思わず目をそらしていた。
マコはローゼとフィックの仲を取り持とうとまでした。
一人残る実験室に、最終下校時間になると現れるフィック。しかし今日は彼の「下校時間だぞ」で、何かを壊すこともない。どこか冷静なマコは、振り返ると言った。
「すみません。あの……今度友達に会って欲しいんです」
自分のことだと思っていた時は、あんなに引っ込み思案だったのに、他人のこととなると、するすると言葉が出てくる。
「その子、先輩に憧れてて……もしご迷惑じゃなければ……」
「へぇ、うれしいな。どんな子だろう」
「とても優しい子です」
こんなに話したのは初めてだった。彼の、いつもとは違う声を聞いて、うれしいけれど耳が痛い。
「連絡先を聞いてもいいですか……?」
心とは裏腹に、彼を自身に通ずる道とは別の道へ誘ってゆく。それはそのまま、ローゼの歓喜の声に変わっていった。
勿論、マコの心は沈んでいく。
そうしているのだから当たり前なのに、ローゼに心を開いていく彼の話を聞くのがつらい。
表面は細波のようでも、内面はすでに火がついていたのだ。彼に憧れた。彼に近づきたかった。友達という枠組みではなく、もっともっと近くに。だけど……
頭の中で、彼と、ローゼがぐるぐる回る。どうしたらいいのかわからない。
勉強が手につかない。やらなきゃいけないのに。この一ヶ月でその後の一生が決まってしまうのに……。
この前までは、急な上り坂かもしれなくても、真っ青な道が未来の先にまで繋がっていた。でも今は、急に何本かに分岐していて、そのすべてが目に見えるところで塞がっている気がする。
(ううん……)
思考はあるところで立ち止まった。
……そもそも分岐した道なんてあるんだろうか。魔法学校を諦めて、ローゼと恋敵として戦って……それで何が残る?……彼が自分を選んでくれる可能性は?
あるわけがない。こんなグズで何のとりえもない田舎娘を選んでくれるわけがない。
道は、枝分かれしているようで、前と同じ、一本道じゃないか。
ローゼの厚意の下、自由課題をこなし、進級して卒業すること。そして、故郷にもどって村の皆に恩返しをすること。これしかないじゃないか。
マコは、懐にしまいこんだ折り紙に手を伸ばした。折り込まれた紙をゆっくりと広げれば、そこには自分と、フィック=エイブラムズの名前が書き連ねてある。
「……」
彼女はこれを切り裂いてしまおうと思った。
しかし……力の入る両手に、それ以上の気持ちが加わって、彼女は折り紙を傷つけることができない。
ため息一つ。つくづく弱い自分の心に愛想も尽きて、憮然としたままそれを部屋のゴミ箱に捨てる。
(これでお終いだ)
早く魔法を完成させないと……。
マコの気持ちはしかし、ゴミ箱に消えると共に落ち着いていった。
だが……。
キレイに折りたたまれた金色の折り紙を、実験室のゴミ箱に、無造作に捨てる。
……これがどれだけ軽率な行動だったかを、マコはすぐに痛感することになる。
「マコ。ちょっと話がある」
ローゼだった。表情が険しい。
個室に連れて行かれたマコは、扉を閉められると同時に、雷を浴びせられたように身体を縮込ませた。
「アンタ、なんのつもりよ!!」
鼻先に突きつけられる折り紙。
「え……どうして……」
「アンタ手伝うために私も実験室、よく行ってんのよ! 目立つ折り紙がゴミ箱に落ちてるから何かと思えば……!!」
「ゴメン……」
「なに謝ってんの!? そういうのがムカつくの!!」
このグズは、自分が好きなのに、二人の仲を取り持ったのか。
「ええ、私はアンタと違ってかわいくもないわよ。アンタに同情されないと男もできない女だよ!!」
「ちがぅ……」
「折り紙もわざと!? あてつけ!?」
