98.奈津子の話 36
その日の夜、ヒイロは夕食の席で明日隣の領まで見舞いに行くと言った。近いから日帰りするとも。
それをパプルがどうせならみんなで行こうと言いだし食卓は少し荒れた。マダムはヒイロとローズの顔を交互に見ているし、ミスタとタロは一言も発さず食事に専念していた。パプルは一人でムキになっているようだった。
「俺だって久しぶりにミキに会いたいよ。あいつ全然領地から出てこないしさ。こんな機会滅多にないんだからみんなで行こうぜ。」
「体調悪いって言ってるのに急にみんなで押しかけたら迷惑だろ。」
「そんなこと言ってたら俺一生会えないじゃん。」
それがどうしたと言わんばかりにタロがパプルを睨んだ。だが口を開く気はないらしい。
「客として招いておきながら居なくなる非礼についてはお詫びする。でも一日で戻るしこちらで待っていて欲しい。」
ヒイロも困惑した顔をしている。パプルがここまでごねるとは思っていなかったのだろう。
「ヒイロの婚約者なんだから俺たちにとっても仲間みたいなもんだろ? なんで隠すんだよ? ひょっとして俺に盗られるのが怖いのか?」
「いい加減にしてよ、パプル。」
見かねたローズが口を挟んだ。「私だったら具合悪い時に知らない人に来てほしくない。パプルだって大昔に一度会っただけなんでしょ? いきなり押しかけるなんて失礼すぎるよ。」
「何だよローズだって見たいだろ? ヒイロの婚約者。」
「・・・別に。」
一呼吸おいてそう言うと、ローズは俯いて食事を再開した。パプルまじむかつくな。
「とにかく、私とローズは行かないから。どうしても行きたいならヒイロとパプルで行けばいい。」
私がパプルの目をじっと見ながら言うと、パプルは黙って肩を竦めた。そのまま言葉少なく食事はお開きとなった。
「あれはないよねー」
私は部屋に戻ってからも腹が立って仕方がなかった。いつもなら食事の後もしばらくマダム達と談笑したりするが今日はなしだ。全部パプルが悪い。
「なんか感じ悪かったね。」
ローズは私の部屋のソファーでくつろぎながら言った。テーブルの上にお酒が用意されているがまだ飲んではいないようだ。
「あれ絶対ローズにヒイロの婚約者見せたかっただけだよね。自分だって婚約者いるくせに馬鹿みたい。」
ローズは苦笑して無言でお酒のグラスに手を伸ばした。
「でも・・・見てみたかったかも。」
「何を? ヒイロの婚約者?」
「うん・・・絶世の美女だったらどうしよう。」
絶世の美少女がなんか言ってる。
「・・・戦ってみる?」
絶世の美女vs美少女。結局は選ぶ人の好みな気がする。
「戦うかぁ・・・生まれながらの貴族に私が勝てるかなぁ。」
最近ローズが弱気だ。ちょっとつまらない。
絶世のブスでも惚れられたら勝ちだよ、関係ないよ。ローズは可愛いし性格もいいから大丈夫。今はローズが好かれてるんだから平気じゃない?
薄っぺらい言葉はポンポン浮かんだが口に出すのは自重した。私に恋愛のアドバイスなんて向いてるわけがない。
「最近色んなことがわかるようになって、いかに昔の自分が無鉄砲だったかってことに気がついちゃってさ。怖くなっちゃった。」
ローズはそう言うと手のひらをじっと見つめた。
「人は殺せるようになったけど、別にそんなことがしたかった訳じゃないんだよな・・・」
「いやいや、他にもできるようになったことあるでしょ。」
「うーん、確かに知識は増えたね。多少のマナーも覚えて知り合いも増えた。でもそれだけだよ。」
「普通の平民がそれだけを身に着けようと思ったら、どれだけ大変かわかるでしょ。」
「・・・確かに。」
ローズはうんうんと頷きながらお酒を口に運んだ。
「食堂の娘が知ろうとしても知りようもなかった世界にいるのは確かだね。でも、知らなきゃよかったって思ったりもするんだ。」
ローズは相変わらず弱気だ。らしくないと思うのは私の我がままなんだろうか。
「たとえ貴族と結婚できなくてもローズには帰る場所があるじゃない。別に失うものはないでしょ。」
そう言うとローズは笑いながら言った。
「ナツコにだって戻る場所はあるでしょ?」
確かにある。私は故郷家族を思い出した。あの一家は私が帰ったら暖かく迎えてくれるだろう。ただ私が前世の記憶に縛られて、どうしても農民としての生活を受け入れられなかっただけだ。
「あるね・・・でも、遠いよ。」
私はそれだけを言うとお酒を口に含んだ。上質なお酒だ。軽くて翌日に響かない。
「そうだね。距離も大事か・・・」
ローズが考えているのはヒイロとその婚約者のことだろう。私は私の前世を含めた人生について考えていた。
その後はお互いほとんど喋らず、夜は更けていった。