邪推でも、わざとローゼに伝わるようにこれを捨てたかと思うと……
「もうアッタマきた! アンタなんか知らんわ!!」
一度地団太を踏むローゼ。怒りに任せて印を結び、爆ぜるように一瞬にしてその姿を消した。
マコは劣等生だが、美しい。表情の変化に乏しいため、人には暗い印象を与えてしまうが、その姿は月明かりに照らせば、女神とまごうほどに美しい。
ローゼは優等生だったが、女としての魅力があるわけではなかった。
実はこの二人は、互いが互いのコンプレックスを補完するかのような相性であり、ローゼも気持ちの上でマコに劣等感を感じていたわけだが、マコにしてみれば、まさか彼女が自分にコンプレックスを感じているなどとは思いもよらない。
マコにとっては、彼女は非の打ち所のない優等生だし、憧れでもあった。
それだけに、なぜ彼女があそこまで腹を立てたのかが分からず、容易に謝りにもいけないまま、無為に日は過ぎてゆく。
一向に完成しない魔法。もう、潮時なのかもしれない。
故郷に帰ったら、皆になんて謝ればいいだろう。いやそもそも、貧困にあえぐ故郷で、自分のような何のとりえもない女が一人、生きていけるだろうか。
といって、故郷を出て暮らす金もない。
どうしたらいいのだろう。どうしたら……。
考査の日が来た。
会場である中庭に向かうマコの足取りは重い。結局、彼女一人では、どうにもならなかった。
実際は、彼女もまったく魔法が使えないわけではないのだが、そのレベルが要件にまったく達していない。例えば、高等数学が求められている場所で、繰り上がりの足し算しかできないようなものであった。
当然、彼女の力が認めてもらえる可能性など、無きに等しい。
(辞退……しようか)
そうすれば恥をかかないですむだけ、心に傷を残さずに済むかもしれない。
もちろんそれは退学を意味する。彼女も分かっている。
足を止め、うつむいたまま左右に目を配せば、すでにこの学校の風景自体が懐かしいもののように思えた。
ため息……そしてゆっくりときびすを返した時、彼女は突如腕をつかまれた。
「あ!」
マコの短い悲鳴。振り返るその先にいたのは
「ローゼ!?」
「逃げないよ?」
「だって……」
「行こう」
「だけど……!」
「いいから!」
結局マコは西日の差す中庭まで引きずられてきた。
中庭は広い。多少魔法が暴発しても、誰かに迷惑をかけることはない。
その場には、担任マルクの他に試験官である教師が数名控えている。
「先生! マコ=ディンプロール来ました!!」
「本人の口から聞きたいな。その言葉は」
しかしマルクも、マコ=ディンプロールという生徒が、このローゼ=クリスティーヌという優等生に支えられていることは知っている。小言を吐いても、もじもじしている本人に多くは突っ込まない。
「今日は自由課題だ。お前の力が二年次の修了程度の実力と認められれば合格。そうでなければ……」
「わかってます!!」
「ローゼ。お前じゃない」
「だって、マコにこんなハキハキした声が出せると思いますか!?」
「分かっているが……」
「私たちは二人で一人みたいなものなんですっ! 異論は!?」
「……ありすぎるが、この際どうでもいい。マコ、準備はいいか?」
「はい!!」
「お前じゃない」
「いえ、今日魔法をかけてもらうのは、私になんです!」
「え……?」
ローゼは一歩進み出て、マコを指差す。
「今日、コイツがかけるのは、増幅の魔法です!」
「ほう?」
「私の魔力を倍化します」
「それは一体、どうやって測るんだ?」
「測れませんね!」
「……」
担任が内心で笑う。よく考えてきた。
増幅魔法というのは確かに高等技術であるため、課題としては申し分ない。しかも、それは掛けられた本人にしか実感がないのだ。
つまり、やりようによっては「かかったフリ」で誤魔化すことができるのである。
ローゼはわかっている。今自分が見殺しにすれば、マコは死ぬ。
「どう証明する? お前が倍速で飛ぶか?」
「それでもいいんですけど、私が修了検定で行った、戦闘カカシの五十人抜き。……今日なら百人いけます」
「え!?」
仰天するマコの正面で、マルクの顔が険しくなった。
「お前……死ぬぞ」
「やります」
「待ってローゼ!!」
そして、それがどれくらい無茶かは、マコも重々分かっている。
しかしローゼは彼女の口を塞ぐと、
「……やらせてください」
「……」
にらみ合うマルクとローゼ。しばらくその瞳は戦っていたが、やがて担任の方が折れた。
「やってみろ」
「ありがとうございます!」
「だが!!」
ぴしゃりと諌めるマルク。
「無理と思えばすぐに止めるぞ。お前を殺すわけにはいかん」
「わかってます」
止められた時は、マコが不合格となる時だ。
「なんで……」
マコは泣きそうだ。そんな彼女の肩に手を置くローゼ。
「一緒に卒業しようね」
「だって……」
「何でもいいから私に魔法をかけて。頑張ってくる」
ローゼの表情はしかし、彼女への感情をすべてをご破算しました、というものではない。
「やめて、とか言ったらほんと怒るからね。私、まだムカついてるよ?」
「……」
「悪いけど、フィック先輩は渡さないから」
うつむいたままのマコを、ローゼが励ました。
「さ、進級しよ」
「ゴメン……」
マコは呟くしかなかった。
とりあえず、両手でグーを握って、ぱっとその手を広げて彼女に差し出す。その効果に、彼女は思わず笑った。口の中全体に、イチゴの風味が広がったのだ。
「じゃあ、行ってくるね」
……そして飛び込んだ戦場で一人目のカカシを粉砕すると「楽勝!!」と叫んだ。
二十人、三十人……確かにローゼの戦闘力はすごい。
四十センチほどのステッキをくるくると回しながら、攻撃魔法の量産機の如く、さまざまな魔力を開放していく。身のこなしも冴え渡り、回転しながら角度を変えて襲い掛かる木製のカカシの連撃を見事にかわしていく様は、試験官たちも思わず感嘆の声を上げた。
しかしマコはつらい。ローゼの限界を、彼女は知っているのだ。
四十人、五十人となって衰えていく様は前回と同じ程度であり、彼女の動きには、これっぽっちの増幅もないのは明らかだった。
そして、明らかに鈍り始めた六十七人目。カカシの振り回した腕が彼女を、数メートル先へと突き飛ばす。
「ローゼ!!」
マコ同様、身を乗り出すマルク。ローゼは痛くて苦しいというより、息が切れて苦しそうに立ち上がる。
「平気でーす!」
声だけは元気だ。しかしそれが虚勢だということは一目にして瞭然であった。
七十一人。先ほどまでの身軽さはもうない。全身を汗と泥に濡らして顔をしかめる女子高生。苦し紛れの雷撃が七十三人目のカカシをへし折ったが、彼女を一秒も休ませることなく、次のカカシが現れ襲い掛かる。
疲労の色もだが、肌の露出している部分の、アザや擦り傷も目立ってきた。七十四人。
そして七十六人目で、彼女は頭をしたたかに殴られ、うずくまってしまう。
「もういいよ!」
泣いて駆け寄るマコ。マルクが停止の合図を出し始めたが、それを横目に挟んだローゼが「とめるな!!」と叫んで立ち上がる。
「もういいよ……ありがとう、ローゼ」
「近寄るな馬鹿。下がってなよ」
マコの接近を気にも留めずに追い討ちをかけてくる戦闘カカシ。しかし、目を見開き拳を握ったローゼが、手の平を返しながらそれを開く。地上から火炎が噴出し、木偶を一瞬にして焼失させた。
躍り出る七十七人目。一向に下がらないマコを心配してか、ローゼがやや戦場を変える。
走ることなど一歩一歩がつらいだろうに、彼女は転げるように走り、カカシの注意をそらした。
マコは、それを黙ってみていることしかできない。
涙が出る。とめどなく涙があふれる。自分の無力さ。なぜ……そうまでしてくれるのだ。彼女はあたしのことを嫌ってしまったのに。本来はあたしの戦いなのに……。
「とめるぞ」
後ろから小走りで駆けてきたマルクは言い、彼女は逡巡なくうなずいた。
カカシを止めるための印を結ぶ。しかし、その力を解放した瞬間、彼は唖然とした。
ローゼから、レジスト魔法がかかったのだ。つまり、マルクの魔法を、彼女は打ち落としてしまった。
ローゼは自分が膝をつくようになってから、常にマルクの動向を窺っていた。何かあれば止められる自覚があったため、対策を講じていたようだ。あの分では二発目を撃っても打ち落とすだろう。
「……ったく……」
マルクはため息を吐き、泣いてクシュクシュになっている少女を説得する。
「マコ、お前が止めるしかない」
「……」
「危険な状態だ。分かるな?」
「はい」
マコは泣きっ面のまま再びローゼに向かって駆ける。そして、もはや膝の立たない彼女に覆いかぶさるように抱きしめた。
「ありがとう! もう、ありがとう!!」
その無防備なマコを護るかのように、彼女の傘の下からステッキが翻る。
八十人目の木偶は、まるで超重量物質になったかのように地面に這いつくばった。
徐々に圧壊していくカカシだが、まだ生きている。そのため、八十一人目が具現せずに時間が空いた。
その合間で、ローゼはくぐもった声を上げる。
「どいて……マコ」
「もういいんだよ! あたしこんなので進級したって……!」
「私には、これしかとりえがない……」
「え……?」
「私にとっては、アンタがライバルなの。アンタがいなくなったら、私も卒業まで行き着けるかわかんない……」
「どうして!?」
ローゼの成績は申し分ないはずだ。しかし、その質問を振り払うように、彼女は身体に鞭打って立ち上がった。八十二人目が具現化したのだ。
「自分で考えな。グズ」
「死んじゃうよ!!」
「じゃあ……ほんとに増幅、してみろ……」
切れ切れに言葉を残して、彼女はまた飛び出した。ここではマコに被害が及ぶ。震える指で印を結べば、風がかまいたちとなって木偶を襲った。が、その力はとうに限界を迎えている。カカシはよけもせずそれを受け、構わずローゼに襲い掛かった。
マコは混乱した。
今、ローゼはなんと言った?増幅の魔法??
あたしが……?
増幅は難しい技術だ。対象の呼吸、魔力周波数、そのリズムが分かっていないと、逆に重しにしかならない。
しかし思えば、二年間、二人はずっと一緒だった。彼女の呼吸は知り尽くしているじゃないか。
手順だけは知っている。だって勉強は誰よりもまじめにやってきたのだから。
彼女は仁王立ちとなり、印を結び始める。が、同じ時、カカシの一撃がローゼの頭をとらえ、彼女が吹き飛んだ。
「いかん!!」
マルクの印がマコに先んじて完成した。しかし、顔を抑えてうずくまっているローゼは気を失いかけているにもかかわらず、あくまでそれをレジストしてしまう。
「お前はーー!!」
他の試験官は手が出せない。カカシは発動した者にしか止められない。しかしそれでも、攻撃魔法の印を結び、加勢しようとした。
が、魔力の波動は肌で分かる。ローゼは見もしないまま、わめき散らした。
「やめろぉっ! 誰も邪魔するなぁ!! マコと私で……!!」
その目の前にせり上がるカカシの姿。
「ローゼっっ!!!」
マコは詠唱をやめ、走って彼女に覆いかぶさった。間近に感じる彼女の波長。彼女の呼吸。消えかかっている彼女の鼓動。助けたい。助けたい!
なんでもいい。もし彼女が助けられるなら魔法なんて使えなくなってもいい。
圧し掛かろうとするカカシ。夕陽がその木偶にすべてさえぎられ、暗くなっていく様を胸に感じながら、マコは必死に印を結ぶ。
もう、めちゃくちゃだった。そんな印で何かが発動するはずもなかった。それでもマコは、ローゼと一つになろうとした。その手は自然、ローゼの背中に……そしてカカシを見上げ、力の限り叫ぶ。
「お願いっっ!!!」
刹那、まばゆいばかりの光がつむじを巻いた。猛々しく輝くそれが、マコを、そしてローゼを包み込み、白い炎となって一瞬で空を突き抜ける。
「あ!!」
思わず声を上げるマルク。地鳴りと共に拡がった強大なエネルギーが、さながら金色の鳳凰のように翼を広げ、さらに激しい光の螺旋となって考査会場全体を飲み込んでいった。
……気がつけば、二人とも医務室で横になっている。
二人が二人とも、同時に目覚めて顔を見合わせた。
「なんでアンタまで寝てんの? 戦闘カカシはどうなった?」
と、ローゼ。
しかしマコにも全然分からない。気がつけばベッドの上なのだ。しかも身体が思うように動かない。
つまり二人とも動けないので、しばらくそのままでいると、マルクが医務室の扉を開けた。彼は努めて笑ってみせる。
「どうだお姫様たち。気分は」
「大丈夫でーす」
ローゼ、死に掛けの顔をしてみせてピースサインを送る。マルクは胸をなでおろした。
「まだ嫁にはいけそうだな」
「それは別の意味で不安でーす」
「そん時ゃしゃあねえから俺がもらってやろう」
「断じてノーセンキュー」
静かに笑うマルク。この分なら頭にも異常はあるまい。
実は最後の一撃で、ローゼの頭蓋骨は陥没骨折を起こしていた。魔術で回復したとはいえ、脳のダメージから後遺症が残る可能性を、保険医は示唆していたのだ。
「あんな無茶……もう二度とするな」
「それより、考査は……?」
危機的状況だったことを知らず、別のことに不安げな目を向けるローゼ。
「うん。考査な」
マルクは仰向けに寝かされている二人の中央に立ち、見下ろした。
「戦闘カカシの記録は八十二人」
「……」
ローゼは伏し目となって、男と親友を視界から遠ざける。
「よく頑張ったといわざるを得ないが、戦いぶりから増幅が認められたとは言いがたい」
「……」
マコも、瞳を閉じた。
終わった……。
死んでもいないのに自分の今までが走馬灯のように思い出されるのは滑稽だが、それでも、魔法学校で過ごした二年間が、いろんな人に期待された入学前が、いくつも彼女の頭を駆け抜けて、いたたまれなくなる。
思えばまた涙があふれてくる。感情を表現するのが下手な彼女でも、今回のことではとめどない涙が抑えられない。
しばらく、部屋には嗚咽だけが響く。それが落ち着くのを待ったマルクは尋ねた。
「お前は最後に使った力、何かを分かって使ったのか?」
「え……?」
彼は「だよな」と頭を掻き、もう一度向き直る。
「あれは百三十号っていう仮名がついた魔法だよ。自分の魔力と、それに共鳴する魔力をすべて吸い上げてエネルギーを撃ち込む決死の攻撃魔法だ。だから二人とも気絶した」
ドラゴンなど、人智の及ばない怪物に対抗するために考案されたものの、まだ確固たる手段が確立されていない代物で、現在も魔法学者たちが躍起に研究をとり行っている。
「つまり、お前が見せたものは、高校の自由課題の範疇ではない。残念だが、アレに評価点をつけられる教師は、この学校にはいないんだ」
「そうですか……」
マコは相槌を打つしかない。泣きたいのだからもう放っといてほしい。
が、彼女の落胆の裏側で、マルクは肩をすくめてみせた。
「だからしかたない。他の先生とも協議した結果、自由課題は合格とするしかない」
「……え?」
空気が、止まった。身体をきしませながら順々に上半身を起こす二人。
「増幅詐欺は考査への冒涜だが、お前がやったことは魔法の先進技術だ。誰も文句はいえんよ。その研究を進めてみろ。もし形になれば、学校としても鼻が高い」
「……」
二人は顔を見合わせた。
「じゃぁ……」
「三年に上がれ」
「……」
震える部屋。
マコの瞳からボロボロと落ちる大粒の涙。
ローゼの「やったぁぁぁ!!」という大歓声……。
興奮の渦は医務室を突き抜けて、少女たちをまた、明日へと送り出したのであった。